墓参りと墓誌

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 午後遅くに墓参りに行って来た。

 1月に兄の納骨に訪れて以来になる。3月の彼岸はそれなり人出もあるだろうと避け、なんだかんだで連休明けになった。

 神奈川の山間にあるこの公園墓地に墓を買ったのは父が亡くなったときだから、かれこれ35年。年に1~2回とはいえずいぶんと来ているんだなと改めて思ったりもする。

 墓に水をかけて簡単に汚れを落としながら裏の墓誌をを見てみると、経年で読みにくくなった父と真新しい兄のそれなどちょっと手が止まる。

父  1986年10月18日没 63才

祖母 1996年 2月27日没  98才

兄  2020年12月 6日没     70才 

 父が死んで35年、祖母が死んで25年、兄が死んで半年。そして60年前に離別した母が3年前に亡くなったことも兄の死で謄本等を取り寄せたときに知った。

 自分の身内は自分を残してみんな鬼籍に入ってしまった。墓誌を見て改めてそれを確認してなにか無性に淋しい思いになった。

 父は自宅の風呂場で倒れた。祖母が会社にいる自分に電話をしてきて、自分が会社から救急を呼んだ。電話ごしに遠くから聞こえてくる救急のサイレンの音、祖母が大声で叫んでいる声など耳に残っている。父は病院搬送され翌々日未明に亡くなった。ベッド脇に自分がいて、だんだんと呼吸がゆっくりとなっていくのを見ていて医師を呼んだことなど今でも鮮明に覚えている。

 祖母は特養にいて肺炎になり病院に移送された。医師からは年齢的に厳しい、そのうえで延命治療をするかどうかを聞かれ、特にしないでいいと応えた。医師は一両日中が山と説明してくれたが、それから一週間近くベッドで眠り続けた。こちらもなんとなく緊張感が緩んできた頃、仕事から帰ると病院からの留守電で亡くなったことを知った。

 兄は糖尿からくる足指の壊疽と火傷による入院から一週間、コロナの影響もあり見舞いもままならない間に急変した。夜遅く、病院から急に心肺停止になったという連絡があり急遽かけつけた。医師が心肺蘇生を試みていたが、自分が病室に入ると別の医師から状況と望みが薄いことの説明を受けた。自分はわかりましたと告げ、延命治療は終わった。

 父の死はある意味本当に突然訪れた感じだったが、祖母と兄についてはなんとなく覚悟はあった。自分も還暦を遠に過ぎているし、身内の死とかについてもそういうものだとどこか覚めた思いで受け止めている部分もある。それでも墓誌の見ていると、本当に残されたのは自分だけだということが妙にリアルに実感された。

 特に血がどうのというような思いはないが、血を分けたうんぬんということでいえば、自分と血の繋がった身内はもう子ども一人ということになる。記憶に残る身内、父、祖母、兄はもういない。60年前に離別した母についての記憶は一切ない。母はアルバムに残る10数葉の写真の中にだけ存在していた。

 人間はこうやって歳を重ね、様々なものを喪っていく。さらに歳を重ねるにつれてその記憶も薄れていくのだとは思う。昔、老人ホームに入った祖母に会いに行ったときに、若い頃のことをいろいろ聞いたことがある。断片的な思い出を語ってくれたこともあるのだが、祖父のこと、父が子どもだった頃のこと、古く横浜のことなどなど。その中にはあまり思い出したくもないこともあったのかもしれない。ある時祖母は「みんな忘れちゃった」とあっけらかんと言った。いつかそうした昔語りの機会も少なくなっていった。

 多分、自分もまたみんな忘れてしまうのだろうとは思う。でも、父、祖母、兄のことを出来る限り記憶に留めておく、多分それが残された自分に出来ることなのかもしれない。無味乾燥な墓誌の二行の記載、それを肉付けするのは残された身内の記憶だけなのだから。