墓参り

 年の瀬、墓参りに行って来た。

 早いもので兄が逝ってから二年が経った。命日が6日だったので、本当はその前後に行ければと思っていたのだが、なんとなくバタバタとしていて・・・・・・。

 二年前、9月に仕事を辞めた。64歳、任期を一年残していたが、仕事への意欲が急速に失われていた。会社の業績はさほど悪くはなかったが、親会社の都合で会社をたたむことが決まっていて、そしてとてもじゃないが清算業務を引き受ける気にはなれなかった。業務の引継ぎや引継ぎ先の会社との折衝、システム構築、従業員の再雇用などなど。多分、半端ないストレス抱えるだろうし、それ以前に会社をたたむことへの諸々の責任もあった。

 会社を辞める数ヶ月前から兄の病状が急速に悪化した。入退院を繰り返し、片足の親指の壊死による切断。腎不全、糖尿病、そして心臓にも爆弾を抱えていた。会社を辞めたとほぼ同時期から、兄の世話をするために週に何度も兄の家に行くようになったし、通院や入退院にもつきあった。病状の悪化、退院しても今後一人で生活をしていくのが次第に難しくなってくる。

 とはいえすでに妻の介護をしていて、さらに兄を抱えるのも難しい。年初の介護認定では要支援だったが、再度介護認定をお願いして介護度はたしか2になった。兄を受け入れる施設を探し始めてもいた。でも、とても年金だけでどうにかなるようなところはなかった。ある意味、途方に暮れる日々が続いていた。仕事辞めて正解だったなと思ったりもした。

 11月の中旬、兄は家でカップ麺をひっくり返して足にやけどをした。状態はかなり悪かったが、腎臓病の主治医からはすぐに入院は難しいとのことで、入院が決まるまで自宅で訪問看護師などに対処してもらって入院を待つことにした。さらに病状は悪化し、外科医に診てもらったところすぐに入院が決まった。それからジャスト一週間、状態が急変しあっけなく逝った。直接の死因は敗血症ショック死だった。

 年末年始にかけて、葬儀やら遺品整理やら、様々なことを一人でこなした。部屋の片づけ、もともと生活破綻していた兄を住まわせるために十数年前に自分が購入した古い団地。遺品を整理し、そのほとんどを処分した。それから団地の売却まで。

 子どもを別にすれば、兄は自分にとって血を分けた唯一の肉親。7つ年上でビートルズもジャズも兄の影響で聴き始めた。小学校の低学年の頃、兄と二人で「ヤア!ヤア!ヤア!」を観に行ったことを今でも覚えている。併映していたのは「アイドルを探せ」だったか。ロックを聴き始めた中学生の自分に、「もっとブッ飛ぶのがあるぞ」とコルトレーンを聴かせてくれた。ジャズ喫茶に通い始めたのも多分兄の影響。

 人間、死ぬときはあっけない。36年前父は風呂場で倒れ、意識不明のまま二日後に亡くなった。63歳だった。祖母は98まで生きた。特養に入っていて、風邪をこじらせ肺炎となり入院。これも意識のないまま亡くなった。入院した翌日だったか、医師から1~2日が山と告げられたがそれから一週間くらい生きた。最後の方では医師も首をかしげるくらいだったが、明治女の生命力の強さみたいな部分もあっただろうか。

 今、墓には父、祖母、兄の三人が入っている。いずれ自分も入るのだろう。山を切り崩して作った斜面に造成された公園墓地。墓から見える山並みの景色はこんな感じだ。墓に入った死者は日々こんな風景を眺めている。