海外旅行もなんとか終了

18日から5日間の海外旅行も終了、無事昨日帰ってきた。車椅子の妻を連れての家族三人での海外旅行ということで、当初から大丈夫かなと心配事もいろいろあった。結果としては、小さな失敗、不具合はいろいろあったけど、まあまあ快適に旅行ができたと思う。
向かった先はアメリカ西海岸で泊まったのはアナハイム。ほとんどの時間をディズニーランド周辺で過ごした。ディズニーランドなら舞浜で十分じゃないのというつっこみあるだろうね。せっかくの海外旅行なのだから、日本じゃ経験できないところへというのが本筋だろうとも思う。でも、ここが結局目的になったのには、そこそこに理由もあるにはある。
まず旅行の発端ともいうべき、妻の海外に行きたいという要望に応えるため、車椅子の彼女を連れていかに円滑な旅行ができるかどうかということが一番の前提条件だった。しかも言葉が通じない外国への旅行である。そうなると出来るだけ移動が少ない方がいいのではないかと考え、宿泊先を一ヶ所にすることにした。ようはチェックイン、チェックアウトや荷造りとかを途中で行うのは難しいだろうということ。
 さらにふだん国内旅行であれば自分たちの車で自由に移動できるが海外ではそういう訳にもいかない。かといって移動手段としてタクシー、バスや地下鉄、さらには異国での飛行機の乗り継ぎとかは、慣れない我々には難しいだろうともと思った。
そうなると宿と遊ぶ場所も隣接しているほうが便利だろうということになる。しかもディズニーランドであれば、TDLである程度勝手もわかっているので、問題も少なそうだなと思った。
また娘も小学6年生とだんだんと難しい年頃になってきている。家族三人での旅行となると、けっこう車椅子を押したり、母親の介護とかいろいろやっかいなこともあり、以前ほど楽しめなくなってきているところがある。そんな娘でも文句一つなく、逆に行きたい行きたいを連発する場所といえば大好きなディズニーランドなのである。これで娘のモチベーションもアップする。
さらにいえばだけど有名なリゾート地であれば治安も問題ないだろう。アナハイムという街は、おそらくアメリカの中でもオーランド、ラスベガスとともにもっとも治安の点で安心できる場所だ。
そして一番重要な点はバリアフリーのこと。アメリカは先進国の中でもバリアフリーが進んでいるとはなにかの本で読んだことがある。歴史のあるヨーロッパの国々では、建物も古いものも多くけっこうバリアがあるのではないかなとなんとなく思った部分もある。あとアジアの途上国の場合はなんとなく、なんとなくだけどバリアだらけのような気もした。例えばだけど、中国あたりでは公共の身障者向けトイレとかが普及しているのだろうか。
そういう点でも車椅子の妻を連れての旅行は、やっぱりアメリカかなと思った。それも基本的には都会、それもリゾート地であれば、バリアフリー設備も完備しているだろう。
実際のところ泊まったのがディズニーランド内にあるホテルだったこともあり、ホテル、ディズニーランドを含めて、トイレとかの心配もほとんどしないですんだし、段差とかも相当に配慮されていた。
あんまりきちんと順序立てていったわけではないが、なんとなくそういうことを考えて旅行を計画した部分もある。実際、車椅子ということでストレスを感じたことはあまりなかったかもしれない。多少はあったとしても、それは日本で普通に日々過ごしていても感じるものとさほど変わりはなかった。
1日目にオプションでバスによるロスアンゼルスの市内観光をチョイスした。何ヶ所か有名な場所に行ってはバスを降りて短時間観光するのだが、バスの乗り降りは少し時間はかかるけどなんとかクリアできた。その都度、トランクルームにしまってある車椅子を運転手が出してくれるのだが、嫌な顔一つすることなくやってくれた。
観光ツアーのスタッフにはチップは不要と最初に言われていたのだが、中年のアメリカ人運転手にこっそり5ドルのチップを渡すと「サンキュー」とにっこり受け取る。その後は、バスを停める時に歩道との間の隙間を少なくしてくれたり、けっこう細心の注意を払ってくれたりもした。チップなしでもけっこう気の利いたサービスを提供してくれる。でもチップを渡すとさらに良いサービスを心がけてくれる。なんとなく魚心、水心ではないが、チップが潤滑油になっているアメリカ社会の片鱗みたいなものを感じた部分だった。
小さなミス、失敗、そして感じた様々なストレス、それらをいちいちあげていったらきりがない。それは国内旅行でも同じようなことではあるけど、やっぱり海外では相当いろいろあるにはあった。でもけっして車椅子だからとかそういう部分ではなかったようにも思う。一番の問題は、言葉が通じないこと、コミュニケーションがとれないこと。向こうは普通に英語を立て板に水のごとく話してくる。そうなると単語の一つ二つしか聞き取れないことばっかりなのである。そしてこっちも言葉で自分の意思を相手にわからせることができない。このストレスといったらやっぱり半端じゃなかったようにも思う。
例えばホテルでベッドは2つと娘用に簡易型のエクストラベッドをリクエストしていて、代理店との打ち合わせでも大丈夫と言われていたのだが、いざ行ってみるとベッドは2つあるだけ。フロントに言ってみても言葉がうまく伝わらない。かろうじてこっちの人数が3名であり、娘のためのベッドがないことを単語つなげて話してみても、対応してくれたおばちゃんは、「あなたのお部屋はクイーンベッドが2台の仕様なのよ」みたいなことを言うだけ。
翌日だったか、旅行代理店のロスの支社に電話してクレームを出す。夜遅くに部屋に戻ってくると電話のランプが点滅していて、メッセージが残っているという。どうするとそのメッセージが聞けるかよくわからないのだが、いろいろボタンを押してみるとようやくメッセージが聞くことができ、旅行代理店の現地スタッフからホテルに連絡をとったこと、フロントにきちんとリクエストすればホテル側はエクストラベッドを用意できるという。
