実録・連合赤軍 あさま山荘への道程

若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程
http://www.wakamatsukoji.org/top.html
昨年公開されたことは知っていた。ある意味ずっと気になっていた映画だったのが、ようやくDVDが発売されレンタルもされるようになった。TUTAYAの新作コーナーで見つけてさっそく借りてきた。
連赤事件である。1972年、すでに37年前の話である。すでに同時代性をとっくのとうに失った歴史的事件、あるいは事項でしかないのだろう。映画は冒頭でかって日本にも革命を志した若者たちがいたみたいな語りからはじめる。そう、かっての68〜72年の政治の季節の話なのである。
1968年あたりから始まった先進諸国での学生運動、日本でも学園紛争やベトナム戦争への反対から様々な事件(そう、今となっては事件として矮小化されているのですね)が起きた。その終端にあったのが連合赤軍の山岳ベースにおける同志のリンチ殺害事件であり、あさま山荘への篭城である。あの事件が政治の季節を終焉させてしまったのだ。
それまで革命を志向する若者たちはある部分その善意的モチベーションからもある程度評価される部分があった。現実社会には様々な矛盾がある。様々な格差、貧困の問題、政治の腐敗、などなど。いっておくが2009年の現在の話ではない。あくまでも1968〜1972年のことである。そのときにあって善良なる若者たちはどうしたら社会の諸矛盾を解決しえるか、社会をよりよくするためにはどうしたらいいか、社会変革は可能化、そうしあ問題意識をもって本を読み、議論をし、それから政治行動に移っていったわけだ。ようはあるべき良き社会に対する想像力を喚起して、そのために何かを具体的な行動として行わなくてはいけないと考えていたのだ。
そう、それは至極まっとうなことであったはずだ。社会の現実、諸矛盾を直視する真摯な眼差し。その矛盾を解決していこうとする問題意識。そのための行動を模索を姿勢。理想としての社会をあるべき姿を描こうとする想像力。社会変革と自己実現、そういう真っ当な姿勢が当時の若者にはあった。
それがある意味突出してしまったのが当時の学生運動なのだろう、それが1972年にこの連合赤軍事件によって一気に収束に向かう。社会変革を求めた若者たちがより先鋭化していく中で何をしたのか。警察に追い詰められた末に彼らがしたのは民間人を人質にとって10日間篭城しただけのことである。日本で最初で最後の革命運動としての銃撃戦を行ったというが、相手は大盾、放水、ガス弾の機動隊である。当時すでに存在していたはずの自衛隊という軍隊と対峙したわけでもないのである。
そして全員逮捕された後にやってきたものはなにか。凄惨としかいえないような仲間殺し、リンチ殺人の全貌だった。そこでは個々人の共産主義化というおよそ理論でもなく、イデオロギーでもありえない、無茶苦茶な精神論に基づいた総括(流行ったねこの言葉)という言葉により、暴力が継続的に続けられて、12人の若者が殺されていったという事実が発覚していく。
これにより政治の季節は一気に収束していく。それから後は延々と続く白けた雰囲気、政治的な無関心。社会変革への想像力を持つこと自体が害悪であるかのごとくの風潮。老若男女を問わず社会的問題意識を持つことなく現実生活への埋没、快楽主義、現実的利益を享受することを第一義として今にいたるわけだ。
ある意味で若者、いや日本人のの政治的無関心はこの事件がトラウマになっているのではないかという気がしてならない。そういう意味ではこの事件、日本の戦後史にあってはある種のメルクマールであり、それこそこの事件自体がきっちり総括されなくてはいけないのだが、実はそうなっていない部分が多々あるようにも思う。
誰かが、あるいは社会全体でこの事件とそこにいたる若者たちの何が問題であって、それをどう乗り越えるべきかみたいなことがきっちり議論され、思想あるいは哲学的にも、あるいは政治あるいは政治運動=行動としてもきっちり文字通り総括すべきだったんだろうなと思うわけだ。
