就業規則改定

本日、労基署に提出して業務完了。正社員、嘱託、パート、育児介護休暇既定の4本。正社員、嘱託は去年の4月に全面改訂しているので2年連続。前回は他の役員と毎週会議とか設けて半分勉強会みたいなこともやったのだが、今回はほとんどの作業を一人で行った、資料の収集、条文の整理、社労との何度かの打ち合わせ等々。これだけやっているわけじゃないから、けっこうなオーバーワークだったが、それでも勉強会形式よりは遥かに楽だったかな。持ち回りとかいっても結局毎回レジュメきったり、資料作ったり、議事録まとめたりとか、余計な仕事抱えることが多かったから。
前にも書いたことだが、今回の正社員、嘱託の規則は、4月に改正となった高年齢者雇用安定法と労働契約法のからみ。この手の法律改正にあわせて規則改定とかをきちんとやっている会社ってどれだけあるんだろうなどと思う部分もあるな。もちろん大きなところはしっかりやるだろうけど、うちのような弱小零細はある部分関係なしということなのかなという気もする。
社労はいろいろと資料やらなんやら持ってきて、改定が必要ですよと持ちかけてくる。もちろん金になるからなんだろう。でも本当に必要なことなのかどうか疑問に思う部分もある。法律に即して規則をまとめることは、人を雇って営利活動している以上必要なことだとは思う。でもそんなにきちんと遵法精神で会社やっているところなんかあるのか〜という気もしないでもない。まして弱小零細なのに。
同じように経営に関わっている友人とかと酒飲んでも1月くらいからずっと、けっこうこの手の話題あるにはあった。「どうする?お前のことなんか考えてる」みたいな感じか。対応についても「うちは該当者けっこういるから、ヤバイ。きちんと対応策検討しているよ」とかもあれば、「うちは当分、該当ないからしばらく様子見だな」とか。
今回、改訂を考えたのは、昨年2本改定し、特に社員の規則を全面改訂していたので、それに併せてパート規則も変えざるをえなかったことが大きいか。社労からも基本的な部分は統一する必要があるともいわれていたので、服務規定だの懲罰、表彰、安全衛生などの文言を合わせる必要があったことが大きい。さらにいえば育児・介護休暇規定は2010年に法改正されていたのに、そのまま放置してたから、これも全面改訂しなくてはいけなかった。
そこにもってきて法律の改正なのである。CMの文句じゃないが、「じゃあいつやるのか、今でしょ」みたいな形である種必然に尻叩かれるような思いだったか。高年齢者雇用安定法のからみでいえば、現在雇用延長者は1名、あと2〜3年で数名該当者が出る。そうなるときちんとルールを明確化しておく必要がある部分急務でもあったかもしれないとは思っている。まさしく必然、必要があってのことなのだ。
あわせて今回しみじみ思ったことは、こうした規則の改定は、会社を存続させていくための絵図面作りという側面があるということだ。ようは会社を維持していくためにどういう青写真を描くかということ、たぶんそれにつきると思う。今回の法改正により、実質的に60歳定年制は廃止されたといっていい。ようは年金支給年齢の65歳までの雇用を企業は義務づけられたということ。そういう状況の中でどう雇用のルールを作っていくか。かといって高齢者により働き安い環境作りを進めれば、たぶん若い人の雇用が難しくなってくるだろう。
なにか大層というか偉そうな御託をあげているようだが、やったことは簡単なことだ。これまで雇用延長を嘱託という身分で行う制度だったのだが、これをパートへの転換も可能なようにした。加齢によって週5日勤務が難しくなっても働くことができるようにというのが建前だが、ようは人件費抑制も視野にいれてということだ。
自分自身あと数年でそういう年齢に達するだけに、なにか身につまされるようなことでもある。該当者であれば、なんとも納得しがたいことだろうとは思う。でも立場が異なれば、言うこと、やることは自ずと異なる。学生時代、ウェバーの官僚制とか、ホルクハイマーのフランクフルト学派とかをかじったことがある。その中で裏覚えしているのは西欧思想史の中での自我の変遷過程みたいなことだったか。
確か、神と一体化されていた個人の自我は、パスカル以降、神あるいは世界に対峙する独立したものとして形成されていく。それが20世紀以降、組織に埋没する形で歯車のごとく、組織と一体化した形で独立性を失っていく。ホルクハイマーはそれを機能的自我と定義した、確かそんなことだったか。ようは独立した個人は、変質して組織の中で組織の歯車としてのアイデンティティを形成していく。だから属する組織の中で、アイデンティティがどんどん変節していく。平たくいえば、立場が変わればコロコロと言うことが変わっていく。会社員であれば組織の一員としての言説に終始するだろうし、役職によってまた言うことが変わっていく。
学生時代、そういう変質していく自我だのアイデンティティだのを批判的に問題視して、機能的自我をどう超越していくかみたいなテーマを立ててレポートだかをまとめようと思ったこともあったっけ。それから30数年、到達点としていえば、見事なまでに立場立場での変質した言い分、いや言い訳の類かもしれないな、そういうものをもっともらしく述べているだけだ。
なんというか、遠い目どころか、ちょっと情けない思いもあるな。30数年前の自分がバカで青臭くて、今が分別のついた大人としての処し方であるなどとは思いたくもない。ただただ溜息をつくばかりなのかもしれない。