兄の写真

 今日は葬儀屋と打合せを行い見積もりを出してもらった。あわせて葬儀のだんどりなどについても説明を受けた。昨晩、兄の写真をといわれていたのだが、自分の家には最近の兄の写真などはまったくない。いろんな写真を引っ張りだしてみたが、25年前の自分の結婚式の集合写真くらいしかなかった。念のためスキャンしてトリミングしてみたが、粗いし25年前となると今の姿とは程遠いものがある。

 そこで日中、兄の家に行き写真とかがあるか探してみた。でも写真の類はほとんど見当たらない。そこで保険や年金などの書類もある程度整理した。そうした書類の中に兄の履歴書が二通でてきて、写真がきちんと貼ってあった。証明写真を拡大するというのもなんだなと思いつつも、とにかく割と最近のものはこれしかないので致し方ないかとも思った。

 葬儀屋では見積もりを確認した。履歴書の写真で問題ないということだったので、履歴書ごと渡した。最後に兄に焼香して帰ることにした。帰宅して今朝がたひっぱりだしたアルバム類をかたずけていると、大昔の写真、横浜の山下町に暮らしていた60年くらい前のアルバムが何冊か出てきた。その中には昭和20年代から30年代にかけての平凡な庶民の幸福な記録があった。父も母も若く、そして兄は本当に可愛いらしい子どもだった。

 兄が生まれてから小学生に上がる頃までの写真はたくさんあった。7つ下の自分が生まれる前、兄が父と母にどんなに愛されていたかがアルバムの中には記録されている。父と母もまだ睦まじくしている姿が写っている。戦争が終わり、庶民が平和の中、小さな幸福を紡いでいる、そんな風景が記録に残っている。

 まだこれから葬儀や兄の遺品の整理、様々な事務手続きを行っていかなくてはならない。多分、感傷に浸っているような時間はないかもしれない。でもこれから、少しずつ兄のことも書いていきたい。多分。兄のことを記憶し、記録できるのは自分しかいないのだから。少なくとも70歳の生涯を終えた兄のことを憶えていくこと、それが自分にできる唯一のことなのだろうと思う。

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 1954年11月とあるので兄は5歳くらいか、飛行場をバックにした兄は多分小学生くらいだろうか。

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 右にいるのが兄、みこしを担ぐようにしているのは多分、自分である。我が家が平和で安穏としていたおそらく最後の頃だと思う。