越生周遊

 木曜日は妻のデイケアサービスがお休みの日。仕事をしている時もよく近所のファミルスなどにランチを一緒にしていた。まあちょっとしたデート感覚で妻が楽しみにしているので、ずっと付き合っていた。仕事を辞めてからは木曜日はお出かけと勝手に妻が決めているところもあり、出来るだけその意向に沿っている。

 今日はというと、ちょうど梅も見頃ということで久々越生の梅林に行ってみるかと提案すると「行く行く」みたいに嬉しそうに答えてくる。越生は車だと30分かそこらで行けるまあまあご近所で、この時期には良くいくところでもある。とはいえ毎年ということではないし、今回も多分2~3年ぶりくらいだろうか。

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 梅林内は一部舗装された小径があるが基本は土の果樹園。なので当然凸凹しているので、車椅子を押して回るのは多少難儀する。ウィークディということで人も少ないがそれでも中高年中心にそこそこの人は出ている。まあ密ということはほとんどない。

 梅林というと水戸の偕楽園が有名だけど、広さは越生もさほど遜色ないようにも思う。まあ偕楽園の場合は周囲の仙波公園が整備されているので規模感がまったく違うけれど。おまけに仙波湖の近くには茨城県近代美術館もあるし。まあ越生はやっぱり田舎の鄙びた雰囲気みたいな感じがある。

 花が楽しめる庭園やフラワーパークは割とよく行く方だけど、花って至近で見ると意外とリアルに植物なんでまあ当たり前なんだけど、さほど美しいという感じがしない。梅園なんかも遠目に見ている分にいいのだけど、近くだとただただ樹木っていう感じ。花鳥風月的な詩情みたいな気分にはなかなかならないのは、自分が凡人だからかもしれない。

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 まあ梅園内の散策もそれはそれで気持ちがいいので、人出が少ないウィークディだと小1時間の散歩にはちょうどいいかもしれないとは思う。

 その後、売店脇に置いてあった越生の観光マップを少し開いてみて、次にどこかへ行くかとなったのだが、時間は3時を少し回っていてそれから黒山三滝など山に入るのもなんだしと思ってたら、近くにこういう場所があるのを知ってちょっと行ってみようかとなった。

世界無名戦士之墓(せかいむめいせんしのはか)/越生町ホームページ

世界無名戦士之墓 - Wikipedia

  昭和30年(1955年)に建設された戦没者を祀る霊廟。靖国のような宗教色の濃いしかも兵士だけを祀るものではない慰霊施設を作るということで、当時は千鳥ヶ淵戦没者墓苑もない時代だっただけに公的な慰霊施設誘致という名目もあったのだとか。

世界無名戦士之墓建設趣意書
 この企ては、講和条約の成立を祝福記念すると倶に、世界各国の人の間に国際的理解と、親善とをうち建て恒久平和の大願を成就したいと云う信念から発したのであります。
崇高な代償と貴い犠牲を払った民主日本が、彼我戦没者の勇気と献身を記念し、神に感謝し仏に念ずるとともに、是等無限の犠牲を永遠の亀鑑として、強く支持するよう祈り続けるために企だてられたものでありまして、世界各国の国使及び一般外遊の士がこれに礼拝することは、最も美しい国際情誼と解せられるに至りました。

省みまして我が国には斯くの如き国際的儀礼の表徴としての無名戦士の墓は未だ無かったのであります。
是れを卜する地は国立公園奥秩父を背景とした埼玉県立黒山自然公園の関門をようし関東平野を一眸の裡におさめ、名所旧蹟に囲まれた景勝のところで、交通の便と相俟って観光参拝の浄地、古邑越生町の大観山であります。
今次世界大戦は、有史以来未曾有の広大な戦線に亙った為、南溟朔北の地に散華され、空しく枯骨となって雨雪に曝らすがままの英霊、無慮数拾万と称せられて居ります。
国を挙げての歓びである和解と信頼による千古比類のない講話の成立、これによって寄らさるる民主日本の名に於ける平和の謳歌!!
この際真に私達は英霊の無限の犠牲に対し、満腔の感謝と敬意を表し、一柱でも供養されない不幸があってはならないことに心すべきであって、全世界の英霊と倶に、全地球の半かばに散在し耿々として望郷の念熄むことなき斯の日本の英霊に、肉親の情愛を捧ぐる事こそ祖国に生ける者の義務であると確信致す次第であります。茲に同憂相諮り、昭和25年建設を発願致しまして、昭和26年衆参両院に、以上の趣旨に依る建設請願に及びたる所、何れも本会議に於て名実共に国家的尊崇の表徴を建設せんとして努力を尽くしつつあるのであります。既に実行段階に入り、境内約1万坪の山嶺に整地工事を終り、目下建塔計画を本県土木部の応援を得て進めて居ります。
何卒この企てを深くご理解くださいまして、一掬の至誠を手向け御協賛賜らむことを御願申し上げます。
  東京都郊外黒山自然公園
 財団法人 世界無名戦士之墓建設会
   代表 長谷部秀邦

越生町「世界無名戦士之墓」

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 「千鳥ヶ淵戦没者墓苑の建設経緯」によれば、越生墓苑も候補だったのだが「郊外であることが致命的な難点」だったとか。まあ今でも田舎といえば田舎なので、昭和20年代にあっては多分本当になにもない所だったのだろう。

 越生の駅からは1キロちょっとの距離ではあるのだが、かなり険しい坂で道も細い。車でも対向車があるとけっこう難儀するような所だ。登りきると駐車スペースがありそこから霊廟までは長い階段を登る。

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 途中に慰霊碑があるのだが、記銘されているのは内閣総理大臣佐藤栄作。もう昭和史という感じである。

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 そして霊廟。

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 なお霊廟脇に階段があり霊廟の上に上がることができ、そこは展望スペースになっている。晴れていると左側には筑波山、右手にはスカイツリーも見ることができるらしいが、今日はやや曇りで遠くの方はぼやけた感じだ。

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 しかし割とご近所にこういう施設があることにはちょっとした驚きも。こうやって戦争とそこで亡くなられた人々のことに思いをはせる場所があるということは重要なことだと思う。越生の子どもたちは遠足・社会見学をかねてこういう場所を定期的に訪れるみたいなことがあるのだろうか。出来れば近隣の坂戸、鶴ヶ島、鳩山、東松山などでも歴史教育や戦争を考える場として、この霊廟を訪れるみたいなことがあってもいいかもしれない。

 戦没者の慰霊、戦争の悲劇を考える場所が、靖国のような特定のイデオロギーに紐づけされたものに収斂されることなく、無宗教なものとしてあることはとても重要なことだとは思う。