西洋美術館へ行く

 今年初めての上野西洋美術館である。ここ数年、美術館の初詣はここみたいな感じで、最初に訪れるのは西洋美術館だった。自分のもっとも好きな西洋絵画のコレクションが最も充実している場所という意味で、ここがベースになると勝手に思っている部分がなきにしもなのだ。

 それが今年に限ってはなぜか東京冨士美術館が最初になってしまい、2月に上野を訪れた際にも長期休館だったということで3月まで訪れることができずにきてしまった。

 今回、特別展をやっているのはこの美術館の設計者でもあるル・コルビジェの企画展である。「ル・コルビジェ 絵画から建築へ-ピュリスムの時代」。

 

lecorbusier2019.jp

 通常、企画展は本館地下で行うのだが、今回の展示は本館をまるまる使っている。以前、「スケーエンの芸術村展」は新館の一部を使ってやったことがあるのだが、本館での展示というのは始めて。まず入ってすぐの1Fにはコルビジェが設計した建築物の模型が展示してある。そのまま階段を上ると、いつもなら常設展時されている14世紀から18世紀の絵画のスペースがすべて、コルビジェやオザンファンなど関連する作品の展示となっていた。

 さてと、まずコルビジェについてだが正直、抽象絵画という括りでしか理解していない。実際のところ彼の描いた平面的な静物画は自分には理解不能な部分が多い。しいていえばエモーショナルな部分がなく、無機質的な感じが強いので、作品に入っていけない部分が多々ある。ようは観る者の情動を排除するような感じがある。

 コルビジェやオザンファンが唱導した「ピュリスム」についても正直ほとんど理解できていない。

キュビスムをさらにおし進め,機械にイメージを求めた普遍的で純粋な造形言語の創造を目ざした。

キュビスムをさらに純化し、装飾性・感情性を排した表現形態を追求した。

キュビスムをさらにおし進め,機械にイメージを求めた普遍的で純粋な造形言語の創造を目ざした。

・明確な線および形,簡潔な画面構成を強調し,造形言語の純化を企てた。

・装飾に堕したとキュビスムを批判し,機械にイメージを求めて明確・簡潔な抽象造形を目ざす〈ピュリスムpurisme〉を唱える。

 だいたい定義、説明されるのはこんな感じである。ようはキュビズムを批判的に展開して、その装飾性、エモーショナルな部分を剥ぎ取り純化させた芸術運動。その結果として無機質な機械のイメージに近い作品を作り出した。

 彼らのキュビズムへの批判的アプローチにも関わらず、キュビズムの側から運動に呼応したのはフェルナン・レジェだという。今回の企画展の中でもレジェの作品は多数展示されている。当時のレジェは機械的イメージとその分割構成による作品を多数描いており、そのへんで親和性があったともいわれている。

 しかし、コルビジェやオザンファンは当初のキュビズムへの批判的アプローチから、じょじょにキュビズムを評価する側に回る。結果としてピュリスムキュビズムの一派生ジャンルのようになっていくとも。

 また当初、運動に共鳴したレジェはじょじょに機械的イメージからより自然的な形態にアプローチを変えていくとも。

 まあ、このへんは一夜漬け的な感じなのであまり、ちょっとした個人メモとしてだけ。

 新館の方はいつもの回廊にミレーやフュースリ、ブーグロー、それから印象派ピサロルノワールセザンヌ等、さらにはモネの部屋、さらにはゴーギャン、ドニ、ボナール、シニャック、最後は現代絵画の部屋でピカソ、キース・ヴァン・ドンゲンなどなどとおなじみのスペースでほっとしたという感じである。