『ドキュメント福島第一原発事故 メルトダウン』

メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故

メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故

朝日新聞からアエラ編集部に出向している大鹿靖明記者による渾身のレポートである。おそらく福島第一原発事故の全貌に最も肉薄しているのではないか。125人にものぼる関係者への取材から緻密な構成もと福島第一原発事故と官邸の対応、経産省、東電の保身にいたるまでをきちんと描いている。描かれる内容には、あの原発事故の裏側ではこんな馬鹿げたことが起きていたのかと、いちいち得心し、あるいはあきれ返る、そんなことばかりである。
著者はあとがきで、本書執筆の動機をこう語る。長いがそのまま引用する。

3月11日以降、私たちを襲った災厄は、第二次世界大戦の敗戦後「最大級」のものだった。とりわけ12日から15日にかけて福島第一原発が相次いで爆発したのをテレビで見て、私を含めてほとんどの国民−いや全世界の人々−は震えが止まらなかったと同時に、原発が一つ、また一つと爆発していくのに、なすすべもない、あまりの不甲斐なさに驚愕したはずだ。当事者である東京電力経済産業省原子力安全・保安院の、他人事のような記者会見での言い方や、責任回避を優先する小役人的な問答にも呆れ果てたことだろう。
本書の出発点は、まさにそこだった。メルトダウンしていたのは、原発の炉心だけではないのだ。原因企業である東電の経営陣たち。責任官庁である経産省の官僚たち。原子力安全委員会保安院原発専門家たち。原発爆発企業の東電に自己責任で2兆円も貸しながら、東電の経営が危うくなると自分たちの再建保全にだけは必死なおろかな銀行家たち。いずれもメルトダウンしていた。エリートやエグゼクティブや選良と呼ばれる人たちの、能力の欠如と保身、責任転嫁、そして精神の荒廃を、可能な限り記録しよう。それが私の出発点だった。 本書349P

そして福島第一原発事故の深層にせまるべく事実を追い続けた先に本書が導き出したものはなにか。

チェルノブイリと並ぶ人類史上最悪の災厄をもたらした福島第一原発事故で、責任をとらされた人間は、所割官庁の経産省に誰一人としていなかった。原子力安全・保安院を分離して環境省に移管する方針が決まっただけで、あとは、ただの一人も責任を問われた人間はいなかった。みな順当に出世し、世間相場から見てそうとう高い退職金を手にし、順調に天下ってゆく。これだけの事故を起こしても、霞が関のA級官庁、経産省はびくともしなかった。
P347

思い切った改革が必要と誰もが感じているが、誰も改革ができない。経産省と電力業界の作り上げた秩序は頑健だった。
菅内閣は8月30日、総辞職した。  P348

カネとポストでがんじがらめに結びついてきた経産省と電力業界、原子力村は、過酷な原発事故が起きても一切の責任を顧みることもなく、また事故対策のために総てを投げ打つといった意識もまた希薄である。彼らにとって優先されるのは組織の保身と権益のみなのである。
これが多分日本におけるベスト&ブライテストの正体なのだろう。大鹿氏はある意味それを暴き出すことに成功している。そう本書はかってアメリカの最も優秀な選良たるエリートたちがベトナム戦争の泥沼にアメリカを引きずり込んでいく、その一部始終を見事に描き出したハルバースタムの古典的名著「ベスト&ブライテスト」を彷彿とさせる。まさしく日本版のそれといっても過言ではない。
東大出の受験エリートたちが最終的には官僚として自己の権益にのみ走っていく。それが電力との癒着にによって形成される姿は本書316ページで描かれる100人天下りでも明らかだ。ここに出てくる高級官僚たちの天下りの実態を簡単に書き出してみる。

石田徹(元資源エネルギー庁長官)
東電顧問 年収1860万
豊田正和(元経産審議官)
日本エネルギー経済研究所理事長 年収2380〜2720万
林光明(元原子力安全保安院液化石油ガス保安課長)
ヒートポンプ・蓄熱センター理事 年収1500万
古賀洋一(元産業技術総合研究所評価部長)
原子力環境整備促進・資金管理センター理事 年収1174万
稲葉裕俊(元四国通産局長)
海外電力調査会理事 年収20925万
近藤隆彦(元特許庁長官)
新エネルギー財団会長 年収1890万
瓦田栄三(元九州通産局長)
日本立地センター専務理事 年収1200万
山田英司(元中部経産局資源エネルギー部長)
エネルギー総合工学研究所専務理事 年収1600〜1776万
田中隆則(元原子力安全・保安院原子力安全広報課長)
エネルギー総合工学研究所理事 年収1376〜1536万

これはたぶん氷山の一角なんだろう。事故当時の経産省の首脳であった松永和夫事務次官、細野哲弘資源エネルギー庁長官、寺坂信昭原子力安全・保安院長等も8月の人事でそれぞれ6000〜7000円の退職金を得ている。そしてほとぼりが冷めれば、またどこぞの電力系の団体に天下るのだろう。
結局、この国の官僚にはモラルだの倫理意識などというものは無縁だということなんだろう。ましてや国のために身を粉にして働くなどという意識もさらさらない。さらにいえば愛国心などもってのほかなのかもしれない。
結果責任としてそのときそのポストにいたということでの責任、原発事故によって国土が汚染されてしまったことへの罪悪感、もうなんでもいいよ、なにかしら慙愧に耐えないというような思いはないんだろうか。
結局、これは外圧によってしか自国を裁くことができなかった歴史のツケなのかもしれない。今では戦争犯罪という名すら霧散化させようとしている。あれは勝者による敗者への裁きだとかなんとか。でもそれよりも前に、自国民によって、自国を敗北に導いた指導者への責任、けじめをとらせるといったことが必要だったのだが。いかんせんこの国は一億総懺悔とやらで、指導者への責任を棚上げしてしまった。それ以来、この国では指導者、政治家、官僚は一切責任をとることなくきてしまった。そういうことなのかもしれないなと思う。
あとがきにもあるのだが、本書は125人もの関係者に取材したとある。しかし東電関係者や経産省の関係者はたぶん口を閉ざすことが多かったのだろう。取材に積極的に応じたのはおそらく官邸のスタッフだったのだろうと想像する。巻末にある注と情報源の中でも下村健一内閣審議官、福山哲郎官房副長官菅直人元首相へのインタビューもたびたび行われたようである。
それもあってかややもすれば官邸を善とし、経産省、東電を悪とするような描き方が濃くなっている部分もあるのではとも思える。しかし本書以外の関係書を読んでも、ほぼ同様な形で経産省、東電の無責任な対応についての記述を読むことが多い。そういう意味ではあの原発事故を巡る動きの中では官邸は不十分ではあってもかなりベターな動きを見せていたのではないかと思う。
例東電撤退についても、実際菅首相が東電に乗り込まなければ、間違いなく東電は福島第一原発からの撤退を画策していたはずだ。歴史のイフかもしれないが、もし撤退が成されていたら、1号機、3号機に続いて2号機、4号機と爆発の連鎖が続いていたかもしれない。そしてその結果は関東周辺への膨大な放射能汚染となっていたかもしれない。本書では半年後の枝野の言葉としてこう引用している。

「あの瞬間はあの人が首相で良かった」