配属先は「追い出し部屋」〈限界にっぽん〉

http://www.asahi.com/business/intro/TKY201212300470.html
赤字にあえぐパナソニックグループに、従業員たちが「追い出し部屋」と呼ぶ部署がある。
 大阪府門真市パナソニック本社から遠く離れた横浜市の子会社。工場などがたつ敷地内のビル「S10棟」5階にあるその部屋は、看板もなく、がらんとした室内に100台ほどの古い机とパソコンが並ぶ。そこに、事務職の女性が配属されて3カ月がたつ。
 おもな仕事は、ほかの部署への「応援」だ。「要請があれば駆けつけて、製品を梱包(こんぽう)する単純作業などをこなす」。応援要請がないと、することはほとんどなく、終業時間が来るのを待つしかない。
 様々な部署からここに、正社員113人が集められた。この女性のように、働き盛りの30〜40代までもが対象だ。
 配属されて最初に受けた「研修」では、自己紹介のやり方を見て、みんなが「だめだし」をするグループ討論をさせられた。
 初めての「応援」は、携帯電話の箱詰め作業。入社以来初めて、「Panasonic」のロゴが袖に入った作業着を身につけた。他工場から持ってきたベルトコンベヤーの横に並び、30秒に1個、流れてくる携帯電話を段ボール箱に詰める。これまでは主に非正規の社員がやっていた仕事だった。
 「私の人生、変わってしまった」。その後も、他部署の仕事を手伝う日々だ。
 この部屋の正式名称は「事業・人材強化センター(BHC)」。女性が働く会社には今年8月できた。
 その少し前に上司に呼ばれ、「今の部署に君の仕事はない」と告げられた。会社が募集する希望退職に応じるか、「BHC」への異動を受け入れるか。
 数日迷った末に、子供のことを考えて「残ることにしました」と告げた。すると上司は「BHCに行っても、1年後どうなるかわからない。このことは理解しましたね」と念を押した。
■会社「退職強要ではない」
 朝日新聞が入手した内部資料によると、BHCが今あるのはパナソニックの子会社2社。在籍者リストには計449人の名前が、肩書などとともに記されている。両社の全従業員の1割弱にあたる人数だ。
 BHCについて、会社側は社員向けに「新たな技能を身につけてもらい、新しい担当に再配置するための部署」と繰り返してきた。だが社員たちには「余剰人員を集めて辞めるように仕向ける狙い」(50代社員)と受け止められている。
 これについて、パナソニック本社は「(会社を追い出すためだというのは)受け止め方の違い。会社として退職を強要するものではない」(広報グループ)と説明する。
 子会社2社のBHCから、別の部署やグループ内の他社に「転籍」できた人は数十人いる。ただ、9月末までに32人が退社し、転籍した人より多いという。
 BHCを最初に設けたのは数年前、パナソニック本体の半導体部門だった。「以前は余った人員を他部署で受け入れることもできたが、韓国や中国企業との競争激化でその余裕はなくなった」(パナソニック本社広報)という。「余った人員」が集められているのが、BHCというわけだ。
 製造業の「国内回帰」を引っ張ってきたパナソニック。だが海外勢に押され、2年続けて巨額の赤字を出す見込みだ。
 つい最近まで安定していた大企業ですら雇用を支えられなくなり、就職氷河期を勝ち抜いて正社員の座をつかんだ30〜40代にまで人減らしが及ぶ。会社に見切りをつけて新天地を求めようにも、良い働き口はない。辞めるに辞められず、仕事がある部署への転籍もかなわない「社内失業」が増えていく。
 今年、急な経営悪化で人減らしを打ち出す大企業は相次いだ。創業100年で初めて大がかりな希望退職を募ったシャープ本社でも10月、大阪府内に住む40代の男性は上司にこう言われた。
 「この職場にいても、ポジションはありません」
 「ちょっと待って下さい。これじゃ指名解雇じゃないですか」。頭が真っ白になった。
 グローバル競争が激しさを増すなか、働き手が揺さぶられている。政府の支援を受けた新興国の企業が台頭し、欧米も「雇用の創出が政府の仕事」(オバマ米大統領)と国をあげて対策に乗り出す。「雇用は労使の問題」と企業まかせにしてきた日本の限界が見えてきた。「限界にっぽん」第2部では、日本が抱える難題と向き合う大阪を主な舞台に、雇用と経済成長をめぐる政府の役割や責任を考える。
【千葉卓朗、横枕嘉泰】