それは誰がやるべきだったのか。同時代の人々じゃないか。多くの参加者を得た学生運動、それを同時代的に支えていたのは今の団塊世代に他ならない。彼らは1970年代前後に騒ぐだけ騒ぎ、社会変革を声高に叫び高揚していったけれど、東大安田講堂の落城あたりから一斉に運動から手をひいていった。髪を切りスーツに身を包み普通に就職運動をしていく。「いちご白書」よろしくという感じかな。
あさま山荘事件の時私は中学三年だっただろうか。かなりインパクトが強い事件だったように記憶している。それから3〜4年して私が大学に進んだ頃にはほとんど学生運動はなきに等しい状態になっていた。まだ私が通った大学なぞは、それでもその残滓が残り学費値上げ闘争なんていうものもあったように記憶している。一応運動に参加して徹夜団交とかも行ったっけ。
皮肉にも一度学生運動史上例にない学費値上げ白紙撤回を勝ち取ったこともあったか。学費値上げは強行されるだろう。そうなれば全学ストライキとなり、後期試験は行われない。学生の一般的興味はどうせ今回も試験はない、レポート提出だろうとことだった。それが一気に白紙撤回で予定通り(なにが予定通りなものか)試験が行われることになったため、学生はみんな慌てふためいて一夜漬けならぬ試験勉強を始めたのは微笑ましく思い出すことができる。あれは笑えたな。私などはもう端から試験となったとたん諦め境地に陥ったが。
そして同じ頃に三里塚の空港反対闘争でも管制塔襲撃事件が起きた。あれで開港は相当遅れたんだろう。私も1〜2度現地を訪れたことがあっただろうか。でも結局なにをしても、どこへ行っても遅れてきた青年でしかなかった。もう政治の季節は終焉を迎えていたから。私からすると先行する世代、団塊世代に対するうらみめいた思いはたぶんこの頃から生じたんだろうなとも思う。結局好き勝手やり放題やっておいて、今は政治的無関心よろしくやっている彼らに対しての批判的な思いみたいなことだ。
まあ、社会に出るとたいていの場合、彼ら団塊世代が上司筋にあたるので、その後はずっと出る杭のごとく頭を彼らから叩かれ続けてきているせいもあるから、彼らへの批判的志向はある種増すばかりでもある。
個人的な世代的呪訴はもうやめよう映画の話だ。でも連赤事件=学生運動の究極的先鋭化=団塊世代の不始末というのが、私の中でのある種の理解ではあるのだ。
さて本作「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」である。いつか誰かがこの事件を小説あるいは映画化してくれればいいと思っていた。個人的には「太陽を盗んだ男」のゴジこと長谷川和彦監督にという思いもあった。実際そういう話もあったらしいのだが、ゴジは悲しいかな「太陽を盗んだ男」以来一本も映画が撮れないのである。思想的にも近しいものを持っていたうえにまさしく同世代、同時代のゴジはあの事件をどう映像化してきっちり落とし前つけてくれるのか、そんなことに期待をしてもいたからだ。
しかし結局落とし前をつけたのは、より上の世代、おそらく70年安保世代というよりも60年安保組に近い若松孝二監督だった。かっては赤軍シンパと称されたこともある若松監督がこの映画を撮るという話を聞いた時には、あまりにも当たり前すぎてある種なんの感慨もなかった。結局お仲間がやるしかないのかという思いもある。ようは同世代の誰もこの事件ときちんと向き合うことを30数年を経過してもきちんと行おうとはしていないということなわけなのだということ。
ただし若松孝二監督はずっと、たぶんずっとこの事件にこだわり続けてきたのだろう。だからこそ自らメガホンとったということなんだろう。その心意気みたいなものは伝わってくる映画ではあった。
事件自体は、特にリンチによって次々同志を惨殺していく部分はきわめて陰惨なものであり、それを映像化したものを直視するのは正直気が引ける部分もあった。それでもある種の自分への試練としてこの映画は観なくちゃなるまいなとそんな思いで観た。リンチによる仲間殺し、しんどいテーマである。
