コートールド美術館展補遺

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マネ「フォリー・ベルジェールのバー」

 今回の企画展の目玉的作品。エドゥアール・マネの最晩年の傑作、マネが印象派にもっとも近づいた作品ともいわれる。あるいは写実主義的名品ともいわれる。バーテンダーの女性を正面から描きながら、その後ろの鏡に映る姿は斜めになっていて、この女性と対j面しているはずの男性の姿が不在。この男性は実際に女性の前にいるのかどうかすら怪しくなる。

 さらには女性の前のカウンターに置かれた酒瓶や花、果物は、女性と同様に見事なほど精密描写されている。なのに背後の鏡に映った姿は省略され、写実とは無縁である。この絵には様々な仕掛け、象徴性がその技法とともに描きこまれているのではないか。実際、この絵には様々な解釈がなされている。

 バーテンダーの女性の虚ろな表情についていえば、この有名なバーのバーテンダーは実は娼婦であったというのが定説で、客に値踏みされる女性の不毛な心象風景がそのまま表情に表出されているという解釈が多い。

 女性の着ている黒いドレスには、マネの特徴ともいうべき黒の表現がその集大成のように見事に活かされている。それにしても正面を向く女性やカウンターの静物群と鏡に映るそれらの位相が大きく異なり、ゆがんだような感覚がある。これをセザンヌばりの多視点的表現とするのは言い過ぎだろうか。

 さらに女性のウェストが極端なほど細い。鏡に映る姿とは違い過ぎる。これはどういうことなんだろう。正面を向く女性=実像、鏡に映るもの=虚像のはずなのだが、ここにはそれが逆転しているような気さえする。本来の女性、生活に疲れたバーテンダーにして春をひさぐ娼婦の実像は、どうも鏡に映った後ろ姿のほうがリアルだ。

 ひょっとするとこの絵には画家の心象と写実が、正面を向く女性やカウンターの静物、背後の鏡に映るものとの間で錯綜しているのかもしれない。あるものは鏡の中に実像があり、あるものは正面を見つめる画家の視線の先に実像がある。

 不思議な絵である。そしてこの絵のリアルを観ることができたことを素直に喜びたいと思う。マネの絵は様々に観てきた。しかしこの「フォリー・ベルジェールのバー」はやはり自分にとってもベストな作品だとは思う。この絵は今回の企画展の目玉であるとは改めて思う。

 そしてセザンヌの「カード遊びをする人々」である。

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セザンヌ「カード遊びをする人々」

 これもまた目玉作品の一つだ。そしてセザンヌを代表する作品でもある。同じモチーフの作品は他にも数枚あり、特にオルセーのものが有名だ。また別ヴァージョンの一番大きな作品は2011年にカタールの王室が購入したという。その価格は2億5千万ドルから3億2千万ドルともいわれていて、絵画史上でももっとも高価な絵の一つと言われている。

 渋い色使い、構図の妙といい傑作といわれているが、左側のパイプをくわえた人物はセザンヌの視点から極端なほどデフォルメされている。まず胴体に比して頭が異様に小さい。さらにカードを持つ手は妙に長く、腕のつけ根部分も、通常の肩よりもずいぶんと下がったところにある。狙ってやったことなんだろうが、例えばセザンヌをあまり評価していなかった故大橋巨泉あたりだったら、セザンヌは致命的に絵が下手と酷評したかもしれない。

 とにかく不思議な印象をもたらす変な絵である。しかし自分はこの絵の前からすぐに立ち去ることができなかった。この絵を凝視し、なにかしらのセザンヌの意図を理解することができないか、絵が語るかもしれない言葉をずっと待ち続けるのだ。

 もちろん凡庸な鑑賞者でしかない自分には、なにも聞こえてこないのではあるけれど。