吉本隆明が死んだんだな

http://www.asahi.com/obituaries/update/0316/TKY201203160011.html
朝日の16日金曜日の夕刊一面にデカデカと出ていた。

 戦後日本の思想界に大きな影響を与え、安保反対や全共闘運動に揺れた1960年代に「反逆する若者たち」のカリスマ的存在だった詩人・評論家の吉本隆明(よしもと・たかあき)さんが、16日午前2時13分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。87歳だった。葬儀は近親者のみで行う。喪主は長女多子(さわこ、漫画家のハルノ宵子)さん。作家よしもとばななさんは次女。
 大学に足場を置くことはほとんどなく、在野の立場から国家や言語について根源的に考察する思想家として知られた。
 東京生まれ。戦時中に米沢高等工業学校(山形県)から東京工業大へ進み、在学中に敗戦を迎えた。卒業後、働きながら詩作を進め、詩集「転位のための十篇」などを発表。1954年に荒地詩人賞を受けた。労働運動で会社を追われた経験もある。
 戦時中に軍国主義に染まっていた自身の経験をバネに、50年代半ば以降は評論でも頭角を現す。戦争協力した文化人の責任を追及した「文学者の戦争責任」(共著)、共産党幹部が獄中で思想的転向を拒み続けた姿勢を“転向の一型態”と断じた「転向論」で反響を呼ぶ。
 60年安保闘争では、抗議する若者たちを支持。既成の革新勢力を批判する「擬制の終焉(しゅうえん)」を発表し、丸山真男ら進歩派知識人への批判者として脚光を浴びた。
 続けて60年代には「言語にとって美とはなにか」「共同幻想論」で、国家や家族、言語などを原理的に考察した。欧米からの輸入品ではない思想を自立的に展開。切れ味鋭い言葉で権威に切り込み、68年の全共闘運動に携わった若者を始め、言論や表現にかかわる人々に強い影響を残した。
 大衆消費社会への批判が高まった80年代には、消費資本主義の持つプラスの可能性を提唱。漫画などのサブカルチャーや広告などにも分析の目を向けた。市井の生活者としての「大衆」の意味を問い直し続けることで、敗戦から経済成長、成熟へと移り変わった日本社会での、ユニークな問題提起者であり続けた。

たぶん、たぶんではあるが、私のような50代半場の人間、あるいはそれ以上の人にとっては、そこそこに感慨深い思想家、批評家なのだろうが、それよりも若い人にとっては、誰それみたいなことになってしまうのではないか。

