お寄せいただいたコメントに涙する

前回のしょもない私の愚痴に対してコメントをお寄せいただいた皆さんに正直感謝いたします。自身の記述にしてもなんの斟酌もない感情の吐露みたいで、読み返すと恥ずかしいというか、公開すべき内容ではないような気もしました。それに対してお寄せいただいた方々のコメントには、本当に有難かったし、涙しつつ読ませていただきました。心強くも思いましたし、もう少し頑張んなくちゃねと、気持ちを奮い立たせるところもありました。
ネットの向こうに、同情、共感、励まし、そういうストレートな気持ちを抱いてくださる人々が少なからずいるということに感謝しつつ、性善説にたったネットへの可能性みたいなものを考えていきたいと思っています。
でも理由はどうあれ自分の気持ちにまかせて、自分よりも確実に弱者であるべき家族に対して言葉の暴力、あるいは身体的な暴力をあびせるのは、やっぱりなんとかしなければとは思う。一方で歯止めがきかない自分がいるのだけど、どこかでそれをたいていの場合後付ではあるけれど、恥じている自分もいる。そのこんなことをしちゃあかんと思う自分を大切にしていきたいとは思っている。なかなか一朝というか簡単には改善されないのだけど。
子どもに対する親の暴力。たいていの場合ね、親はいうのよ。これはしつけだって。そしてそのしつけがエスカレートした挙句にどうなるか。ドメスティック・バイオレンスの事件はみんなその挙句が先鋭化されておきるんだろうな。子どもに体罰をすることの理由付けはなにか、自分の場合、ものの良し悪しを、善悪の区別を、子どもにわからせるためという、多分そんな理由なのだと思う。それならきちんと言葉で、理性的に説明すればいいだけのことなのに、感情的になってしまい、自分の気持ちのままについ手がでてしまうの。
歯止めかけなくてはいけないのだろうな。暴力や恐怖で子どもを躾けても子どもに何の効果もないのだろうとも思う。子どもは今のところ、いろんな意味で父親を信頼してくれてもいるし、ある部分父親の意志なり決定なりを最優先事項としてくれている。それが父親に対する信頼感からくるものであってくれればいいけど、もしも父親の暴力とかそういう部分からくるものであったらとても悲しいことだとは思う。
そうならないように不断の努力、ガス抜きが必要なんだろうな。
そして妻に対してもだ。これはまた別の機会に書くことにするけど、彼女への思いやり、障碍への理解、そういう部分をいつも優先的に考えていれば、もう少し彼女の言動へ理解とかもできそうな気するのだが。とはいえこれも一朝一夕にはいかない。不断の努力、努力。