なぜだか奈良へ

3日のこと。早朝埼玉鶴ヶ島を出て圏央道から中央道へ入り一路西へ。今回の旅行ではあまり観光はせず基本、宿でのんびり過ごすつもりでいたのだが、そこはそれ妻はとにかくあそこへ行きたい、ここにもみたいなことばかり言っている。名古屋過ぎた辺りでとりあえず行きがけに大阪城でもとばかり、勝手にナビに入力してしまう。
大阪城か懐かしいな。思えば15の歳、中学三年の修学旅行で行った関西旅行以来なのだなと思い、なんとなく大昔の記憶を思い起こし浸ってみる。するとなんとなく奈良へ、奈良へという啓示が・・・・、そんな大袈裟なものではないのだけど、思い起こせば修学旅行の時に巡ったのは京都、大阪、奈良である。その後、仕事や観光含めて京都、大阪は何度も訪れているけれど、奈良にはその後一度も足を運んでいないのである。それでせっかくだから奈良へ行ってみるかと口にする。妻は陽気にOK。この人はとにかくどこでも出かけらればいいのだ。
奈良、関西修学旅行以来。もはや40年近く前のことなのである。歳はとりたくないものだ。15の歳の自分に、五十路を過ぎたジジイの未来を想像できるか、できるわけがない。とりあえず奈良を目指しつつ、娘にも奈良へ行くと語りかけるものの、ほとんど関心がなさそうである。「鹿が見れるぞ」とつっこむと、ようやく少しだけ関心がわいてくるようだった。
道順はナビの案内のまま名神高速から京奈和道路へと進すんだ。奈良市内に入ってもけっこう順調で2時くらいには観光できるかなと思った。時間的には東大寺春日大社、あとは鹿にせんべいやってみたいなイメージだったのだが、よくよく考えてみれば三が日である。初詣客でごった返しているところに車でつっこむのである。駐車場がまずありえないだろう。おまけに春日大社周辺は大渋滞のはず。奈良へというチョイスは無謀過ぎるなと思いつつもとりあえず興福寺近辺まではなんとなく進む。なんか拍子抜けするくらい順調なのである。さすがに近辺ではそこそこ渋滞がある。でもこちらのイメージでは1時間1キロ以下みたいな凄まじい渋滞を何度も経験しているのだが、それからするとあっけないくらいだった。
駐車場は最初、興福寺駐車場で待ったが時間かかりそうだったので、別の場所を探した。どこもけっこう空き待ち状態だったがぐるっと回って県庁の駐車場に向かうとほとんど待つこともなく入れた。時間的には3時頃だった。これがどのくらい素晴らしいことかというと、例えば明治神宮や川崎大師近辺で三が日に駐車場を探すことを考えるとほとんど感動的な感じだ。最も春日大社は関西的にはさほどメジャーじゃないのかもしれないけど。ただ関東人の感覚からすると関西で初詣というと、京都の平安神宮、大阪の住吉大社、奈良の春日大社みたいな感覚である。それは関東でいえば明治神宮、川崎大師、鎌倉八幡宮みたいな感じである。でいずれも車で行こうなどとはめっそうもないということになる。だもんで車で初詣に行ける、駐車場がある、ということに素直に感動した。
駐車場から春日大社まではずっと車椅子を押していった。途中でお約束の鹿せんべいを買い鹿に与える。奈良観光の醍醐味である。時間の都合で東大寺、大仏はあきらめた。

奈良の記憶はいかんせん40年近く前の就学旅行の時のことだけだ。風景もなにもほとんどシンクロするものがない。ただ唯一、興福寺五重塔だけが、ああそういえば五重塔があの時もあったようなと思い起こせるだけだった。
春日大社への参堂はさすがに初詣客でごった返していた。途中の石段まで来たのでいつもののように当然歩いていくだろうと思いながら、妻に「どうすると」と聞くと今回は時間がないから待っているという。珍しいなとも思ったが、確かに淡路島への途中なのである。じゃあすぐ戻るといって娘と二人で駆け足で歩を進めて初詣をしてきた。本殿はというと、まあなんの感慨もなし、参拝客でごった返すちょっと規模の大きい神社というだけである。娘と二人でお賽銭を投げ、家族の健康を祈った。

とりあえず今回は約40年ぶりに奈良の地に駆け足で訪れたというだけである。出来れば一日かけてゆっくり寺社巡りとかもしてみたいとも思う。それだけの価値ある悠久の歴史を感じさせる場所でもあるはずなのだから。それと思い切り人慣れしている鹿くんたちのももっと触れ合いたいとも思う。やっぱり鹿せんべい大人買いとかしてみたいと思うわけだよ。