山梨県立美術館へ行く

ここを訪れるのは去年の夏以来のことだ。その時は確かミレーの回顧展「生誕200年ミレー展」をやっていた。
しかし山梨までは道路さえ空いていれば1時間半くらいで着いてしまう。けっこう近い距離なのである。しかもここにはミレーとバルビゾン派の作品が充実している。ここを訪れる度に山梨県民が羨ましくなってくる。

そして今回ちょっと興味があったのはこの企画展示。
「夜の画家たち〜蝋燭の光とテネブリスム」
http://www.art-museum.pref.yamanashi.jp/exhibition/specialexhibit_201504.html

西洋美術が頂点を迎えたバロック期(17世紀)において、フランスのジョルジュ・ド・ラ・トゥールやオランダのレンブラントらによって、夜や闇の背景から炎や灯の光によって対象を浮かび上がらせる劇的な場面を演出したテネブリスム(暗闇主義)が流行した。一方、日本では、近代になって初めて西洋美術に出会った画家たちがテネブリスムに魅了された。その一例を見た山本芳翠は「其画が全く光りのついてゐる様だ」と感心し、自らもこの新しい表現に取り組んでいる。
そうした日本のテネブリスムとも言うべき独自の明暗表現が、江戸時代の司馬江漢や亜欧堂田善の銅版画、歌川広重歌川国芳の浮世絵にはじまり、近代の高橋由一、中丸精十郎らの洋画、小林清親らの浮世絵から、鹿子木孟郎高島野十郎らの洋画、近藤浩一路らの日本画川瀬巴水の浮世絵にいたるまで続いていく。
本展は、二つの文化の間で生まれたかつてないこの闇と光の世界の全貌を、着想源となったヨーロッパの巨匠ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品などとも対比させながら明らかにしていくものである。同ホームページより


ラ・トゥールの絵は一枚。それも東京富士美術館から貸出作品「煙草を吸う男」。レンブラントは「十字架からの降下」他数枚いずれも貸出作品である。ようは近代の日本絵画がいかに夜の暗闇やそれとの対比となる光を表現するか、その苦闘の跡を作品によってたどることを主眼としたものだ。
興味深い絵が幾つもあったが一番印象に残ったのは光と影というテーマ性とは異なるものだが中澤弘光「花下月影」。幻想的な作品だが横たわる少女の視線に突き刺される感じで釘付けにされる。どことなくいやな感じもするがなにか心に残る。

常設展示はミレーとバルビゾン派でミレーもルソーもディアスもトロワイヨンもみんな気に入っているのだが、一番心に残ったのはミレーのこの作品。ミレーの最初の妻「ポーリーヌ・V・オノの肖像」。22歳で確か結核で早世する仕立て屋の娘。薄幸の美女の一瞬の美しさをとらえた作品。

そしてもう一つはジュール・ブルトンの「朝」。この作品は前回来た時も印象に残っている。

この女性には見覚えがあるなと思ったが、昨年新国立のオルセー展で観た同じブルトンの「落穂拾いの女たちの招集」で正面にいる女性である。

「朝」の解説の中でこのモデルはカトリーヌ・ビビといい、ブルトンのお気に入りだったという。確かに彫の深い存在感あるふれる美人である。
ここで思ったことだが、ブルトンは当時の貧困、落穂を拾って生活する最下層の女性たちを実際の姿から写実したのではないということ。そういう最下層の女性たちがいるということを知り、その姿を筆写するために、モデルを集めて、ポーズをとらせて構図をとりそして製作したのが農民の生活を描いた写実主義の傑作絵画ということになるわけなのだ。
ブルトンが実際にモデルを集めて農場に出て筆写したのか、あるいはまず農場で簡単なスケッチをした後にアトリエでモデルたちにポーズをとらせたのかはわからない。ただしだからといってブルトンの写実が虚構であるという非難にあうのは見当違いだともいえる。映画もテレビもない時代、ましては写真さえもない時代にあっては、絵画が現実の姿を映しとってみせる唯一のメディアでもあったわけだ。映画やドラマが現実を再現するためにロケを行い、俳優達に様々な人間の生活を演じさせるように、当時画家はモデルを集め、ポーズをとらせ構図をとり、さも現実を写し取ったかのようにして、様々な人々の生の有り様を切り取り、写し取ったということなわけだ。
画家はプロデューサーであり、シナリオライターであり、ディレクターであり、カメラマンであったということ。写真や映画といった新しい複製メディアが生まれるまでは絵画が現実を写し取り、人間の想像力を表現する表象メディアであったということをこんな単純なことから改めて認識させられる。
いや〜、絵画って本当に面白いですね。それではさいなら、さいなら、と淀川長治先生的なことでまとめてみました。