吉本隆明が死んだんだね」
「誰、それ?」
「えーと、ばななのオヤジ」
「ふ〜ん」

日本中のたぶんミニマムな部分でオッサン、ジイサンとそれ以外の人との間で、こういう会話があったかどうかはわからないが。しかし取り上げ方が私なんかからすると、ちょっと大袈裟というかでか過ぎるのではないかと思わないでもない。吉本って、そんなに凄い奴だったのかと。正直、私なんぞが思うにも完全に過去の人っていう気がしないでもない。
伊豆だかどっかの海で溺れて心肺停止状態になったとか聞いたのがすでに10年近く前になるんだっけ。それ以降、あまり動向聞かなかったし、寝たきりにでもなっていたのかとも思っていた。
87歳、長命だった。そう長生きしたからこそ、戦後思想界の巨人のごとく大きく取り上げられる。そんな気がする。後、やっぱりこの国はまだまだ団塊世代の影響力が強いのだろう。そして団塊世代のある種の人々にはこの人はけっこうな思い入れがあるのだろう。そういう記憶が喚起されて、これだけ大きな扱いされるんだろうとも思う。
私はというと、とりあえず大学に入ってすぐぐらいに一応数冊読んだ、あるいは読んだフリをした。70年代安保の残党がそこそこに散見するキャンパス周辺で、遅れてきた世代の一人として後追いで、細々と続く革新だの、新左翼系だの、市民派だのの組織周辺で右往左往していた。そういう身であるから、諸先輩からけっこう薦められて読んだ記憶がある。
でもね、難解過ぎた。正直何が書いてあるのかわからんかったわね。それでもなんとなく判ったような気がしたのは、例えば『共同幻想論』であり『言語美』あたりだっただろうか。でも今思うと、けっこう借り物ぽかったんじゃないのと思ったりもする。『共同幻想論』はある意味国家論のオリジナルな展開なんだけど、例えばヘーゲルの批判のうえに構築したマルクス国家論にフロイト的な精神分析の概念を織り交ぜてもっともらしく展開しただけのような気もしないでもない。
でもマルキシズム精神分析の概念を融合させるなんていうのは、確かフランフルト学派がとっくに手をつけていたっけ。ようは国家論という政治性の強い論理が向こう受けしただけのようにも。
『言語美』も様々な言語学の概念を文学批評に取り込んだだけで、けっこう荒っぽい印象を今となっては受ける。まあ後の記号論とかの先鞭をつけたという意味では先見性があったと思わないでもない。
そう思うとだね、意外とこの人は先を読む力というかマーケティング能力に長けた人だったんじゃないかという気がしないでもない。逆接的なレトリックと先鋭的で攻撃的な論法を駆使することで、怒れる若者たちの心情にうまいこと入り込む。そして敵というかターゲット作りの見事さ。
最初に出てきたのが転向論だろ。戦争協力した戦前、戦中派知識人の負い目をうまいこと攻撃し、返す刀で獄中にいて反政府組織としてはまったく機能することなかった共産党を激しく攻撃する。
60年安保から70年にかけては所謂全面講和を主張した進歩的知識人を激しく批判して、ブントなど反代々木系の党派へのシンパシーを主張したんだっけ。
なんていうのだろう、状況への認識がきちんとしていて、その中でどううまいこと過激なアンチテーゼを振り回せば、「ウケル」「ウレル」ということに長けていたのかもしれないなと思わせるところがある。
とはいえ吉本のそうしたマーケティング能力が発揮されるのは二項対立がはっきりしていた時代、米ソの冷戦構造であったり、右と左であったり、革新と極左であったり、まあなんでもいいのだが、白黒がはっきりしているときにに、時にその一方への逆説的かつ難解でレトリック溢れる過激な論法による批判が受けたということなんだろ思うわけだ。
それが80年代以降、冷戦構造がワヤで曖昧になり、左右の対立のうち、左が勝手にどんどん自滅して、保守VS革新とかの構図が成り立たなくなっていくにつれ、吉本の論理というか批評というか、なんかそういうのがうまいこと機能しなくなっていく。
『「反核」異論』とか『ハイイメージ』とか今一つだったようにも思う。そのうえでコムデでしょう、なんか時代を読む力というかマーケティング力が落ちたというか。そういう意味じゃ、もうかれこれ20年以上ず〜っと過去の人的だったんじゃないかと思わないでもないな。
作家、文芸批評家としていえば、別に小林秀雄平野謙小田切秀雄江藤淳でも良かったんじゃないの。吉本と同じような土俵でいえば、花田清輝竹内好でもよかった。外国だったら、スコールズでもイーグルトンでもいいし、ソンタグクリステヴァ、バルトとかいろいろいたよね。
なぜに吉本がといえば、30年〜40年前におっちょこちょいにも彼の難解な言説にかぶれた人たちがそこそこにいて、当時のそんな自身のおっちょこちょいぶりを妙に懐かしげに可愛く思い出しているからなんではないかと、そんな風ににも思ってみたりして。それにしても同じ朝日の今日の38面社会欄での橋爪大三郎のコメントにはどうにも納得いかないな。

「吉本さんは庶民の一員という姿勢を崩さなかった」

本当か〜と、妙につっこみを入れたくなる。吉本の言説はある意味戦後の大衆社会にあっては、ほぼ庶民的価値観とはまったくシンクロしていないと私は思っている。彼の言説に擦り寄り、それを消費したのはインテリあるいはインテリの卵たち、あるいは似非インテリの一人であると自分たちを錯覚した多くの学生たちである。彼らはけっして庶民ではない。難解な言葉をオモチャのごとく操る彼の言説、例えば、

そして情況は奇妙にみえる。終焉した擬制は、まるで無傷ででもあるかのように膨張し、未来についてバラ色にかたっている

といったレトリックと、所謂大衆、庶民は一切無縁だと思うのである。