『アメリカン・ビューティー』

アメリカン・ビューティー [DVD]
いつか観たいと思いながらずっと放置していた映画。サム・メンディスだし話題作だったし、と思いながらなんとなくスルーしてきたんだな。
まあ理由の第一は、ティーン・エイジャーの娘の同級生に恋しちゃう情けない中年男が主人公というところがなんとなく痛くて。まあわからないではないけど、正直あんまり認めたくない心性だとは思うよ、娘を持つ男親としては。もっとも自分についていえば、娘は今度中学生だし、自分はすでに50代でもはや枯れきっているから、なんかそういう気分はあんまり理解できそうにない。モラル以前の問題として。
とはいえ自分が40前後で、娘が高校生くらいだと、この映画のケビン・スペイシー演じるアホなオヤジの心根も、どこかであるあるみたいな部分もなきにしもかもしれない。およそ不謹慎な話かもしれないが。
1999年の作品、10年以上前になるのだろうが、アメリ中産階級の崩壊を描いた作品と位置づけられるのだろう。内容が内容だし、ちょっと痛そうだし、しんどかったらそこで観るのやめちゃおうみたいな感じで夜中に一人で観ていた。この手の映画は時代的な背景とかもあるし、見る側の意識の変化、年齢のもろもろとかもあるから微妙といえば微妙なのである。
例えば、50年代的にいえば世紀の問題作だったはずのキューブリックの『ロリータ』をDVDで観てみる。苦悩に満ちたジェイムス・メイソンの演技が単なるエロオヤジにしか見えず、なんのことはない情けないオッサンが少女にとち狂って連れまわすだけの観るに耐えない映画としか思えなかった。ピーター・セラーズの必然性もなかったし、キューブリックのキャリアの中では汚点になるような作品とそんな風に思ったくらいだ。
まあいい、『アメリカン・ビューティー』の話である。色ボケ中年オヤジの情けない姿を描いたものというだけであれば、観ていられないだろうと、まあそういう予感もした。身につまされるから、いやいや・・・・。しかし映画は割りと面白く観ることができた。一つにはストーリィにテンポがある。お話自体が、登場人物たちが戯画化、誇張化されている。全体としてユーモア(ややブラックではあるが)にあふれている。この映画は、ようはアメリカ中西部(シカゴ近郊だったか)の中産階級小市民を茶化したコメディ映画なわけだとそう思い立ったわけだ。
そう思うと登場人物たちはどれこれも誇張化されていて楽しい。主人公ケビン・スペイシーもそう。娘の同級生に一目ぼれし、娘たちのひそひそ話を盗み聞きする。その中で同級生が自分のことを控えめに、体を鍛えればけっこういけていると言っていたのを真に受けて、いきなりワークアウトを実践。ムキムキ中年に変身を遂げようとする。もう情けないを通り越したオバカオヤジぶり。
その奥さんはというと不動産業を営んでいるのだが、毎日自分は成功者であると自己暗示をかけてなんとか心の均衡を保っていたりする。
さらに周囲の人々も医師と会計士のゲイのカップルがいたり、元海兵隊大佐でナチスを密かに信奉しているマッチョなオッサンがいたりもする。このオッサンの息子が盗撮マニアで、ケビン・スペイシーの娘と恋に落ちる。実は意外といい奴なんだが、裏では麻薬の売人をしている。父親のオッサンは息子にもマッチョな生活パターンを押し付けるのだが、実はホモセクシュアルな心性を持っている。このオッサンは最高だな。
 実際、息子はケビン・スペイシーマリファナを売りつけているのだが、それを二人がホモセクシュアルな関係にあると勘違いしてとち狂う。なぜとち狂うか、密かにケビン・スペイシーに恋してしまったから。なんたって息子の部屋に忍び込み、息子が盗撮したビデオを密かに盗み見る。大画面に映し出されるのはケビン・スペイシーがガレージで上半身半裸になってトレーニングをしている姿だったり。これは大笑いだったな。
大佐役のクリス・クーパーは舞台出身の性格俳優だ。この映画でオスカー助演男優もらっていてもいいのではと私なんかは思ったくらいだ。2003年に『アダプテーション』でアカデミー助演男優賞を受賞しているから、めでたしめでたしなんだけど。なんか異様な色気を感じさせるオッサン俳優という感じだな。
映画はというと、最後にケビン・スペイシーが娘の同級生となんとなく結ばれそうになる。そうオッサンの夢が実現しちゃいそうになるのだ。でも遊んでいるはずの彼女が実は処女でそれを告白されると急に萎えてしまうというか、良いオジさんになって、なんとなく自分を大事にしろよ的に彼女をいたわってしまう。ようはやらないのね。でも、良いオヤジになった自分にとりあえず満足しようとしているところを後ろから撃たれてあっけなく死んじゃう。誰に撃たれるかって、それはお楽しみだ。
中年男が最後に思いを遂げそうで実は遂げない、そこで一巻の終わりというところが、この映画がハリウッド映画としての大衆性を失わない最後の一線だったんだろうなと、そんな風に思った。これが1999年的世界の限界なんだろう。2010年的世界だとしたら、たぶんやっちゃったうえで撃たれちゃう、そういう流れかもしれないね。まあいいか。
「今日という日は、残りの人生の最初の一日」。情けない中年男の情けない夢はかなうことなくそこでいきなり中断されちゃう。もはや中年でもない初老のおっさんの私としては、どうでも良いことだけど、やっぱり身につまされる話ではあった。ようは理由は様々であるとしても、情けなさというその1点だけのことに関してではあるのだが。