重版出来

重版出来! (1) (ビッグコミックス)

重版出来! (1) (ビッグコミックス)

けっこう話題になっているということで興味半分購入した。池袋で友人と待ち合わせまでに時間があったので東武の旭屋で探したら、コミック売り場の割と目立つところにおいてあった。書店員から好感もたれる内容だけに、かなり良い場所におそらく長く平積みされることになるだろうとは思う。
お話は大手出版社(週刊コミック誌をだしているだろうから)のコミック編集部に配属された新人女性社員のお仕事の話。コミックがいかに作られ売られるかをインサイドレポートしている。さらには出版社の営業部の販促のしかけやそれに呼応して書店サイドも積極的に増売に努める様子がリアルに描かれている。ふだんあまり目に触れることが少ない出版業界の内情とかが描かれている点が目新しい。
しかし『舟を編む』の辞典作りにしろ、本についての話とかがなんだか旬なお題になっているんだろうかとも思う。最近は本屋大賞とかで書店が選んだ小説なりがベストセラーになるし、だいたい書店員がカリスマ店員とか、本読みの達人のごとく扱われていたりもするし、なんか昔とは違う状況が生まれているのかと思うところもある。
とはいえ出版業界が斜陽産業であることは変わりはない。実際、業界全体の売上はここ10年で3割以上低減化している。かって1誌で毎号500万部以上の発行部数を誇っていた『少年ジャンプ』でも今は300万部を割り込んでいる(それでも凄いといえばそれまでだが)。
そうかっては雑誌やコミックの売上がこの業界を支えていたのだが、最近の若者のコミック誌離れは顕著である。もうかれこれ10年近く以前だが、出版業界の現象面として若者が携帯電話への依存度を高めコミック等を読まなくなり始めたことが論じられるようになった。その頃の分析としては、携帯の通信料の負担が大きいため、必然的にコミックや雑誌類への出費を控えるというようなものだったか。
現在に至っては、例えば電車の中でコミック誌を読む若者はほとんどいない。若者だけでなく大人でもほとんどが週刊誌類を読んでいない。みなが一様に携帯やスマホの画面を見ている。そういう状況なのである。
そういう時代にあって、コミックを読んでいる人はというと、もはや例のオタクと呼ばれるような人たちか、それに近い部類になりつつあるのかもしれない。本を読む人、コミックを読む人、それらはみなある種の好事家ような少数派なのかもしれない。本を巡る環境はやや誇張すればそういうことになる。だからこそ、本に関する細かい知識だのがミニマム市場としてもてはやされる。そんなところかもしれない。
話は脱線したか。『重版出来』についてだ。この話題はある種の本好き、業界好きには堪えられないだろう。でもそういう題材の部分を抜きにすればただのお仕事頑張るマンものであり、主人公の成長を描く古典的なビルドゥングスロマンみたいなものだ。まあ、ありきたり、目新しいものなし、そういうこと。
この本のタイトル、『重版出来』は「じゅうはんしゅったい」と読むのだそうだ。「出来」=「しゅったい」というのが業界用語だということで、主人公が配属されたコミックス誌編集部でいきなりこの言葉がでてくる。重版が決まったことを喜び編集部の一同が一本締めをしたりもする。
初めてこのコミックを読んだ者がたぶん一様に「ふ〜ん」とうなずいているのが目に浮かびそうだ。出版の世界って面白いなと思わせるエピソード、それをそのままタイトルにもってきたということだ。
ただ思うのだが、私も実は出版業界の末端にかれこれ30年以上いるのだが、この言葉が実は初耳なのである。そりゃ書店、取次、出版社数社と渡り歩いてきただけだから、出版業界というよりも出版流通業界である。それもあまり筋の良いところにいたためしもないので、ウン十年いようがモグリなんとちゃうと突っ込まれれば、そのとおりと素直に認めるようなキャリアしかない。でもあえていうけど「出来」は「でき」だと思う。
書店にいるときに出版社に電話注文したときだって、あるいは出版社で電話注文をとっていたときだって、重版出来は「じゅはんでき」だった。出版社で主に注文センターの運営とかやっていたときには、それこそ数ヶ月でミリオンセラーになった本とかも経験した。それこそひっきりなしに注文が殺到し、オペレーターが1日に200本以上の電話を受ける日々とかも続いたりしたけど、「しゅったい」なんて言葉聞いたことがなかったと思う。
知っている限りじゃ書店や取次と出版社とのやりとりはこんな具合のはずだ。

書店・取次:○○を注文したいんだけど。
出版社:生憎、現在品切重版中です。
書店・取次:出来日(できび)はいつですか?
出版社:重版出来(でき)予定は今月下旬です。
書店・取次:出来(でき)次第、出荷してもらえますか。
出版社:はい、わかりました。

電話注文のパターンは基本的にこれだよ。私が知っている限り書店、取次、出版社いずれも出来は「でき」であって、「しゅったい」じゃなかった。だってヘンだろう、重版出来日を「じゅうはんしゅったいび」とか、出来予定を「しゅったいよてい」とかって。
ちなみに何人か知人(業界関係者)と話をしたのだが、皆が一様に「しゅったい」は言わねえなということだった。もっとも話した相手が書店や出版営業系なので、少しばかり偏った情報になるのかもしれない。今度編集のやつをつかまえて聞いてみようかとも思った。
そこでちょっと推測なのだが、この出来=「しゅったい」はおそらく編集や製作現場と印刷、製本屋のなかだけで使われている言葉なんじゃないのかということ。もともと語義としては江戸時代の版元とかの間で使われていた言葉なんだろうとは思うのだ。なので少なくとも出版流通の場ではほとんど使われることがなかったのではないかと。
ちょっと違うかもしれないが、例えば本の各部分の名称とかも、実は本の流通現場ではあまり使われることがない。編集の場合は、新人の時に一から叩き込まれるようだが(それなりに歴史のある出版社では特にその傾向がある)、これもあまり書店員や取次の人間は実はあまり詳しくない。いやそれだけでなく出版社のほうでも特に営業畑の人間はあまりよくわかっていないのが普通だ。
なので例えば汚損本だの不良本だのの交換依頼とかでもこんなやりとりは実はまずない。

書店:汚損本の交換をお願いしたいのですが。
出版社:どんな状態ですか。
書店:天と小口に少し傷があります。あと表4のちりに剥がれがあります。
出版社:わかりました。すぐに新しいものを送りますので、汚損本は返品してください。

こんなやりとりを少なくとも私は聞いたことがない。なので「重版出来」=「じゅうはんしゅったい」も、「小口」や「のど」「はなぎれ」なんかと同じように、本の製作現場でのみ使われるテクニカルタームなのかなと、まあそんなことを思ったわけだ。