https://www.netflix.com/title/81267316
Netflixの視聴ランキング上位にあったので観た。アカデミー賞受賞の名優デンゼル・ワシントン、ラミ・マレック、ジャレッド・レト共演ということで期待してみたのだが、これはちょっと期待外れというか、率直にいって面白くなかった。ラストを含めてモヤモヤとした後味の悪さ、中盤でのもたつきというかテンポも良くない。正直、途中で眠くなった。一部寝落ちして巻き戻したくらいだ。
90年代のロサンゼルスで、連続殺人事件の解決に向け、ある刑事と協力することになった保安官代理。だがそんな2人の関係が、捜査を思わぬ方向へと導いていく。
カルフォルニア州カーン郡の副保安官(デンゼル・ワシントン)は情報の受け渡しのためロサンゼルス郡の保安局に向かう。そこは彼が以前殺人課に勤務していた場所でもあり、彼の後任の刑事(ラミ・マレック)に協力して当地で発生した若い女性ばかりを狙う連続殺人事件の捜査にあたることになる。捜査の過程で容疑者(ジャレッド・レト)が浮かぶが、容疑者は捜査をあざ笑うかのように、ワシントンやマレックを翻弄していく・・・・・・。
この映画を理解するには保安官というか、アメリカにおける郡という地方行政組織についての理解が必要かもしれない。そうでないとカーン郡やロサンゼルス郡の保安局というものがよくわからない。途中までデンゼル・ワシントンはカーン郡という田舎からロス市警に派遣されたような気がしていた。つまりワシントンはかってロス市警の敏腕刑事で、その後釜がラミ・マレックだと、そんな認識だったのだが、どうもこれが違うみたいで、ロス市警よりも上部機関であるロサンゼルス郡保安局の刑事であったということのようだ。
アメリカの郡というのはどういうものか。
郡は州と基礎自治体(市や町)との間にある行政区分組織ということになる。そこにはそれぞれの郡で保安官とその下に警察組織を持っている。保安官というと我々のイメージは西部劇におけるマーシャルや地方の警察組織をイメージし、保安官=田舎の警察署長兼警察官みたいな風に考えるが、保管官は警察組織の長というのが実際のようだ。
郡保安官
郡ごとに、法執行官の長として配された保安官。本来的には「シェリフ」と称されるべきであるが、上記の経緯より「マーシャル」や「コンスタブル」と混用されていることも多い。通常は、住民による選挙で選ばれる単独の公選職であるが、これだけでは手が回らないため、指揮下に警察組織を編成して、実業務はこちらに代行させることが多い。この指揮下の人員は、保安官補(deputyないしassistant; 保安官助手とも)と称されるのが通例である。ただし大規模な組織では警察式の階級制度を導入していることもあり、この場合は、実態としては自治体警察とほぼ同様である。本来的には、地域の一般警察業務を一手に担い、管内における下記のような法執行業務の全てを所掌することになっている[8]。
治安の維持と犯罪の捜査
郡拘置所・矯正施設の管理
裁判関連事務
しかし実際には、郡の統治機構の発達に伴って、これらを専門に所掌する組織が分離独立している場合も多くなっている。またアメリカ合衆国では、国土がくまなく郡に分割されているが、都市部などある程度の人口が集まった地域では自治体が立ち上げられている場合が多く、自治体の多くは自らの自治体警察を設置している。この場合、郡保安官は自治体が立ち上げられていない非法人地域や、自治体は発足しているが警察を保有しない地域を管轄することになり、日本にかつて存在した国家地方警察に近い性格となっている[8]。現在、3,500ほどの郡保安局/保安官事務所があり、郡保安官のみ1名の事務所から、ロサンゼルス郡のように18,000名もの職員がいる大組織まで、規模は多彩である。警察組織の拡充により仕事量は大幅に減っており、郡保安官そのものを廃す州もある一方で、市の財政難から市警察を廃し、郡保安官に警察業務を返戻する事例もある。
ロサンゼルス郡保安局の職員は18000名!である。だから映画の中でその刑事であるラミ・マレックがテレビを入った記者との会見を開いていたりする訳だ。これは日本でいうと、保安局=県警もしくは警視庁、市警察は所轄みたいなそういう括りかもしれない。ということで同じカルフォルニア州にあるカーン郡の副保安官が、大都市ロサンゼルス市を管轄するロサンゼルス郡の保安官の捜査に協力するというのが、この映画において最低限の予備知識となるのかもしれない。と、ここまで学習終了。
連続殺人事件の捜査は難航を続け、カルフォルニア州内での事件ではあるが、より広域的な捜査が可能なFBIが担当する可能性がでてくる。そうなると郡保安局はFBIの管理下におかれる。その前に事件を解決したいという現場の刑事たちの焦りが事件の伏線となる。そこに浮かび上がってきた、いかにも怪しいサイコキラー的な容貌、言動を供えた容疑者ジャレット・レトの登場。彼が捜査を攪乱し、マレックやワシントンらの焦りは最高潮にまで達する。そして事件はさらなるアクシデントに見舞われて・・・・。
黒人のベテラン刑事と若手敏腕刑事による猟奇殺人事件の捜査、20年前だったらこの役はモーガン・フリーマンとブラッド・ピットだったなって、それは『セブン』か。誰もがそれを思うかもしれないけど、映画のテンポ、展開、猟奇度、ショッキングなラストと、どれもが『セブン』の方が上だと思う。逆にいえば『リトル・シングス』そのどの部分も中途半端。
まあしいていえば、デンゼル・ワシントンの演技力だけに期待し、それだけを確認する映画のような気もする。ラミ・マレックはというと、少なくともこの映画の演技については判断保留。別に彼でなくても良かったかもしれない。その意味では、ジャレット・レトも同様。せっかく猟奇的な風貌に仕上げ、意味深な演技するけど、別にだからどうなのみたいな感じ。
Netflixでの視聴ランキングで人気作、主役陣が豪華みたいなことで観るとけっこうがっかりするかもしれない。まあこの主役陣でこれ、みたいなガッカリ感は正直ある。最後に、捜査にミスもあれば、刑事も人だから焦りや緊張からとんでもないことしでかすことだってある。そして警察はよくも悪くも身内の不祥事は組織的に隠蔽する。これは一般的にみて多分正しい。