電車に乗る

そろそろそういう訓練も必要になるだろうと考えて、妻を連れて駅まで行き電車に乗った。妻にとっては発症以来、おそよ1年半ぶりくらいの電車への乗車ということになる。
いちおう現時点でも妻は職場への復帰を目指している。実のところでいえば、私はそれに懐疑的だ。片麻痺、注意障害という病気の問題もある。さらには最寄駅まで徒歩で15分以上かかる道程を毎日杖歩行で行き来するのが可能なのかどうか。駅に着いてもエレベーターや階段を行ったきたりの連続だ。電車の乗降や乗り継ぎ、満員電車のこと、そんなバリアだらけの中でヨチヨチ歩きに近い現在の妻が普通にこなしていくことができるのかどうか。
国リハの医師にしろ、現在のディケアの療法士にしろ、妻が職場復帰を目指していることについては、頭から否定することはない。「それは可能かもしれませんが・・・・」みたいな語尾をにごらせるような口ぶりだ。いや、国リハの主治医は、やんわりとだが「職場復帰も可能だとは思う。もちろん会社のほうでの受け入れの体制が整っていないと難しいでしょうが。それとやはり毎日の通勤が可能かどうかという問題もある。そういうことをいろいろ考えていくと、より現実的には家事中心の主婦としての役割を担われていく方が現実的だと思う」、そんなニュアンスのことを話されていた。
それでも妻は今の家を手放したくないという思いもあり、職場への復帰についてはそれなりに強い意欲を持っている。であれば通勤の訓練を始めなくてはいけないだろうと、デイに行かない日は、天気が良ければ出きるだけ駅まで行くようにしてはと勧めてみた。妻はそれを励行しているようで、最初は片道で1時間近くかかていたのだが最近は45分くらいで駅まで行けるようになりつつあるという。駅前のバス停にあるベンチで少し休み、帰りの行程をこなすのだという。
駅までの往復の散歩がそこそこ日課になりつつあるということを聞いていたので、それでは今度は電車に乗るのをやってみようということになった。ここのところずっと車での移動ばかりだったから、娘も大喜びだった。駅までは妻の歩行を見守りつつ、一応念のため車椅子を押しながらついていった。駅に着いて改札に向かうのにまず階段かエスカレーターを使う必要がある。さすがに今日は難しいだろうと思いやや遠回りになるがアイムプラザのエレベーターを利用した。妻はさすがに45分近く歩いてきて疲れているので、ここからはずっと車椅子に乗せた。ただ毎日ということになると妻はやっぱりエスカレーターの乗り降りだけはきちんと練習しなければならないのだろうと思った。
切符を買う際に初めて身障手帳での割り引きを利用してみた。正直どういう風になるのかわからず、駅員に聞いてみると妻と介護者である私はそれぞれ目的地までの子ども料金の切符を買い、窓口で判を押してもらい自動改札を通るという方式になっていた。なるほど身障者の割引というのはこういうものかと妙に納得した。
改札を過ぎてからホームへはエレベーターを使って降りた。この日はとりあえず池袋まで行き、デパートの名店街をぷらっとして帰ることにする。車椅子を押して電車に乗るというのは、実は私にとっても初めての経験だ。ホームから電車に乗せる際などはけっこう緊張した。電車に乗っても他の人の乗降の妨げにならないような場所に車椅子を置かなくてはならない。そうなるとドア付近にはいられない。ということで電車の一番前に乗ることにする。なんかいろんなことを考えながら電車に乗らなくてはならないのだろうなと思った。降りた駅でもエレベーターの場所を探さなくてはならない。混んだホームでそれをやるのも大変だろう。地下鉄の乗り換えなんかだと上ったり、降りたりを繰り返さなくてはなるまい。
介助して車椅子を押して電車でどこかへ出かける機会もこれからは増えていくのだろう。そうなるとおそらく想像を超えるようなバリアだらけの社会に遭遇するのだろうと考えた。そこで途方にくれないようにそれぞれの駅のエレベーターの位置とかも事前に調べておく必要とかも出てくるのかもしれない。
そして妻はこれからこのバリアだらけの駅の階段=エスカレーターの上り下りやエレベーターの利用とかを一人で行っていかなくてはならないのだ。なにか気の遠くなるようなこと、そんな気がする。普通にすいている日中であってもけっこう大変なこと、それを朝、夕のラッシュの中で片麻痺杖歩行の妻がスムーズに移動していくことができるのかどうか、もう考えるだけで無理目100パーセントみたいな感じだ。
池袋に着いてからも妻はずっと車椅子に乗っていた。日曜の夕方の賑わう人通りの中を駅構内から東武百貨店の名店街や西武の名店街などを歩いて回った。池袋の駅通路は半地下にあるので、外へ出るには階段かデパートのエスカレーター、エレベーターを利用することになる。これを探して歩くのも一苦労だ。健常者であれば普通に移動できる簡単な距離がちっとも簡単ではない。この感覚って、昔あったなと思って考えてみると、そう、それは娘が赤ん坊の頃のベビーカーを押して都内とかに来た時と同じ苦労でもあった。まあ、そう思うと車椅子を押しての移動も少しだけ楽になった。
でも、今回は初めの一歩なのだ。たぶんこれから何度かこうして車椅子を使って都内へ電車で来る機会を作ることになるのだろう。その次のステップは車椅子なしで。それを何度か繰り返してから、今度は妻は一人で都内へ出かける練習もしなくてはならない。そうしたことが普通にできたうえで、ようやっと職場復帰の最初のハードルのクリアということになるのだ。