「チョイ、チョイ、チョイ」である。きちんとフロントにリクエストできないから、君たち代理店を頼っているのである。なんで、そっちで手配ができない。結局またフロントに行って単語まじりで必死にこっちの意を表現するのにうんざりだったのと、すでに一泊して残り二泊だけだったのでエクストラベッドはあきらめた。
まあ朝8時過ぎから夜12時近くまで遊びまわっていて、部屋にいる時間は極端に少なかったし、本当に寝に帰ってくるだけだったから、3日間くらい妻と娘で寝るのもさほどしんどいことでもなかったから。
あと最後の日、ロスアンゼルスの空港でのこと。旅行代理店のスタッフに送ってもらい、最初に航空会社のカウンターでチェックインを済ませる。それから荷物を預けてから出国手続きをすませるのだが、出発ゲートは2階にあるため、車椅子を利用する我々はエレベーターを使用しなくてはならない。60から69までの出発ゲートは6の場所で出国手続きと手荷物検査を行わなければならないので、他の人々と一緒に並んでいると、係の者が「お前たちはここではない」みたいなことを言う。そしてかすかにセブンと言っているようなので7の場所へテクテク行く。
ロサンゼルス国際空港は広くて6から7へはだいたい100メートルくらいありそうな感じでそれぞれに航空会社のチェックインカウンターが連なっているんだが、7は他の航空会社が主に使っているようで、我々が乗る航空会社の文字がない。それでまた戻って、6の場所で今度は別のスタッフに聞いてみると、このスタッフはスペイン語風の言葉をしゃべる。かすかにセブンって言っているような気もしたので、また7の場所へ向かい、そこのエレベーターを使って2階に行く。そこでいざ出国手続きをとパスポートとEチケットを出すと、係員がここではないと言う。そして7ではなく5、ファイブと言いEチケットの裏に5とボールペンで書いてくれる。
エレベーターを降りて、今度は7から5へ向けてまたテクテク歩く。途中で6の場所を通ると、係員に呼び止められ、よくわからないのだが「お前たち何している、さっき7へ行けと言ったでしょう」みたいなことを言う。こっちもあっちへ行き、こっちへ行きでいい加減キレそうになったので、少し声のトーンをあげて「ノー セブン。ファイブ」と言うと、その係員はちょっとひるんだ様子でそれならあっちだという感じで指を指す。
5の場所へついてエレベーターで上階に行く。そのときは車椅子の人がいて航空会社のスタッフが押していたのでそれにくっついて行くと、無事に出国手続きができた。手荷物検査も終了して先に進むと、それから一度エレベーターで階下に降りて連絡通路を通って6の出発ゲートへ向かうのだが、ここもかなりの距離を歩かなくてはならない。このへんがスムーズに行ったのは別の車椅子の人をサポートしている航空会社のスタッフがお前たち一緒についてこい、こっちみたいな感じで指図してくれたからなんだけど。
出発ゲートにたどり着いてからいろいろ考えてみるのだが、本来車椅子のお客には航空会社のスタッフがついてくれるのだが、我々の場合家族がいるためそれがパスされたようだ。でも成田に到着すると航空会社のスタッフがきちんとついてくれて車椅子を押してくれて税関審査まですべて案内をしてくれた。ようはロスでは家族がいるからという理由でそのへんが手抜きされてしまったみたいだ。
さらにいえばもともと、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしなければならなかったのは、そもそも6番で上階へ行くエレベーターが故障中だったためのようだ。たぶん6番付近の係員は最初にそういうことで7へ行けみたいなことを言ったのだろうが、いかんせん言葉がわからないこっちには伝わらない。ただ言っている中にout of orderとかbreaking downとか、そもそもElevatorとかいう言葉があったかどうかもわからない。
空港へはかなり早い時間に来ていたからいいけど、結果としてチェックインを済ませてから出国手続きをするまでにゆうに1時間以上かかってしまい、最終的には最終搭乗になってしまった。
結局のところバリアフリーがどうのこうのといってもね、ハードウェアの障壁などはけっこうクリアできるのだと思う。しかしコミュニケーションがきちんととれないと、ある部分にっちもさっちもいかなくなってしまう。今回の海外旅行で感じた一番の教訓は、言葉が通じないというのが究極のバリアじゃないかなということでした。やっぱり海外へ行くのであれば、最低限コミュニケーションがとれるくらいの会話ができないといけないよね、と。
とはいえ齢50を過ぎてまたまた一から英語始めるのもしんどいなとも思う。でもせっかくだから少しかじってみるかとも思った。言葉がわかればもっともっと海外旅行が楽しめるだろうから。
さらにいえば小学生の娘にも父が、あるいは我々が様々にトラブルにぶち当たるのも結局コミュニケーションができないためということが身近にいてよくわかったはずである。「お前、英語勉強しろよ」というと「うん、わかった」とある種英語の必要性を体感したようである。「お前が最後の希望だ」と20世紀少年のオッチョの言葉をもじって冗談めかして言うと、娘は「わたしがカンナ」と笑って答えた。中学いってから英語の勉強が始まっても実際なんのために勉強するのかなんてなかなか子どもにはわからないだろう。でも少なくとも娘には英語の必要性がよくわかったはずだと思う。
もし娘が今後外国語に積極的に取り組んでくれたら、今回の旅行が一番よかったのは、そのへんのきっかけに繋がったからみたいなことになるのかもしれないなと思う。繰り返すけど、一番のバリアは言葉、コミュニケーションがとれないことでした。