真珠の耳飾りの少女

真珠の耳飾りの少女 通常版 [DVD]
ほとんど映画鑑賞マラソンの様相を帯びてきて本日3本目の映画である。これもだいぶ前に焼いたものを観ないままにしていた。こいう未読なる未鑑賞の映画がやたらあるのだよ我が家には。
いわずと知れたあの名画「真珠の耳飾りの少女青いターバンの少女」をモチーフにした小説の映画化。あの名画の製作過程のエピソードをこんな風ではなかったかと想起したようなお話。画家フェルメールとモデルになった少女との間になにかあっただろうなということからいろいろ紡ぎだしたのである。
映画ストーリーはこのサイトが詳しい。
http://homepage1.nifty.com/pochie/review/shinjunomimi.htm
モナリザとも比較されることも多い美人を題材にした著名なポートレイトである。確かにどんどんと引き込まれていくような絵画である。画家フェルメールのモデルの少女への眼差しにはどんな思いがあったのだろう。それがどのようにしてキャンバスに描きこまれたのか。小説家の想像力を喚起するに十分の題材である。映画の中ではフェルメールと少女の間の思いはきわめてプラトニックに描かれている。でもなんていうのだろう、あの絵の描かれ方、眼差しにはもっと官能というか肉々しいものがあるような気もしてならない。それは私がさもしいお下劣なオヤジだからなのかもしれないけど。
でもそんな部分を例えばフェルメールはモデルの少女に唇を舐めさせてやや濡れた感じにさせるシーンとかでもきっちり表現している。それがそのままあの光沢のある妙に艶かしい唇として描かれる。
もしあのモデルがこの映画にあるようにフェルメール家の使用人だったとしたら、フェルメールとなにかあってもおかしくなかっただろうな。時代は17世紀のこと。近世真っ盛りの頃だ。田舎じゃまだまだ封建領主なんていうのが全盛だったろう。さすがに農奴制とかはなくなっていたかもしれないけど、領地の娘さんの処女権は領主にあったなんていうのがまだまだ続いていたかもしれん。余談ではあるがかって読んだエンゲルスの「家族,私有財産および国家の起源」だか「空想から科学へ」だったかで未だに覚えているのは中世に対する記述のこのへんの部分だ。「処女権ってなんだよ」って感じでいまだに覚えている。しょうもないオヤジだな。
映画は画家とその周辺を描いた基本文芸映画である。この手のものを昔はけっこう観たぞ。カーク・ダグラスゴッホを演じた「炎の人」。ヴィンセント・ミネリ監督作品。映像にこだわる監督とゴッホの絵画がうまくマッチしていた。ダグラスもよかったけどゴーギャンを演じたアンソニー・クインが秀逸だった。確かオスカー助演男優とらなかったっけ。
他にもジェラール・フィリップがモジリアニを演じた「モンパルナスの灯」もモノクロ映画だったけど印象深い。フィリップも良かったけどモジリアニの恋人役を演じた若きアヌーク・エーメの美しさが図抜けていた。
ジョン・ヒューストン監督、ホセ・ファーラー主演でロートレックの破滅的な生涯を描いた「赤い風車」なんていうのもあったな。映像の一つ一つが妙におどろおどろしく素晴らしかった印象がある。
どの映画もたぶん40年以上前テレビ放映で観たものばかりだ。あの頃はテレ朝の日曜洋画劇場テレビ東京で深夜や日中午後とかに放映する映画が楽しみだったっけ。
話は脱線した。「真珠の耳飾りの少女」である。画家を扱った映画はその絵画に描かれた風景とかをスクリーン上に再現しなくてはならない。上記で取り上げた映画もみんなこと映像に関していえば凝りに凝っていた。この映画はどうか、けっこう素晴らしい。フェルメールが活動していたデルフトの17世紀的空間を見事に再現している。所々の描写はまさしくフェルメールの絵画そのまま陰影を見事に再現している。監督、カメラマンの苦労は相当なものだったろうと推測する。
ただし、ただしである。元々モデルがあるのである。それは模倣にして再現である。オリジナリティのある映像に比べればやや落ちるかなとも思う。ようは如何に似せるか、再現するかということなのだから。再現とオリジニナリティ。どちらも映画にとっては重要なことであり、どちらかに優劣をつけるべきことではないかもしれないけれど、こと芸術という一点からすればオリジナリティということになるのかな。
このへんが複製芸術の難しいところでもある。しかも題材となっているのが基本風俗画家のフェルメールである。前にも彼についてはやや辛口でポストカード作家みたいことを書いたこともあるような気がする。彼を含めて17世紀のデルフトで多く輩出された所謂デルフト派の画家たちすべてにいえることだが、当時の彼らが描いたものは風景にしろ人物にしろ基本は再現である。ようは現代の写真の役割だったんだじゃないかということだ。そういえば映画の中でもフェルメールも使っていたというカメラ・オブスクラも登場する。光と影をキャンバスに描いたフェルメールにとってカメラ・オブスクラはかなりの影響を与えたんじゃないかとか想像するん。映画の中ではフェルメールが少女にそれを覗かせるなんてエピソードとして描かれていたけれど。
最後に役者さんはというと、この映画はとにかく少女を演じたスカーレット・ヨハンソンがすべてかな。よく似せたよあの絵画のモデルに。そしてほとんど無表情の中で良い演技しているのね。目とか小さなしぐさとかが素晴らしい。今ではけっこうブレイクしてそれこそ最もセクシーな女優さんに選ばれたりもしているらしい。個人的には「ブラック・ダリア」あたりから知った女優さん。グラマーで金髪、セクシーということでちょっとキム・ノヴァクを連想させる女優さんだけど、この映画では清楚な感じですごく良かった。
他の俳優さんはちょっと印象薄いです。フェルメール役のコリン・ファースは名優の一人だとは思うけど、ことこの映画に関していうとなんとなくいま一つの印象。これはファースがどうのというよりこの映画の中でのフェルメール像がちょっと曖昧なという印象だな。これは脚本とかの問題のような気がする。
この映画が好きになれるかどうかは、ある程度絵画への造詣というか、まあようは西洋絵画が好きかどうかにもよってくると思う。美術館とかによく足を運ぶ人ならたいていは気に入るのじゃないかな。後はオリジナルとヨハンソンの演じた少女を比べてそれをよしとできるかどうかによるのではないかな。私的には「あると思います」ということになるけど。