午前中、休みをとって妻と出席する。
三年間、あっという間の出来事だったような気がする。
この学校に決める時のやりとりを昨日のことのように思い出したりする。
元々、子どもはこの学校に入るつもりはなかった。厳しい校則があることで有名だったこともあり、公立校に落ちたときには受かっていたもう一つの私立校に行くと決めていたようだった。ただしこの学校の偏差値は第一志望の公立校よりもやや上なくらいだったし、厳しい校則があるがその分、親として安心できる、周辺ではそれなりの評判のある学校だったので、親としてはこっちへ行って欲しいという気持が強かった。
公立高校を落ちた翌日が入学手続きの締め切り、ここらの私立校はたいていそうなのだが、子どもと一緒に学費の払い込みと入学手続きのために出かけた。途中で、子どもにどちらの私立校に行くかを確認すると、子どもはやはり校則のゆるい学校へ行くという。それで二人で電車に乗り、最寄駅まで行くと。下り電車は田園風景の中を走る。窓に広がる田園風景に後で聞くと、子どもはだんだんと不安になっていったとも。
最寄駅で銀行に学費を払う前に少しだけ話しをしようと駅の近くの喫茶店に入っていろいろと話をした。たぶんなんだかんだで2時間くらいだったろうか。二つの私立校のどちらを選択した場合のメリット、デメリットなど。間に塾の教師に電話してアドバイスを求めたり。
行きつ戻りつの話の末に、子どもはようやく今の学校に行ってもいいということになり、あわてて電車に乗りその学校の最寄駅まで行ってから銀行で学費を払い、タクシーで学校まで行った。そのまま制服のサイズあわせだの、体操着や上履きなどの申し込みなどを駆け足で済ませた。
制服のスカート丈、髪型も細かく決め事があり、携帯電話の使用どころか保持も禁止という厳しい学校だったが、しばらく行くと子どもは意外とそういうのに馴染んでるとか自嘲っぽく話したりもしていた。
部活も吹奏楽を三年間、一応やり遂げた。最後の最後のコンクールになって、補欠になってしまい本演奏もできなかった。でも、裏方の仕事とかも一生懸命やっていた。とはいえ土曜日の部活などはけっこうな頻度、車で送っていったりもした。
9月の学祭までは活動があり、それからやっと大学受験の準備ということで、これはまともな大学へ行けないなと覚悟もしていた。
そんなこんなではあったが、なんとか大学も第二志望くらいのところにもぐりこめた。いろいろあったがとくにグレたりということもなく、まあまあな三年間だったのかもしれない。
子どもは特に感激もなく、泣くでもなく、式が終わると友だちと池袋に遊びに行くといって車に用意してあった着替えを持って早々に出かけていった。
親的にはそこそこの感慨。まあ、そういうものなんだろう。