晦日の朝日朝刊一面の記事である。大きな記事ネタがなかったのだろうが、年の瀬に暗い暗い記事である。年末、大晦日の記事は新年に向けて明るい記事をもってくるか、景気が悪い等の世情によっては暗い記事をもってくるかなんだろうが、みごとなまでに暗い記事である。日本経済の優等生であったはずの、しかも創業者松下幸之助の家族的な経営哲学によってか、社員を大事にする会社のイメージが強かったはずのパナソニックにしてこういうシビアな現実である。
退職強要でも指名解雇でもないとはいうが、こうした仕事を与えない形で社員を干していく陰湿なやり方は、けっこう以前から様々な企業で行われていたはずだ。出社しても仕事は一切なく、狭い個室に缶詰にして業務改善レポートという名の反省文を毎日毎日書かせる。私語は一切禁止どころか他の社員と一切の交流をさせないところもあるとか。
当然そういう処遇に長期間耐えられるわけもなく、心が病むか、その前に会社の思惑通りに退職していくみたいな結果となる。何処でも行われていることが、パナソニックソニーといった大企業でも行われるようになったということ。それだけ日本経済の状況は深刻度を増しているということになのだろう。
一方で記事にもあるように、雇用を企業まかせにしていればいいのかという問題もあるにはある。広義では雇用創出は政府による様々な経済政策、社会政策によるところが大きいだろう。古くは大恐慌からの脱出のためにルーズベルトがとったニューディールなんかもそういう意味合いだろう。かっての社会主義経済諸国がとった計画経済にも雇用創出という側面もあったのだろうとも思う。
しかしそうした大きな政府による様々な諸策も現在では多くの場合批判にさらされる。財政投融資による有効需要の創出とかはたいていの場合、巨大な財政赤字を伴うともなにかで読んだこともある。それに対して小さな政府派はというと、楽観的にすべてを市場にまかせればとのたまう。かっての「神のみえざる手」は、現代においては市場による合理的な調整機能という形で現出しているということなんだろう。
本当だろうか。たぶんそれはありえない。市場はあくまで際限なく剰余を求めていくのだろうし、雇用なぞ副次的なものでしかない。利益のためには軽く国家の垣根を飛び越えて、より安い労働力に、あるいは機械化、自動化等により徹底したコストカットを行っていく。企業には社会的責任などという概念、あるいは倫理的志向性などはありえないのだ。どこぞの経済界のボスが「原発がなければ電気代があがる。そうなると安いエネルギーを求めて企業は国の外に出て行く。よって空洞化が生じる」などとほざいていた。そこには日本経済の牽引する大企業群のトップとしての社会的責任など皆無なのだ。
この朝日の記事についてはtwitterでもかなり話題になっているようだが、中には企業寄りの立場から「日本の厳しい解雇規制を緩和しては」というような発言もでているようである。
確かに日本でかなり厳格な解雇規制がある。企業が恣意的な形で労働者を解雇することを厳しく制限している。ある部分一度正社員を雇ってしまうと、クビにするには並大抵でない労力が必要になる。でもそのへんを緩和したらどうなるか、たぶん企業はやりたい放題になるに決まっている。自分自身、零細企業の一応経営者のハシクレではあるけれど、確かに一旦そのへんの箍が外れたらと思わないでもない部分もある。基本、従業員の生活を維持していくことを出来るだけ一義的に考えようとしているつもりではあるけれど。
しかしいったん市場主義に身をゆだねてしまえば、究極の部分でいえば利潤追求と株主への配当だけを一義的に考えていけばいいということになる。経営者に求められるのは社会的責任でも、従業員の生活でもないということになる。
ただ思うのは日本経済の優等生だった白モノ家電の大企業たちのここにきての急速な業績悪化である。パナ、シャープを筆頭に、ソニーNECなどみなあかん状態になっている。でも一方でお隣のサムソンはもはや企業の収益性でいえばトヨタに匹敵するとかいう話だし、もちろんアメリカのアップルを筆頭に勝ち組も数多あるわけで。それを思うと結局、日本企業は舵取りに失敗したんだろうとも思う。
そうなると経営者の責任が問われちゃうのだが、きちんと敗軍の将としての責務を果たしているんだろうか。大企業の経営者とかだと、えらいこと退職金もらったうえでさらに役員退任に際してはさらに退職慰労金なんかもらってないだろうね。自分達はえらいこと金を引っ張っておいて、社員には「追い出し部屋」だったら救われないと思う。
同じように収益をあげるために海外に生産拠点を移して、雇用を破壊して、産業空洞化させて、その挙句に収益構造を改善しました、株配当しましたで、役員報酬アップなんていうのもしんどいところだ。
でもそれこれも市場にまかせるということの結末なのかもしれないのだろうけど。
正月になんとなく考えていたのはそんなことだったりもする。