兄が急逝した

 昨日は妻の散歩に付き合ったり買い物に行ったりして、なんとなく疲れていたのだろうか、夜の8時すぎには自室でうつらうつらしていた。急に携帯が鳴りあわてて取ると、兄が入院している病院からで、看護師が慌てた様子で兄の状態が急変し、現在心肺停止状態だという。すぐに来てもらいたいとしたうえで、どのくらいかかるかと問われたので、30分くらいと答えてから支度をした。

 妻には病院から緊急の呼び出しがあり、兄が重篤だと伝えすぐに車に飛び乗った。考えてみたら夕食の支度をするのに、ちょっとだけ休むといって自室に来ていたことを思い出した。夕食は友人からもらった自家製ケチャップがあるので久々にオムライスを作るつもりだった。

 病院につくとすぐに集中治療室に案内された。そこでは若い医師が懸命に心臓マッサージをしていた。その横には入院をすすめてくれた整形外科の医師がおり、少ししてから兄の状態を説明してくれた。急変した理由は、足の動脈硬化が思った以上に深刻な状態だったという。現在は心臓マッサージでかろうじて心拍があるが、やめるとすぐに停止してしまう。手の施しようがないという。自分としては、医師の判断に委ねる以外しかたがないと思い、処置については医師におまかせすると答えた。

 それから若い医師は心臓マッサージをやめ、整形外科医は兄の状態を確認して臨終を告げた。9時5分のことだった。

 その後、28日に入院した後、病院からの説明が特になかったこと、そのうえでどうして急変したのかを改めて聞いた。医師からはとにかく足の壊死した部分が思った以上に悪く、親指を切断したばかりの右足はさらに膝下あたりからの切断が必要な状態だったが、心臓の状態も悪く手術に耐えられないということだった。これについては心臓外科医にも確認をしたという。さらに透析においても酸素療法などを行ったが、効果があまりなかった。そうしたなかで急激に状態が悪化したという。

 なんとも要領が得ないのだが、後で死亡診断書の直接死因には敗血症性ショック、その原因としては両足糖尿病性壊疽、糖尿病、慢性腎不全とあった。兄はさらに心臓の状態が悪い。さらに左足の火傷も悪化していた。おそらく壊死した部分か火傷から細菌感染して敗血症となったということなのだろう。そういう意味ではいつ急変してもしょうがない状態だったのかもしれない。でも、病院にいれば、入院していれば少なくとも自宅にいるよりは安全と素人考えで思っている部分もあった。

 それから看護師よりすぐに葬儀屋の手配を促され、葬儀屋のリストをもらった。それをみながら、自宅から徒歩10分くらいのところに葬祭場があることを思い出し、ネットで検索して電話をしてみた。その電話は葬儀屋を紹介するサイトで、そこを通じて葬儀屋に連絡がいくというものだった。それでもしばらくするとこちらが指定した葬祭場から連絡があり、1時間以内で病院に行けるということだった。

 その後は病院の霊安室に移動し、そこで兄の遺体と自分だけで小一時間を過ごした。どうしてこんなことになったのかという思い、そして自分にとって唯一の肉親を失ってしまったことの寂しさがじょじょに自分の気分を覆ってくる。母とは60年近く前に離別し、父は30年以上前に亡くなっている。祖母が25年前に亡くなり、自分にとっては兄だけが血を分けた肉親、そういう存在だった。

 ここ10年、様々な形で兄の面倒をみてきたこと、そしてここ数ヶ月、急激に状態が悪化して入退院を繰り返す兄のサポートを続けてきた。そのことについての考えはほとんど頭の中によぎることはなかった。ただただ、近しい肉親がいなくなってしまったこと、そして生命を失った遺骸が自分の前にある、そういうことだった。

 葬儀屋は思ったよりも早くやってきて、事務的に兄の遺骸をストレッチャーに移し替え車に乗せた。医師と看護師と自分がそれを見送った。葬儀屋には兄の私物を兄の部屋に置いてからそちらに伺うと話した。

 それから兄の私物、紙袋2つと病院でもらった大きなビニール袋2つを車に乗せて兄の住んでいた団地に持って行った。大きな荷物4つをもって5階まであがるのはけっこう難儀だった。荷物は玄関口に置いてすぐに出た。とにかくすぐに葬儀屋に行く必要もあり、荷物の整理などする時間もなかった。

 葬祭場の待合室で葬儀屋の担当から葬儀のプランなどの説明を受けた。兄の交友関係もわからないが、おそらく埼玉で知人、友人は少ないだろうと思った。そして自分も兄のことで自分の知人たちに連絡するつもりもなかったので、ごくごく少数の家族葬にすることにした。通夜のない告別式だけのプラン、小さな祭壇が用意されるだけというものだ。それから兄に焼香して葬祭場を出たときには日が変わっていた。