日光に行った二日間、外での観光はというと30日には日光から思い切り足を延ばして茨城県の大子町にある袋田の滝へ行ってみた。ここは以前、カミさんとは一度来たことがあるのだが、せっかく子どもも一緒なので日本三大瀑布のうちの一つを見せてやるのもいいかと思った。
しかし、日光から大子町までは車でもきっちり2時間近くかかる。そこまでして来るべきところかというと微妙といえば微妙。ただこの滝は大昔、父が一人で見てきたとことがあり、「袋田の滝はなかなか凄い。今度一緒に行こう」とよく私に話してくれていた。父とは結局行くことはなかったが、その時の記憶がありカミさんと行ったときも、ここがオヤジが話していたところかとけっこう感慨深く思ったものだった。
ただし元々は竜神大吊橋から袋田の滝というコースにしようとしてたのだが、この日はずっと雨だったので、袋田の滝はたしか観瀑台まではトンネルを通っていくので、あまり雨に濡れないかなとか思ったりもして、竜神大吊橋に行くのはやめにしたなんてこともあった。
ちなみ滝の入り口に一番近い土産物屋でやや遅めの昼食をとったが、このけんちんうどんは中々美味かった。まあ外が寒かったということもあるのだけれど。こんなんやつ。
ほんでもって滝の方はというと、観瀑台の一番上に上がったあたりからガスがかかり始め、あっという間に滝は見えなくなってしまった。自分たちはまだ見ることができたけれど、その後でエレベーターで上がってきた人たちはただ霧にけむる山を見るだけになってしまった。
そして翌日の今日は宿をチェックアウトしてすぐにいろは坂を登った。しかしこれほど空いているいろは坂はないっていうくらいに空いていて、明智平との分かれ目のあたりまで自分ら以外に車はまったく走っていなかった。
当初は今まで一度も行ったことがない明智平のロープウェイに乗るつもりだったのだが、強風のため運航中止。仕方なく、まあせっかくだからということで華厳の滝を見ることにした。ここもさすがに大晦日ということもありえらく空いていた。
しかし期せずして、二日間で日本三大瀑布のうち二つを見ることになるとは思ってもみないことだった。滝を見ながらなんとなく、明治期にこの滝の上から投身自殺した一高生藤村操のことなんかを考えていた。彼の死は同時代のインテリ予備軍たる若者たちに衝撃を与えたとかいうのを何度となく読んだことがある。『三太郎日記』の阿部次郎とか岩波書店の創業者岩波茂雄なんかもそのクチだったと記憶している。
そういえば岩波茂雄の盟友として岩波書店の顧問でもあり、学習院大学の学長や戦後文部大臣を歴任した明治期インテリのある種の代表選手ともいうべき安倍能成の細君は確か藤村操の妹だったと、これも何かで読んだ記憶がある。
まあこのへんはどうでもいいことだ。しかしこうなると三大瀑布のもう一つ、那智の滝もいつかは見てみたいものだとも思う。でも和歌山はあまりにも遠いといえば遠い。リタイアしてまだ体が動くようなら行ってみたいところの一つではある。
華厳の滝のあとは、土産物的に金谷ホテルのベーカリーでパンを買ったり、日光おかき工房に立ち寄ってカレーだの、わさびだの、七味唐辛子だのと辛みたっぷりのおかきを買って帰った。