川合玉堂展に行ってきた

 山種美術館の「川合玉堂-山﨑種二が愛した日本画の巨匠-」に行ってきた。

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【開館55周年記念特別展】 川合玉堂 ―山﨑種二が愛した日本画の巨匠― - 山種美術館

 川合玉堂は近代美術館で『行く春』を観てからファンになった。毎年桜の季節になると展示されるので楽しみにしている。そういう時期に山種美術館で回顧展をやるというので楽しみにしていた。山種美術館は山種証券を創業した山﨑種二が自らのコレクションをもとに設立した。山﨑は横山大観らと共に川合玉堂とも親しくしており、その関係もあり山種美術館では70点を超える作品を収蔵している。

 川合玉堂については、単なる写実を超えた日本的な理想郷ともいうべき風景画を多数描いた画家という理解でいた。とにかく画力に溢れ、細密な描写とともに構図にも優れている。半可通の自分にとっては、こと画力という点では近代日本画においては頂点にあるのではないかと思ったりもする。

 今回の回顧展では玉堂のキャリア等を、20代から50代まで、奥多摩疎開してからの老年期までをたどることができた。玉堂は1873年に愛知県一宮に生まれ8歳の時に岐阜に移住する。以前岐阜県美術館に行ったときに、郷土の画家としてほぼ一室に10点くらいの作品が陳列されていたのを覚えている。

 14歳の時に京都の画家、望月玉泉に入門、17歳の時に幸野楳嶺の画塾に入会、22歳までに円山四条派の技法を習得した。その後23歳で上京し橋本雅邦に入門、狩野派の技法もものにしてたちまち頭角を現し、横山大観竹内栖鳳らと肩を並べる大家となっていく。

 玉堂の画力は京都の円山四条派と江戸狩野の技術を巧に自分のものにしたうえで、さらに独自の詩情豊かな山村や田園風景など日本の原風景を一種の理想郷として描いた。単なる自然主義的な写実を超えたエモーショナルな抒情性が観る者の琴線に触れる、そういう作品群となっている。

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『早乙女』

 1945年の作品。田植えの時期ということで戦争末期の時期にあるが、戦時下とは思えないのどかな風景である。俯瞰からの田植えの風景は構図の妙を思わせる。解説によれば、画面を横切る畦道には暈(ぼか)しと緑青のたらし込み、農夫の着物にはほり塗り(塗りの濃し技法)などが用いられており、玉堂がこれまでに学んだ技法が様々に用いられている。

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『春風春水』

 1940年に制作された早春の渓谷の風景。ワイヤーと滑車を使って急流を横切って対岸に向かう渡し舟と乗船してのんびりと語り合う農婦たちの姿を俯瞰で描いている。名作『行く春』(1916年)にも通じる画題。

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『山雨一過』

 1943年の作品。雨の後、強い向かい風の中峠を越えていく人馬の情景である。遠く山の合間を流れていく雲の情景と峠の風景の写実性。日本画の写実を超え、どことなく西洋画のような趣がある。樹木の描写にはどこかバルビゾン派自然主義を感じさせる部分があるように自分には思えた。今回の回顧展では、一番心に残った作品でもある。

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『渓雨紅樹』

 1946年の作品。雨と立ち込める霧、筧から勢いよく流れ落ちる水とそれを受けて回る水車。筧と水車は玉堂がしばしば取り上げた画題。近代美術館収蔵の『彩雨』と同じ画題だが、この作品の紅葉はより鮮やかな色彩。

 玉堂は水車とその音をこよなく愛し、奥多摩の愚庵の庭に水車を作り、その音を楽しんだという。