小杉放菴記念日光美術館 (1月1日)

 大晦日から日光に来ている。元旦は東照宮周辺は初詣客で混雑しているので、車で出かけるのは難しい。保養所の部屋でのんびり過ごすつもりだったのだが、妻が例によってどこかへ出かけたいという。車で出るのは難しい、となると車椅子でご近所周遊ということになるのだが、大晦日からの雪が数センチ積もっている。思案の挙句に車椅子で行けるところまで行くかということになる。

 宿から道に出るまでは雪だったが、その後はほとんど雪はない。歩道の雪も除雪されているのか溶けたのか端の方に残っているだけ。なので車椅子でも問題なく下っていくことができる。道路はもうびっしりと渋滞している。みんな東照宮の駐車場を目指しているような感じである。

 予めHPで調べていたのだが、小杉放菴日光美術館は大晦日や休館だが三が日だけは開館している。という訳で今年の美術館初詣はまさしく正月元旦に小杉放菴から始めることになった。

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 最初に常設展示で小杉放菴の洋画が展示してある。これはいつものとおり。東大安田講堂の壁画の習作ともいうべき『泉』も展示されている。

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『泉』 (小杉放菴) 

 横山大観に誘われて日本美術院の洋画部門創設に参加した小杉放菴の洋画時代の最大の仕事とされる東京大学安田講堂の大壁画。放菴はシャヴァンヌのソルボンヌ大学壁画を念頭にこの作品を手掛けたとされているが、シャヴァンヌ的テイストと同時に東洋的な風味も活かされている。個人的にはさらにルノワール的な感じも受けたりもするし、土田麦僊の『湯女』『大原女』との類似性みたいなことを思ったりもする。多分キーになるのは装飾性ということかもしれない。

 東大安田講堂には一度だけ行ったことがある。子ども入っていたインカレサークルの演奏を聴くためだ。舞台を囲むアーチ型を壁画を見てすぐにネット検索して小杉放菴の作と知ったときはちょっとした驚きだったことを覚えている。

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 そのため初めてこの日光美術館を訪れた時にあの壁画の習作があると知った時には、これも一種感動だった。なのである意味、日光美術館には『泉』を観に来るというような部分もある。ちなみ今回で三回目の訪問である。

 なお、東大安田講堂と放菴の壁画制作についてはこの小論が詳しい。林洋子氏は多分美術史家の方で藤田嗣治の研究家の方じゃないかと思う。

東京大学安田講堂内壁画について―小杉未醒藤島武二の試み」

林洋子著 東京大学史紀要 2009年

https://www.u-tokyo.ac.jp/content/400005583.pdf

東京大学・安田講堂内壁画について : 小杉未醒と藤島武二の試み | IRDB

 

 展覧会の方はというと小杉放菴日本画作品をもとに日本画の魅力を解説する企画展となっている。

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展覧会・催し物|小杉放菴記念日光美術館

 パンフレットには詳細に企画意図が書かれているのでその一部を引用する。

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はじめに

 昨今、全国各地の美術館では、「日本画の巨匠」などと銘打った展覧会が開かれ、多くの人々で賑わっている。そもそも、「日本画」とは、明治時代(洋画・油彩画)に対する概念として生まれたことばであり、明治時代以降に制作された、和紙や絹を支持体に、墨や岩絵の具を用いた絵画の総称を指す。やまと絵や浮世絵など、江戸時代以前の日本で描かれた絵画を「日本画」と呼ばないのは、この定義づけによるためだ。

 洋画におけるキャンバスや板にあたるものを日本画では支持体という。これはニワカの自分には初めて耳にする言葉である。それは主に紙に描いた紙本と絹布に描いた絹本の二種類になる。もっとも日本画でも板や石を支持体にするものもあるようだ。

 小杉放菴日本画はほとんどが紙本である。これは放菴が洋画から日本画に転向するきっかけともなったことだが、大正末期に越前の紙匠・初代岩野平三郎によって麻紙(まし)が復活したことによる。

 もともと支持体としての画用紙は平安時代以降「楮紙」だったが、室町時代以降は中国からの輸入に頼るようになり、国産品はほとんどなくなっていた。しかし明治期前後、中国は清朝末期の不安定な政情により画用紙の質が著しく低下したのだという。岩の平三郎は、画家たちが中国輸入の画用紙の品質低下に不満を抱いていることを知り、横山大観や富田溪仙の意見を聞きながら改良を重ねることで麻紙を復活させたのだという。

 小杉放菴は麻紙の薄さや麻の繊維によってにじみやすい特質を自らの画風に取り入れるようにして写実性に富んだ花鳥画を成功させ、墨のにじみを巧にコントロールさせるまでになったという。

 また「色」の部分では岩絵の具や墨について、岩絵の具の原石や膠などを実際に展示して作品との相関を示している他、表装では「軸装」(掛け軸)、「屏風」、「額装」などについて解説されている。

 という訳で今回の展覧会は、ニワカの自分には日本画をより理解するうえでの入門編的な感じで興味深く観ることができた。

 それにしても小杉放菴の画力の確かさには改めて感じ入るところがある。小杉放菴は、初期には小山正太郎の不同舎に入門し洋画を基礎から学んだという。この不同舎で学ぶ若い画家には、おみやげ絵という外国人向けに日本の観光地や風俗を描いた絵をさかんに描いて生活の糧にしていた者が多いという。小杉放菴も日光出身ということもあり、東照宮などの水彩画を多数描いている。不同舎でおみやげ絵を描いた画家では例えば満谷国四郎などもいる。彼のそうしたある種の絵葉書的な作品を昨年京都の近代美術館で観た記憶がある。

 小杉放菴は写実的なおみやげ絵からスタートして、シャヴァンヌの影響から装飾的な洋画を多数描いている。さらに日本画に移ってからは南画、写実、渋い水墨画風、さらにデフォルメをきかしたものなど様々な画風の作品を描いている。けっこうオールマイティな画家だったようだ。

 さらに趣味の部分では、歌人として歌集を上梓している。またスポーツでもテニスや野球を好きだったようで、特にテニスでは大会にも出場しているという。とにかく多彩な人だったようだ。

小杉放庵 - Wikipedia

小杉放庵 :: 東文研アーカイブデータベース

 

 ひとつ残念だったのが、空いている館内でずっとおしゃべりしている三人組がいたこと。一人は若めの女性でこの人が延々と絵の感想などを話し続けている。それやや年配の女性が相槌をうってる。その横で時々話に加わる男性がいる。感想とかをちょっとだけ小声で話すのは、自分も妻と一緒にいるとよくするけど、短時間だけにしている。だから多少の会話は別に気にもしないけど、今回はちょっと酷すぎる感じだった。とにかく女性がずっと話をしている。

 そこで三人のすぐそばに行って絵を観ていると、ちょっとだけ声は潜まったがおしゃべりはその後もずっと続いていた。そしてよく見ると相槌をうっている年配の女性は、スタッフのストラップをつけている。関係者なのかとちょっと興醒めした。ひょっとすると何かの取材の類なのかもしれない。元旦で観覧客も少ないからということなのかもしれない。でも、一応数人とはいえ一般の鑑賞者がいるというのに・・・・・・。

 これが今回、唯一の残念なところでした。