以降は思ったことを脈絡なく羅列してみる。
若松孝二監督はこの映画をとった動機の一つとして「突入せよ!あさま山荘事件」をあげている。

でも、『突入せよ! あさま山荘事件』(02)を観た時に、権力側から映画を作ってることに憤りを感じてね。おかげで連合赤軍を撮ろうと本気で思えるようになったんです。だから、今となってはあの映画にはとても感謝してるんだ。
映画芸術マンリーVOL14http://eigageijutsu.com/article/103758801.html

別の場でも若松監督は「突入せよ!」ではなぜ連合赤軍のメンバーがあさま山荘に立てこもるまでにいたったのかがまったく描けていないとも語っていたという。だからあの若者たちがどうしてあそこへたどり着いたか、まさしくその道程を追うべく映画化を思いついたとも語っているらしい。というのもどこかのサイトでそういう話を読んだ。
しかしである。はっきり言っておく。映画としての面白さはどうか、残念ではあるが「突入せよ!」のほうが実ははるかに面白い。エンターテイメントとしても、映画技術としても「実録〜」を凌駕していると思う。原田真人監督は「突入せよ!」をある部分原作に忠実に描いている。若松からすれば権力側から視点かもしれないが、実に見事、実に小気味良い現代における合戦映画に仕上がっている。
突入せよ!「あさま山荘」事件 [DVD]
もっともその面白さは原作本である当時あさま山荘の現場で指揮をとった佐々淳行による「連合赤軍あさま山荘』事件」の依拠しているといえなくもない。この本は出たばかりの頃に読んだ。いや初出の文春でも読んだ。実に面白かった。事件のまとめ方の手際良さ、合戦ものとしての盛り上げ方。佐々氏の筆力の才能にある意味感服する思いだった。
それにもまして思ったことは、あさま山荘事件をリアル観ていたときも、あるいはそれ以降も私の中ではまったく省みることのなかった視点である。それはいくら権力側であるとはいえ、警察、特にその最前線でコマとして配置され警備を行う機動隊員一人一人にも顔があり、生活があり、思いがあるということだ。そして日々訓練によって鍛えられた彼らは警備のプロであり、犠牲的な精神で最前線での任務を全うしていたということだった。
考えてもみて欲しい。あさま山荘に篭城した連赤グループはライフル、散弾銃による乱射を続けている。それに対して機動隊は大盾と催涙弾、放水だけで立ち向かっていったのである。「突入せよ!」の中で、機動隊が口々に言う。「弾、盾貫通しますよ」。そんな状況でもひるむことなく彼らは任務をこなしていく。決死隊が山荘内に突入する。連赤グループの抵抗にあい、ある者は顔面に散弾をあび、ある者は鉄パイプ爆弾の爆風で吹っ飛ばされる。それでも彼らは任務に忠実である。彼らこそ戦士なのである。
映画の中でも主演役所広司が部下に語りかける。原作本の中でも爆発処理の調査のところで佐々があげる有名な話がある。それは機動隊の爆発物処理の危険手当が当時1件140円という低額なことについてだ。佐々はそれを農林水産省の技手の危険手当210円よりも劣ると比較する。農水省の危険手当とは畜産試験場で種馬、種牛の種付けを担当する技手のための手当てで、ようは興奮した牛馬に蹴飛ばされる危険に対するものなのである。映画の中で役所広司は語る。
「俺たちは種馬に蹴飛ばされる危険よりも安い手当てで警備やらされているんだよ」
私はこの話を聞いた時に、ある種の悟りをもった。こりゃ勝てるわけがなかった。警察、機動隊の末端のモチベーションは総じていえば社会を守ること、一般市民を守るというものだろう。そのために彼らは安い給料でも真摯に仕事を行っている。警備をきちんと行うために日々研鑽し、厳しい訓練を行っている。ようはプロなのである。これは勝てるわけもないということだ。
それに対して連赤グループの諸君はどうか。だいたいにおいて今の若者たちからすれば、あれだけの少人数で、装備も銃砲店から奪ったライフルやら散弾銃のみで、どうやって国家に喧嘩うれるのか。その時点ですでにもう先行きが読めてしまえるはずだから、大昔にアホな人たちがいたのですねと軽く片付けられてしまうのではないか。
