団交議事録まとめ

5日に3回目の団交があった。時間にして2時間、議論は平行線のまま。その日帰宅後からテープ起こし。翌日、翌々日と会社、自宅とで、通常の業務の合間に断続的に作業を行う。最終的には昨日深夜に1校を作成。テキストファイルをワードに変換して整形作業のうえとりあえず印刷。紙の上での校正を行い、午後にきちんとしたものにする。
A4文書にして60数ページ、前回より5〜6頁増えたている。原稿用紙換算でいうとだいたい100〜120枚くらいになる。私、こんなに文書書いたのって生まれてはじめてのことかもしれない。二十代の頃に、やれできそこないの小説もどきとかを書いたり、シナリオを勉強していた時期でもこんなにまとまった文章作ったことなんてないぞ。ましてや院を目指して、簡単な論文のようなものを書いていた頃だって。
売れっ子作家で月産数千枚とか書いていた人たちの凄さはどれほどのことだったのだろうなどとも、つい思ってします。彼らは想像力を駆使してそれを文章にしていくのだからね。それに引き換えこっちは、単に誰かが話した言葉を単純に文章にしていくだけのことなのだから。それはまさしく単純な作業でしかない。その作業に、しかもたかだか100数十枚程度でも3〜4日かけてしまうのだからね。
その単純作業をしていて、ふつふつとしてくることはというと、とにかくうちは、うちというのは、単純に会社側のことだけど、うちは本当悪くないなということ。そして組合のあまりといえばあまりな、無茶ぶり、ご無体ぶりに、なんというか呆れるばかりというところである。
よく労働争議に関していうと、筋が良いとか、悪いとかという表現をすることがある。例えば会社が社員を簡単に首にする、解雇にする。社員がユニオンに駆け込んで、解雇の撤回を要求する。これって確実に会社にとって筋の悪い争議ということになる。というように合法性、違法性、それもあからさまにではなく、その度合いとかを斟酌して、筋の良さ、悪さとかと表現するのである。
そこのところでいうと今回の案件、完全に会社は悪くないのである。まあネタがネタだから詳しくは書けないけれど。もともと要求なり団交の申し入れがあった時点でも、これって組合的にちょっと無理ない、みたいな感想があった。念のためということもあり、エキスパートにも当然相談した。所謂司法関係のエキスパートにきちんと対価をお支払いして。そこでも、先生曰く、これは会社はイケイケドンドンですなということでした。
まあまあそういう筋が良さとともに、こっちは毎回の団交の議事をそれこそ一語一語テープ起こしして、組合の主張をも分析、こちらの対応についても、これは良い、これは悪いまできちんと細かく検証したりもしている。まあ負ける気がしないみたいな感じ。とはいえやっぱり出きるだけ慎重にとも思うし、発言のすべてに気遣いも必要になる。そしてなによりも毎回、毎回のテープ起こしの消耗することといったら。
 前にも書いたけど、今回こんな風にいろいろ動いているのは、単純に業務命令だから。もとより経営者じゃないし、まあ仕事だからやむなくやっているだけなんのである。サラリーマンはつらいよなのである。
そしてこれも以前書いたかもしれないけど、元々、若気の至りとはいえ、造反有理の洗礼を受けてきた世代、タイプである。どうにも自分のしゃべっていること、立ち位置、すべてが実は気に入らなかったりもしているのである。遥かかなたの時代のことではあるにせよ、自分が共有していたもの、自分が掲げていたもの、背景として抱いていたもの、そのすべてに逆行するような立ち位置にいる自分とそれをとりあえず生きていくために受容せざるを得ないところに、たいへん居心地の悪いものを感じてもいる。
 いつのまにか、リバプールからも、ウッドストックからも、1968年のパリ、新宿、1970年代の成田、それらからとっても遠いところにきてしまった自分がいるのである。それが残念ながら54歳の私なのである。
さてと次回の団交対策とかもまた今週の課題の一つなのである。