奥多摩湖と小河内ダム

 玉堂美術館の後、そのまま奥多摩の方に足を伸ばすことにする。

 411号線を上っていくコースだ。ここは大昔、多分20代の頃に会社の同僚たちと遊びに来たところだ。仕事を終わってから車でこの道を走った。まだ免許取りたての自分が運転して行ったのをよく覚えている。暗い夜道でどこが宿かを探しながら運転した道だ。多分、このへんだろうと曲がったら運よくすぐに宿についた。もうかれこれ40年近く前のことだがその時の雰囲気とあまり変わっていない。

 それから奥多摩周遊道路に逸れて奥多摩駅周辺で411号線に戻りしばらく行くと小河内ダム奥多摩湖が眼前に広がる。このあたりは車だとだいたい通過していくことが多い。長野や名古屋方面に向かうときに中央高速が大渋滞していると、ナビがこの道を案内することが多い。

 奥多摩の記憶というと、父が昔、何度かこの辺に連れて行ってくれたのを覚えている。多分、自分が小学生か中学生くらいの頃だったか。青梅線に乗り、最後はバスでこのあたりへやってくる。そういうことだったろうか。50年以上前の記憶だからなんとも覚束ないのだが、このへんとか秩父長瀞とかにごくたまに父は子どもを連れて行ってくれた。兄が一緒の時もあったが、たいていは自分一人だった。まあ兄は自分より7つ上だから、自分が小学高学年の頃はすでに働いていたかもしれない。

 父は車の運転をしないので、遠出となるとたいてい電車だった。多分、朝早くに家を出てから電車を乗り継いで行ったのだろう。前から、どこそこに行くと予定をたててということではなく、当日にとりあえずどこかに連れて行ってもらうみたいなことが多かったようにも思う。母とは自分が5歳くらいのときに離別していたので家族でどこかへ行くという記憶はない。そもそも母の記憶がまったくないのだから、どこかへお出かけというのはたいてい父との記憶だ。

 なんでもないそういうことを思い出すのも、ある意味年老いた証拠かもしれない。小河内ダムについたのはもう夕方4時頃だったと思う。妻を車椅子に乗せて湖のほとりから小河内ダムを通って対岸の方までぶらぶらとした。妻はいつも自宅の近所でよく散歩に出るように自分で車椅子をこいで進んでいった。自分はその後ろを景色をみたり、写真を撮ったりしていた。気がつくと妻がずいぶんと遠くに進んでいるのに気づく。

 小河内ダムの上は広い道路上になったいるが、車両の通行は禁止されているので、車椅子で進むのにもちょうどよい。おまけに夕方近くのウィークデイだったので、ほとんど人もいない。気持ちのよい秋の夕刻。これからは土日をさけて、木曜日に妻を連れてこうして近場のドライブみたいなことが増えていくのではとも思った。それを思うと健康は重要だなと改めて感じる。

 こんな風に車で遠出するということが可能なのもあと5年くらいか。70過ぎたらちょっとばかりしんどいかもしれない。そもそもそんなに生きていられるのか。子どもはまあ一人でなんとかしていくだろう。なにも残せないけど、少なくとも借金はない。身体の不自由な妻や、兄のことを思うとそうそうかんたんにはくたばる訳にはいかないのだろうけど、こればかりは神のみぞ知るである。

 とにかく体が動くうちは、今日のように美術館へ行く、少しばかり遠出をする。そういう日々を楽しみたいと思う。だからこそ仕事を辞めたのだから。

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