そして連赤グループの軍事訓練、貴重な銃弾を浪費することがないように、射撃訓練は銃を構えて「バーン」と声を出す。声が小さいと幹部から「もっと大きく」と叱責される。まるで子どもの拳銃ごっこである。そのアホラシサに気づかない真面目さ。
リンチにいたる総括についてもそうだが、理解不能な個人の共産主義化なる言葉がどんどん拡大解釈されていった挙句のことである。その中に最高幹部森や永田の恣意的な思いや、嫉妬、コンプレックスなど様々な主観、欲望やらが取り込まれていく。それでも極限状況化の中ではそれらの言説がいかにももっともらしく聞こえ、ある部分洗脳されていく。
またリンチの共犯者にならないと次は自分がリンチの対象となるという連鎖が暴力をより過激なものにしていく。これは形こそ変えているが現代の学校や職場でも頻繁に見られる<いじめ>と通底している部分もありそうだ。
あのグループでは最年長の者でも28歳くらいだったし、K兄弟のように10代の者もいた。総じてみんな若い、若すぎる集団であった。若すぎる集団が銃という玩具を弄び、革命という言葉を弄び、その果てに仲間をリンチして殺しまくった。矮小化してしまえばそういう事件である。
なぜそうなったか、子どもだったからだ。国家というプロ集団と戦うべき政治的、軍事的プロであるべき対抗勢力である革命戦線側が実は子どもたちのごっこに等しかったということ。それが総てなのかもしれないと映画を観ながら途中からそんな考えをずっと抱き続けた。
政治的リンチである粛正を行うとき、プロとして自覚的に行う場合と、無自覚に行う場合があるのかもしれないとも思う。後者のそれが連赤事件である。それから20数年以上後に起こるオウム真理教の事件もたぶん同じくくりだろう。世界史的にみても中国の文化大革命カンボジアにおけるポルポトの大虐殺もたぶん子どもの犯行だ。子どもという言葉に語弊があるとすれば、アマチュアとでも呼んだほうがいいか。
それに対してナチスドイツのユダヤ人虐殺。あれは自覚的でありプロの所業である。合理主義に基づいていかに大量にユダヤ人を殺戮するかを訴求した結果こそがアウシュビッツにいたる道である。
72年に終焉を迎えた若者たちの反乱、政治の季節をどう総括して、もう一度社会変革の想像力を、問題意識を考えていくときにも、プロというキーワードをもう一度考えていく必要があるのかもしれない。対峙する国家は、資本家あるいは市場は、すべてプロたちによって運営されている。それと対峙するには個々人がプロ化していく必要があるということなのではと、そんな思いがする。国家というプロに対して個々人がアマチュアリズムとして対峙する。なんとなく魅力的なテーマでありそうだけどまず勝てない。勝ってナンボのはずが、負けてもアマチュアの清廉さをもってしていればみたいな言説がもっともらしく喧伝されるはずがないのである。
連赤グループの中にプロの職業軍人が一人、二人いればあんな仲間へのリンチはなかったろうにとも思う。すでに少数精鋭で党と軍を立ち上げざるを得ない状況になっているというのに、さらに仲間を殺して少人数にしてしまうことの軍事的な意味を、つまるところ人数をある程度確保しなくてはいけないのにバンバン人の首きっていくリーダーの考えになんの妥当性があるというのだろう。
たぶんもう一度問題意識をもち社会変革の想像力を描くような若者たちがまた出現してくるかもしれない。その時に少しずつでもいいが、とにかくプロとして成熟して国家に対峙するためにはあとどれくらいかかるのだろう。個人的にはたぶん100年というスパンで考えなくてはならんのだろうなと、そんなことを思った。
いろいろ考えることの多い映画である。3時間を越える長尺ものである。たぶん個人的には二度は観れない、観たくない映画のリストにのるだろう。私的にはもう誰も死なない、誰も殺されない、男と女が寝ない、そういう映画が観たいと思うのだ。