龍子記念館に行って来た

 午前中に健保の診療所の歯医者に予約を入れていた。一週間たっても痛みは取れない状態が続いていたので、大掛かりな処置されるかなと思ったのだが、隆起した骨の一部をピンセットで簡単にとってもらった。ちょっと痛みはあったが簡単に骨片が取れた。歯医者曰く、身体が不必要な骨を体外に押し出そうとしてるのだとか。治療は30分くらいで終了。次の予約とかはなく、痛みが続くようだったら連絡するようにという。骨隆起は、痛みの割に、自分の思っているほどには深刻なものではないのか。

 11時前にほぼ解放されてしまったので、さてとどうするかとしばし思案。恵比寿の山種美術館に行こうかそれともとちょっと考えて、前から行ってみたかった大田区にある龍子記念館に行ってみることにした。

https://www.ota-bunka.or.jp/facilities/ryushi/exhibition?18880

 ここは元々川端龍子の住居があったところで、龍子存命中に記念館として発足、その死後に大田区が事業を引き継いで美術館として運営しているところだ。

 閑静な住宅街の中にあるのだが、駅からのアクセスはよくない。HPにあった案内のとおりに都営浅草線西馬込駅から歩いていった。

https://www.ota-bunka.or.jp/files/directions_fromnishimagomestation-1.pdf

 曇り空だったが雨に降られることはなかったので、桜並木通りを歩くのはさして苦でもなかったが、けっこう蒸していたので心持はあまりよろしくない。途中で熊谷恒子記念館の看板があったのでその前まで行ってみる。

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 だれよ熊谷恒子って? 熊谷恒子 - Wikipedia

 書家の方らしい。

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そこからしばらく並木通りを行くとようやく目指す龍子記念館に到着。

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 龍子記念館は道路からやや高くなっており階段で入り口に入る。いちおう横には車椅子用のスロープもある。建物の裏に車が5台止められるようになっている。特に身障者用スペースはないのだが、多分止めることは可能だとは思う。ただし周囲の道路が狭いので、ナビがあってもちょっと車では行くのは避けたくなるような感じがある。ここは妻を連れていくのはちょっと難しいかなとも。

 料金は200円とさすが大田区立と思った。窓口で65歳以上は無料というので一週間前に65になったばかりの恩恵を享受、免許証提示して無料にしてもらう。セコイな自分。

 室内はワンフロアでちょっと広め目の回廊みたいな感じで途中でくの字に折れ曲がっている。そして右側には大型作品の多い龍子の絵をゆとりをもって展示できるような壁面になっている。

 ここで改めて川端龍子のおさらい。

川端龍子 - Wikipedia

https://www.ota-bunka.or.jp/facilities/ryushi/about

 もともと川端龍子は洋画を学び挿絵などを行っていたが、28歳の時に絵の修行のため渡米。ボストン美術館で『平治物語絵巻』を観て感動し日本画に転向したという。その後、再興された日本美術院で活躍し、横山大観から「一に川端、二に龍子」と言われるほど評価された。しかし社会性よりも内省を重視した「繊細巧微」ない院展の体質を批判して美術院を脱退し青龍社を設立し、在野での独立した活動をすすめたという。

 洋画から日本画への転向、しかもそのきっかけが海外留学した滞在先で観た日本画に感銘を受けてというところなど、龍子とほぼ同時期に活躍した小杉放菴を思い出してしまう。放菴もまたフランス滞在時に池大雅の作品に触れて日本画に傾倒したとある。龍子と放菴の間に交流があったのかどうかはわからないが、洋画から日本画、外遊先で日本画に触れるというところにある種の倒錯したものを感じる。

 龍子は帰国後、独学で日本画の技法を習得した。そして32歳で日本美術院の同人となる。日本画家としては遅咲きスタートだったようだ。今回の企画展でも美術院に出展を始めた頃の作品が展示してある。

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『踏切』(川端龍子

 この明るい色調はパステルを膠で溶いて使用したという。洋画から日本画に転向した龍子の苦闘の軌跡なのかもしれない。

 龍子は院展を脱退し青龍社を興し、展覧会という会場で観客に訴える力のある作品を実践した。それを会場芸術と揶揄されると、あえて自らの目指す芸術を「会場芸術」であると唱えたという。

会場芸術の特徴

① 機知にとんだ構図による大画面の作品であること

② 華麗な色彩と筆致で躍動感のある生き生きとした作品であること

③ 市民的な感覚や美意識に沿った形で時代の要請に答えるテーマをもつこと

  ようは大向こう受けする、大衆受けする作品を意識しているということだ。それを奇想といってしまえば語弊があるかもしれないが、もともと絵画には伝統美や様式美とは異なる大衆性=大衆受けという部分もあったように思う。それは雪舟の絵にもそうした機知があったし、琳派にも観る者を驚かせるような意匠があった。さらにいえば奇想の絵師たち、若冲蕭白国芳、浮世絵の画家たちや広重、北斎らも、みな観る者にインパクトを与えることを狙ったものがあった。

 さらにいえば展覧会という大会場で映えることを意識した大作主義というのも、一種のライブ感覚を意識していたということになるのかもしれない。そういう龍子の意匠は自分などもストレートに感じられたように思う。最初に川端龍子を意識したのは、多分国立近代美術館での4Fハイライトの間で観た『草炎』だったと思う。あの時もなんていうか月並みに「凄いな、これ」と思った。

 なので今回の企画展でも一番龍子らしいなと思ったのは金泥による大掛かりな作品『一天護持』だったか。

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『一天護持』(川端龍子

 この龍子記念館には『草炎』と似た大作『草の実』が所蔵されている。今回の展示はなかったが、これが展示してあるときにまた行きたいと思う。

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『草の実』(川端龍子

 今回観た作品の中でその他に気に入ったのはこのへん。

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『阿吽』(川端龍子

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『白昼夢』(川端龍子

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『火炎』(川端龍子