官製ワーキングプア

 朝日の4面に総合企画として「働くってなんですか 譲れない一線」という連載記事が載っている。

 コロナ禍のなか相談業務などを行う公務員の多くが非正規の職員であるという。その人数は2016年には60万人を超えており、全体の5人に一人が非正規という状況に陥っている。

 財政難をうけた行政改革のかけ声のもと、公務員の数は全体的に抑えられてきた。一方で行政に求められるサービスは多様化している。現場を支えるために採用されたのが非正規の公務員だ。総務省の調査では、2016年には地方公務員のおよそ5人に1人まで増えている。

  バブル崩壊後の所謂「失われた20年」やリーマンショックなどによる構造不況以後、横行した荒っぽい新自由主義的言説のもと、労働者の権利は浸食、制限され続けてきた。「公務員が多過ぎる」、「親方日の丸」、「聖域」といった論が声高に上がり、民間でのリストラの横行、非正規の拡大と軌を一にして、正規公務員の数も減らされ続けてきた。

 新自由主義者、人員削減論者の主張の中心は無理無駄を省くというわかりやすいものだ。そして人員削減、民間への移譲によりサービスは向上するというのが彼らの主張だったが実際のところは、労働者の賃金は減り、雇用の不安定により生活レベルは下がりつつある。それと共にサービスもとても向上しているとは言い難い状況になっている。

 また、職員や社員の非正規化は、正規と非正規の間の分断を助長している。分断統治は企業にとっても、国にとってもやりやすく、また労働者の団結権を破壊し、権力に対して対峙させることが阻害させている。

 非正規労働の拡大は、自民党政権や大企業にとって都合の良いシステムとして確立しつつある。それは戦後日本が一億中流化として民生を向上化させてきたシステムを一気に破壊し、社会を富裕層と貧困層に大きく分断させてしまった。

 社会の無理無駄を省く、国や自治体の財政難によるサービス低下には自助を、自己責任論を声高に主張し、とにかく公務員叩きを行う。そういうイデオローグが自民党大阪維新の会などによってさかんに喧伝されてきた。

 会計年度任用職員」という新制度が今年4月にスタートし、非正規にも賞与などの手当が払えることが明確になった。それでも、不安定な立場は変わらない。公務員は民間のような雇用契約ではなく、非正規労働者を保護する枠組みの外にいる。通算5年を超えれば無期雇用へ転換を要求できる「5年ルール」も適用されない。

  こうした非正規職員には正規職員の間で広く認められている様々な権利がまったく認められていない。

① 昇給制度が整備されていない

② 採用の更新回数に上限がある

③ 採用期間が細切れで不安定

④ 専門職でも賃金が低い

⑤ 民間で認められた無期雇用への転換ルールが適用されない 

  そのうえで公共サービスはどんどんと低下している。公共図書館は予算をどんどん削減されてきており、その運営は指定管理業者に委託されている。高度な専門職でありレファレンス業務を担うはずの図書館司書は時給1000円程度のパートアルバイトになってしまった。これらも官製ワーキングプアの流れにそっている。

 手前みそになるが、自分が経営者だったときに、それまで派遣社員でずっと続けてきた人たちを直接雇用させた。ある意味、法律の流れに沿ってのことだったが、最初は非正規の嘱託社員、それを多用な正社員として準社員という制度を作り無期雇用に転換し、最終的には正社員にした。

 もともと給与が低い中小零細企業だったが、とにかくも雇用に関しては非正規よりは安定したとは思う。ただし退職金の試算をしたときにその数字に驚愕したことがある。派遣とはいえ、ほぼ専門職として働いていたので長い人は20年近い勤務の方もいた。法律の改正により、派遣、請負、業務委託、派遣と変遷してきた。それ自体も問題だったとは思う。そのうえで正規社員となった時点からの計算だと退職金の金額は驚くべくほど安い。同じ25年勤務の正社員と比べればその差は圧倒的だ。

 その試算を部下に見せると、「いわゆる非正規問題ですね」みたいにしれっと言われたのを覚えている。正規社員からすれば、単に入ったときの違いでそれはただの運不運みたいなものとして隅にかたずけてしまう程度のことなのかもしれない。しかし当事者だとしたらどうか。

 もしも効率重視で正規職員の非合理性や特権を声高にあげつらうのであれば、いっそのこと全員非正規にしてしまえばいいのだ。それは大企業経営者や保守政権の権力者の本音かもしれない。しかしそんなことをすれば既得権益は失われ、社会は一気に不安定かする。多分、封じ込められていた階級闘争が復活するかもしれない。

 だからそんなことを支配層は絶対にしないだろうと思う。既得権益を確保したうえで国民を分断統治する。それが手っ取り早いやり方だ。そのために正規、非正規の格差はどんどん広がっていくし、非正規は増えていくだろう。

 正規になるには努力をした、きちんと勉強をし試験を受けてきたということが喧伝される。しかし十分な試験勉強ができるのも経済的余裕があればこそである。すでに試験という入り口に立つだけでも不合理な格差の影響が生じている。さらにいえば、正規になるにしても様々なコネという見えない媒介がある。

 世の中なんてそんなもの、しょせんは公平性なんてものは絵空事。そんな虚無的な言葉がまかり通ってしまう。しかし社会は建前であっても公平性が重要視されなくてはいけないし、公的サービスを自助努力によって補うみたいな社会では、十分な生活していく権利、教育を受ける権利は失われていく。

 非正規の拡大をなんとかしないと社会はどんどん衰退していくように思う。