労基署へ行く

 久々に労基署へ行った。改正した就業規則と賃金規定を提出するためだ。
就業規則改正とか - トムジィの日常雑記
 これでこの案件は終了。就業規則の件で労基署を訪れるのは多分何回目になるだろうか。最初は役員に成り立てのころで就業規則の全面改訂の案件を引き継いだ時。次は定年再雇用の経過措置の頃か、あとは個人情報保護とマイナンバーなんかもあったから、結構な回数になっているんじゃないかと思う。
 会社が人を雇って仕事してもらうにあたってのルール、就業規則はそういうものだ。なので基本遵法、その上で規則にないことは労使共にしないというのが原則となる。なので法律が改正となれば、それに併せて改正は必然。ある意味これは会社やっていく以上はずっと必要なことくらいの意識ではある。
 川越の労基署には昔は毎月通ったところだ。たいていの労基署がハローワークと一緒になっているので、そのハローワークの方。といっても6回も転職を繰り返しているのに、一度も雇用保険のお世話になったことがない。本当に一回もないな。これまでの転職についていえば、いつも自己都合で、次に行くところを決めてからの退職だったから。それこそ大袈裟にいえば金曜日に退職して、月曜には新しいところに出勤してみたいなことばっかりだった。今思えば、少しまとまって休みをとって旅行でしても良かったかなという気がする。
 仕事を変わったといっても書店、取次、出版社3社を経て今のところである。同じ業界、基本的に本の仕事をしてきているので、転職といっても配置転換みたいな感じで、いわゆる転職という意識に欠ける部分もないでもない。
 ハローワークを毎月通っていたのは妻の失業認定。妻が脳梗塞で倒れた後、1年間は休職扱いだったが、いよいよ復帰できないとなって会社を辞めた後、1年間雇用保険をもらっていた。あの時のことを思い出すとけっこういろんな思いが巡る。妻は片麻痺になってしまったが、本人的には会社に復帰したいと考えていた。とはいえそれは身体の障害だけでなく、高次脳機能障害による判断力の低下、病状認識がきちんと出来ていないところからきている部分もあった。不慣れな体でそれこそ3時間くらいかけて都内の会社の近くまで何度か通勤訓練として出かけていったこともあった。
 あのまま会社に復帰したら、多分会社も相当に困ったことになっただろう。建前的には病気を理由に出社を拒む訳にもいかなかったはずだからだ。ただ家族としても通勤補助をする訳にもいかないし、一人での通勤などは出来得ないというのはわかり切っていることだったから、それを認めることも出来なかった。結局、本人に言い聞かせ辞めさせることにした。会社にそれを言いにいった時に、向こうの担当者がほっとする顔だったのをよく覚えている。
 その後、1年間車椅子の彼女を連れて、会社を半休してハローワークに通った。失業認定というやつで、ハローワークに行くのが求職活動になるということで、何度か障害者向けの求人を見せてもらったりもした。とはいえ連れて行く家族の自分も、ハローワークの担当者も基本就職が難しいことは互いの了解事項みたいな感じでもあった。それまで何十年も勤めてきて、かけてきた保険(雇用保険)のいくばくかの返戻金みたいなものとして10ヶ月くらいだったか、通いつめた。ハローワークの後は二人で夕食をとり、彼女を家に連れて帰りその足で会社に行く。妻にとっては一月に一回のウィークデイのデートみたいな感じだったかもしれない。
 そのような妻の病気とその後の諸々の手続きの一つとしての記憶、ハローワークにはそういうのが纏っている。仕事を探している者にとってはここを訪れた記憶は、多分自身の不遇な時期という記憶とセットになっているだろう。私にとってのそれは妻の病気にまつわる記憶だ。いずれにしろハローワークというものは、あまりいい記憶としてはセットされないと思う。