ハローワークへ行く

28日の水曜日にまたまた仕事を休む。妻を連れてハローワークへ行くことにする。
朝一番でまず国リハへ行く。予備の装具を作る必要を感じていたので。とにかく休みをとって妻のもろもろ手続きを行うときには必ず二つ以上のことをやるようにしている。そうでもしないと用事ごとに全休、半休みたいなことになるから。
装具を作るにはまず医師から装具が必要である旨の診断書を作ってもらう。それから業者を呼びまず合わせというのか型をとってもらう。それから一度半製品を作ってもらい装着して調整、それから完成みたいな手順だったか。医師の診断書は保険で7割を負担するために必要になるらしい。
医師の診断書はすぐに書いてもらえた。これが国リハ以外のところだと、診察〜診断書依頼で1日。それから一週間くらいで診断書完成みたいなことで入手までに二日かかる。国リハへではそれが1日ですむのが有難い。それからすぐにPT室へ行く。妻の担当だった仲良しのPTの先生は、妻を見つけるとすぐに「あれ、今日はずいぶん着膨れしてるね」といきなり軽めのジャブを。装具作成の手続きの件を伝えると、業者が来るのは火曜と金曜だとかで、実際の注文は後日となってしまった。まあしょうがないか、また時間作らなくてはならない。
国リハを後にしてすぐに川越のハローワークへ行く。法務局なんかも含めた合同庁舎なんだがここは駅からひどく離れたところにある。田圃の中にぽつんとあるっていう印象だ。バスはあるにはあるけど、たいていは車がないと行きにくいところだ。交通的にアクセスしにくいこういう場所にハローワークを作るっていうところになんか行政側の深慮遠謀を感じてしまうのは考えすぎだろうか。
前もって電話で用意するものを聞いていたので、こちら的には用意万端みたいなつもりでいた。離職票、印鑑、免許書、写真(タテ3cm、ヨコ2.5cm)、通帳、障害者手帳など。それで最初に相談窓口に行くと、いきなり退職前に病気休業しているため、就労可能を証明する医師の診断書が必要だと言われる。おいおい、電話で問い合わせした時にそういうことは一言もなかったぞと文句を言うと、「もしそれが本当ならば、電話対応した者は失格ですね」と他人ごとのように言う。事前に知っていれば、さっき国リハ行ってきたところだから、用意できたのにともうほとんど怒り心頭状態。相談窓口で話を聞いている間じゅう(おそらく30分くらい)、担当者に強烈な眼飛ばし状態だった。
でも考えてみれば、失業保険、正確にいうと雇用保険失業等給付の基本手当なんだけど、これはもらったしおりにあるように「失業中の心配をしないで仕事探しに専念し、1日も早く再就職していただくための制度」なわけだ。病気になり、そのために会社を二年休業し、あげくに退職しているのだから、「あなた仕事できる状態なの、だったら証明が必要ですよ」というのはしごく当然のとこだとも思うわけだ。
ということで、建前的にいえば障害者となった妻ではあるけれど、障害者の身でも仕事をしたいと思っています。休職活動をする間の手当としてお金を支給してください」という意思表明が必要なのだ。
相談窓口から手続き窓口に行くと、そこでは中年のベテラン担当が、気さくな調子で順々にいろいろ説明してくれる。次回は12月14日に雇用保険説明会に出てもらうこと。診断書はその時に持参してくれればいいということだった。さらに最初の失業認定日は12月18日にあるという。そうだった失業保険をもらうということは毎月職安に行って失業認定を受ける必要があるということだ。自分自身、転職は繰り返しているけど失業保険なんかもらったことがないから、二十代に一回だけ顔だした程度で、ほとんど知識がなかったけど、まあそういうことなわけだ。
ようはおカミからあなたを失業者として認めます。だから基本手当をあげますよということだね。「しおり」によると、

基本手当を受給するためには、受給資格者であるあなたご自身が原則として四週間に1回、指定された日に安定所に来所して(その日を失業認定日といい、皆様それぞれに決められています。)、「失業認定申告書」と「雇用保険受給資格者証」を提出し、失業の状態であったかどうかの確認を受けなければなりません。これを失業の認定といいます。

正直困ったな。妻の場合、所定給付日数は就職困難者(障害者等)で45歳以上ということから360日ということになる。この場合の就職困難者というのは、勝手な想像だけど建前的には就職の意欲があるのに、障害のため再就職の機会がないためなかなか就職ができないというような意味合いなんだろうと思う。しかし360日も支給期間があるというのはある意味有難いことなのだろうけど、私なんかが最初に思ったのはこんな辺鄙な場所に妻が毎回来ることができるのかなということだ。
360日で4週に1回ということは、4×7=28、360/28でおよそ13回、川越のハローワークに通うということ。それにいちいち私がつきそうのであれば、それこそ私自身がハローワークのお世話になることにでもなってしまう。妻には電車、バスを乗り継いで一人でここへ来るように練習しないといけないねと話した。妻は「大丈夫だと思うけど、最初は一緒に行ってね」。
やっぱり思うよ。こんなアクセスしにくいところに庁舎作るのはやっぱり深謀遠慮あるんじゃないのと。