小学校の卒業式

ようやくというか、やっとというか、いやいやまだまだというべきか、とにもかくにも小学校の卒業である。
卒業式の準備は、まず着ていくものである。男子の場合は中学の制服でいいのだが、女の子の場合は違う。セットアップという、所謂一つの女の子向けの可愛いスーツを着せなくてはならない。これがまずお約束の一つ。このセットアップもピンキリである。ピンのほうはというと、たぶん例のナルミヤさんである。メゾだのエンブルだのポンポネだのである。他にも組曲だの、通モノになるとラルフやニューヨーカーなどなど。キリのほうはというとジャスコやサティの子ども売り場にある1万前後のものである。デザイン的にはほとんど同じような感じでジャケットとチェックのスカートみたいなもの。
もちろん準備は怠りなかったはずである。ある意味2年近く前からこの日のためにヤフオク使って一応新品系を2〜3着160cmのもので揃えていた。みんな1〜2回、やれ学童の卒園式とかなんとかで着たりしたものもあるし、一度も袖通したこともないものもある。でも、とりえあず衣装に関してはOKのはずだった。
ただここのところ、栄養が良すぎるのかややもすればポッチャリを通り越してずいぶんと太目になってきていたのが若干気がかり。二週間くらい前に在庫しているフォーマル系をぜんぶ出してきてファッション・ショーをやらせてみる。
と、ある意味卒業式のために買い揃えておいたはずのフォーマルがすべて役に立たないことが判明。スカートがね、みんなウェスト部分でサイズアウトなのよ。これってどう?さすがに我が娘である、みごとに期待を裏切ってくれるのである。「お前、10日でウェスト最低5cm細くできる?」
しかたないので急遽土日を使って買い物にいくはめに。でも今さらたった1日のために3万だの5万だのなんて買い物できるかという思い。おそらく今後のフォーマルというか、儀式系は便利に中学の制服でということになるだろう。これから3年以内に厳かな園遊会だのパーティだの、誰かの結婚式だのなんのあるだろうか?たぶんないと思う。
ここで数万の投資はたぶん投資ではない、明らかにドブ捨て的である。安く揃えようと思った。どうせまだまだ成長過程だし、あまり考えられないけどウェストのサイズダウンだってあるかもしれないし、それ以上にサイズアップはありそうなのである。
そこで考えたのが我が家御用達の洋品店であるユニクロで安くあげようと。で、たまたま行った越谷のイオンレイクタウンの比較的でかいユニクロでジャケットだのなんのを揃えることに。ちょうどこの次期だとユニクロでも新入社員とか用なんだろうな、ちょっと通勤とかで使えそうなジャケット、スカート、パンツ、ブラウスの類も豊富に揃えてある。
そこでジャケット、スカート、ブラウスの3点をバラ買い。サイズは全部Mサイズ。まだ小学生だというのに一丁前のことである。しめてだいたい1万円くらいだったか。ただ悲しいかな娘が気に入ったスカートはウェストがゴムのやつ。お前今からウェストゴムはやめろよなと小さくつぶやくもいたしかたなし。
今日行ってみると案の定女子たちは、みんな一律同じような可愛らしいフォーマルである。うちの娘だけは普通の通勤ジャケットだから可愛げもなにもない。ただし後で聞いてみると、男の子からは○○のスーツは大人ぽくってかっこいいと言われたと、けっこうまんざらでもなさそうだった。

