入学説明会

行くことが決まった高校の入学説明会。子どもと二人で行きました。またしても午前休みをとって。一応立場的にはそこそこのポジション確保しているんで、休む時は休めばいいのし、たぶん一日や二日休んでも特に影響などないはずなのに、貧乏性なのか休めないんだよね、これが。ましてやれ給与の振込みだの月末支払いの総振とかのチェック確認とかもしなくてはとか、あるにはあるのですな仕事が。
説明会はというと学長さんだか校長さんだかの長い長いお話だの、鉄火面のような女性教師のやんわり、ぴしゃり的な厳しい校則の説明だとか、まあ入学前ガイダンスとしては可もなく不可もなく的なことばかりでしたか。
校長さんのお話はというと、よく長くて内容がないだの、堂々巡りだのという話があるのだが、きちんと聞いているとけっこうまともだし、そこそこいいこと言ってますねみたいに思う部分もあるにはあった。試しに手帳にメモつけてみたのだが、「学校は<自分の良さ>を見つけるところ」「学校は窮屈なところだ。その窮屈さは挨拶を厳しく躾られたり、制服の身だしなみであったりする」「こうやって皆さんとはご縁ができた。ご縁ができた以上、きちんと皆さんをお預かりしていく」などなど。
なんだい、まともじゃないと思う。親的にいえば「ご縁ができた以上、きちんとお預かりしていただく」ということになるんだろうな。
子どもには事前に幾つか話しをしておいた。まず校則とかもろもろ厳しいかもしれないが、それを許容できるかどうかは自分次第。まず学校を好きになること。そうすればたいていのことはスルーできる。そうやってスルーする訓練をしておくと社会にでたときにそれは生きていく技術としてきっと役にたつ。厳しい学校は生徒からすればなんて理不尽なということばかりだが、社会に出た遭遇する理不尽さに比べればまったくたいしたことではない。ようは理不尽をただ理不尽としてだけ受け止めるのではなく、その裏の意味とかも考えてみるといい。
実際、理不尽さを強要する先生にも何種類かのタイプがいる。信念をもって様々な理不尽を強いるタイプ。これは手ごわい。その信念に、さらに○十年のキャリアとかが裏打ちされている場合もあり、こういうタイプにはたかだか10数年生きてきただけのガキなどは太刀打ちできない。こういうタイプには好かれる、好きになるというのが一番有功。こういう人の信念の根っこみたいな部分に触れることは長い人生においてはけっこう為になったりもする。
これに対しておよそ信念もなく、ただただ気分感情で理不尽を強要する輩も残念ながらいることはいる。いや、たぶんこういうタイプのほうが圧倒的に多い。教師という特権的な地位をけっこうな確立で乱用してくる。でもこういう人たちは皮相というか人間的には薄っぺらい。ようく人間観察していれば、その薄っぺらさが手にとるようにわかる。社会に出ればそういう薄っぺらい奴ばばかりであることがすぐにわかるようになる。学校は社会の縮図でもあるわけだし、そうやって人間観察し、しょうもない人間に慣れておくのも訓練の一つなのである。
的確にそういうことではないが、趣旨としてはそんなことを子どもに何度か話しておいた。子どもは「わかってるよ」と今風にいえば、ウザそうに答えていた。
説明会が終わって帰るときには子どもに生活指導の先生が話していた例の厳しい校則のことの補足みたいなことで、こんな話をした。
とにかく校則がどうのということで反発するのではなく、一にも二にも慣れること。先生が言っていたように「勝手に判断をしない」「叱れる勇気をもって、正直に言う」のは必要だとも。さらに付け加えたのは、他人のことはチクらない。正直さは自分のことに止めるとも。