ローラ・ニーロのアルバム『スマイル』に参加していたギタリスト、ジョン・トロペアに反応してしまった。この名前には聞き覚えがある。確かあれは・・・・。といううわけで家のレコードをひっくり返して見つけたのがこの1枚である。1972年の作品、いまだクロス・オーバーとかフュージョンとかいう言葉がなかった頃の作品である。おそらくクロス・オーバーという言葉の短所となった頃の話だ。
ジャズ屋が8ビート、あるいは16、32をやったものの1枚である。流れとしてはマイルスの『オン・ザ・コーナー』『ジャック・ジョンソン』、チック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエバー』の路線である。ウェザー・リポートがデビューし始めた頃のことである。
思えば1972年は様々な意味での転換点だったのかもしれないと思う今日この頃である。このアルバムはA&Mの1レーベルであったCTIから出た1枚である。おそらくジャズ・レーベルのアルバムとしては異例のヒットを遂げたのではないかと思っている。なんたって東洋の高校生であった私でさえ、小遣いはたいて買ったレコードなのだから。
ジョン・トロペアはこのアルバムでロックテイストのギターを弾いている。なかなかに印象的だ。たぶんフュージョン系のギターの端緒となったのではないかとさえ思っている。この人のこの演奏を聴いてリー・リトナーとかラリー・カールトンとかが出てきたのではとさえ思える。このアルバム以前にこういう演奏はというと私の拙い記憶ではサンタナくらいしかないかなというところだ。
ジョン・トロペアの多分このアルバムに参加した頃は本当に若手、新進気鋭みたいな存在だったのだろうと想像する。その後もやたらうまいミュージシャンの坩堝みたなニューヨークでスタジオ・ミュージシャンとしてのキャリアを積んでいったみたいで、一流の中堅ギタリストみたいな形でえらくなっているみたいだ。
そしてこのアルバム『ツァラトゥストラはかく語りき』である。本当に良く聴いたものだ。それこそ持っているアルバムは文字通り擦り切れんばかりだ。何年か前にレコード音源をUSBでパソコンに取り込むという機器とソフトを購入したことがある。その動機となったのは実はこのレコードをCDに焼きたいと思ったからだ。だが実際に作業してみると手間と時間がけっこうかかる。そのうえ擦り切れたレコードはプチプチ音満載でうまいこと録音できない。そういうもろもろでレコードのCD化は断念した記憶がある。その時は結局、大貫妙子とか原田真二のシングルレコードとかをハードディスクに落とすにとどまった。
そういうことがあったので、いつかはデオダートのCDも手に入れたいなと思っていた。そこにジョン・トロペアである。なんか急にモチベーションが高まり、すぐにアマゾンで探してみると出てくるは出てくるは。おまけになんか信じられないくらいに安い。CDが新品なのに690円なのである。しかも送料無料とある。あわてて即効購入ボタンを押す。ついでに以前から欲しかった同じレーベルの第2弾だった『デオダート2』もゲットする。しかも最近はめったにつかわないアメックスで決済してみるとギフト券も適用されたみたいで合計金額1255円で購入できた。なんかとても幸せな気分である。
さてと数年ぶりに聴いてみたデオダートはというと、昔ながらというか、相変わらずというか、色あせることなく心地よいサウンドとして耳に、心に、染み入ってきた。素晴らしい。70年代に斬新だったサウンドは、さすがに40年近く前の音であり、大人し目ではある。でも時代遅れサウンドとは違う。今でも心地よく耳に入ってくる。当時からそう思っていたけど、あんちょこにクラシックものをジャズっぽくしてみましたみたいな単なる企画モノじゃない、きちんと確かなコンセプトなりを感じさせてくれる。
基本としては、プロデューサーのクリード・テイラーが60年代後半からずっと希求していたイージー・リスニング・ジャズ路線の一環であることは間違いない。でも様々な意味での趣味の良さというか、ある種のインテリジェンスとソフィスティケイトされたものを感じるのだ。当時ジャズを聴き始めたばかりの高校生には、ジャズ入門編としてこのレーベルはとても入りやすい、敷居の低い門だったようにも思う。思えばこのレーベルから聴き始めたからこそ、ビートルズ少年であり、一方で吉田拓郎とかを聴きかじり始めたフォーク少年でもあった私が、ジャズへの一歩を踏み出すことが出来たのかもしれないなとは、今さらながらに思うことだ。
聴き返してみてつくづくと思うのだが、このアルバムは上質なフュージョンである。ジャズというよりもラテン系ロックの雰囲気がある。デオダートというブラジルのミュージシャンをフューチャーしているのに、実は1曲もボサノヴァがないのも面白い。おそらくクリード・テイラーとしては、ボサノヴァは同じブラジルのミュージシャンにして希有なコンポーザー、元祖ボサノヴァであるジョビンとの差別化を計ろうと思っていたのではないかと想像する。
そのうえでこのアルバムなり次のアルバムを含めていうと、デオダートのアレンジはよりポップでラテンの要素を濃くしたドン・セベスキーとでもいえばよいような感じにも思える。たぶんそういうノリで売っていこうみたいなところもあったのだろう。
といってもデオダートは最大のヒットアルバムであるこの『ツァラトゥストラはかく語りき』以降は緩やかに下降傾向にあったようで、同じフュージョン系のアレンジャーではボブ・ジェームスなんかに比べると今一つブレイクしなかったみたいだ。もっともアレンジャーとしては、きちんとキャリアを重ねて80年代、90年代を過ごしていたようだ。
2000年以降はというと、どちらかというと「あの人は今」的になりつつあったようだ。それでもそういうアーティストを呼んでは小さな商いをしている日本のライブハウスでは、そこそこ頻繁にライブをやっていたりもするようだ。う〜む、機会があったら行ってみたいものだ。多分、ブルーノートとかコットンクラブとかビルボードとか、そういう類になってしまうのだろうけど。
手っ取り早くこのアルバムの表題曲「ツァラトゥストラはかく語りき」を聴いてみるのだと、やっぱりYoutubeということになる。検索すると静止画だが曲はフルで聴くことができた。おまけに画質は悪いがオーケストラとデオダートが共演してこれをやっているものも見つけられたりもする。素晴らしいね。
ちなみにアルバムタイトルの原題は「PRELUDE」。CDだと5曲目、LPレコードだとB面2曲目、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」が表題になっている。このへんが日本とアメリカの相違なのだろうか。日本的には当時ヒットしたキューブリックの「2001年宇宙の旅」にあやかってということなのだろう。アメリカでは映画は話題になったとはいえ、リヒャルト・ストラウスのこの曲はメジャーじゃないから、それよりもドビュッシーということになっただろうか。あるいは単純にプロデューサーのクリード・テイラーの趣味とか。