さて卒業式のことである。朝から雨である。関東圏のどこかでは雪もちらついたという話もあるくらいでとにかく寒い。事前に学校から駐車許可書をもらっていたので当然のように車で行くが、車から車椅子を出して妻を乗せてという一連の作業を雨の中で行うのがけっこうしんどいことしんどいこと。会場の体育館に入るのには当然のごとく段差がある。男性の教員数名に手伝っていただきなんとか体育館の中に入る。
いつもこうして手伝っていただき大変有難いと感謝の思いをもっている。しかし今さらながら公立学校のバリアだらけの現実を改めて痛感する。おそらく新設校ではそのへんはだいたいクリアされているのだろうが、たいていの小中学校は施工されてから20〜40年くらい経っている。1970年代から80年代、90年代にはバリアフリーだの、ユニバーサルデザインといった思想、考え方は一切なかったということなんだろうな。
だいたいにおいて昭和時代に建設された公立学校にはまずエレベーターの設置はない。当時の発想では車椅子の子どもを受け入れるなんてことはありえなかったのだろう。まして父兄に障害者がいるなんてことも想定外だったのだろう。意外と子どもにエレベーターなんて、楽させるだけだろうみたいな精神論が幅きかせていたりして。
かといって全国にある公立学校のバリアだけの現実を改善させるような工事を前面的に行った場合には、いったいどのくらい金がかかるのかどうか。それを思うと気が重い。とはいえ子ども手当てでバラ撒く金の数%で事足りるのではないかという思いもあるにはある。それ以前にこれまでの公共事業が一から作るあげる箱モノ主体だったのだろうと思うこともある。住宅政策とかが新築中心であるようにだ。
箱モノ一から作り上げたほうが、いかにも向こう受けする。政治家的には票に直結するとか、利権の入る余地が高いとかいろいろあるのかもしれない。しかしこれからは既存の施設の改装という視点がより重要になっていくのではないかとも思う。築30年近くたった公共施設とはい、その建て替えの原資、財源などはあまりないだろう。まして学校などは少子化の影響であまり多く必要にはならなくなってくるかもしれない。とはいえたとえば安全面でも耐震補強等は必要になってくるのである。既存施設のリフォーム、改良等にもきちんと予算対応していく必要もあるのだろうな。

話は大幅に脱線した。卒業式のことである。車椅子ということで父兄席の最前列に案内していただく。子どもの晴れ姿を撮影するために朝早くから準備してこられ、一番前の席を確保した親御さんからすれば、たぶんこいつらなによみたいな感覚もあるかもしれない。妻の隣で椅子に座っていてもなんとなく背を丸めて小さくなってしまう部分もある。
卒業式は式次第に即して、ある意味粛々と行われる。壇上に上がるに際して校長もその他の先生も、来賓もみな壇上の上に掲揚された日の丸に一礼する。一同起立して国家斉唱を行う。文科省が進めてきた施策はきちんと定着しつつあるようだな。こと学校行事に関しては昨年の政権交代の影響はあまりないということか。民主党参院会長興石さんは、小沢さんのことで忙しくて、こういうことに影響力を及ぼすことができなかったのかな。
なんとなくだけど政権交代の影響とかが地域の小学校の卒業式でも見受けられるかもと、興味本位の定点観測めいた意識もあったのだけど残念ながらなにもありませんでしたね。で、「君が代」が歌ったかというと、口ずさみもしなかった。なんかそういう気分じゃなかったし、それ以上になんで入学式や卒業式で「君が代」なのかというのが、どうにも自分の中で整理できていないのだな。
かといって「君が代」全否定かというと、国立のサッカー日本代表の試合とかだと、普通にけっこうでかい声だして歌ったりもするからね。そこそこ意識も高揚するし、代表の試合は国と国との戦いみたいな部分もあるし。まあ単純にナショナリズム的高揚なんだろうな。
まあいい。卒業式のことだ、どうにも雑念が多いせいかもしれないが、あまり感慨とかないのである。ひょっとしたらこれまでの子育てのいろいろな思いとかで、うるうるしたりするのかなとも思ったのだが。なんにもありはしない。寒いし、終わった後で雨の中、どうやって妻をあんまり濡らせないで車に乗せるかとか、昼食はどこで食べようとか、ようするに雑念が多すぎるのだな。考えようによっては、多忙なお父さんなのである。いろいろ次にやることのシミュレーションしておかなくてはならないから、目の前のことに手中できないというか、なんというか。
式は昼前に終了。子どもたちは最後のホームルームを教室で終えてから廊下の両側で待機する親たちの前を通って通用口のところで解散。仲の良い者どうしで親から写真を撮ってもらっている。その間を通り抜けて渡り廊下に妻を連れていく。それから車を近くまで移動させてきて妻を乗せて。その頃には娘もやってきたので、体育館の前で記念撮影をして終了。
小学校の卒業式はある種の区切りなんだろうけど、まだまだこれからというところでしょう。これから中学だ、高校だとたぶんいろいろなことが待っている。子どもにとってもそうだし、親的にも。ということであんまり感慨深くなどとはいってはいられない。山頭火の句でも浮かんでくるところだ。
 分け入っても 分け入っても 青い山
そろそろ折り返し地点にたどり着いた頃なんだろうか、それともまだまだ三〜四合目あたりなんだろうか。