妻の注意障害について

妻の退院以来、所謂注意障害、所謂高次脳機能障害みたいなことについていえば、ちっとも改善されていないという実感を日々持っていた。具体的にどこがというと中々一口に言えない部分でもあるのだが。
確か水曜日だったか、妻が例によって昼1時少し前に定時連絡を入れてきた。毎日のやりとりである、「元気?変りない」みたいな会話だけなのだが、妻はとにかく毎日かけてくる。その日も話をしているところで、たぶん宅急便かなにかの来訪でピンポンがあったらしい。で、「妻はちょっと待っていて」と言って携帯を置いたようだ。それからインターホンで体が不自由なので下に降りていけないので、夜にもう一度きて欲しいと話す妻の声が電話越しに聞こえてきた。インターホンでの対応が終わったので、すぐに携帯を取り上げてまた話をするだろうと思って待っているのだが、いつまで経っても妻は電話に出ない。電話にはかすかに妻が娘やヘルパーさんと話す声が聞こえるのだが。こっちもまもなく昼休みも終わるので電話をきりたいところだったので、「お〜い」と呼びかけるのだが電話にはやっぱり出ない。しょうがなく電話を切った。あとで気づいて電話かけてくるかとも思ったが電話はなかった。
これは「注意」の4つの機能の一つ注意の転換がうまくできないということなのだろう。注意の転換とは例えばテレビをつけながら文章を書いているというながら仕事をしていて、テレビが急に臨時ニュースを流した時、文章を書く手をとめてニュースに注意を向け、そのニュースが終了したらまた文章を書く作業に戻るといった一連の転換行為だ。この注意の転換に障害があるとニュースを見て、そのままテレビをずっと見続けてしまい、文章作業に戻ることができなくなる。
妻の電話はまさしくこの例だと思う。これが電話だったからいいけれど、もしコンロを使っていたりした時にピンポンがあったら、などと想定すると寒気がしてくる。こういうことが日々一緒に生活しているといろいろあるな〜と思わせるのが最近の妻だ。ちっとも治っていないじゃないかというのはそういう部分のことなんだが、それでも発症当初に比べれば格段に好転しているということでもあるわけで、なんともというところだ。
国リハの医師が言っていたことだけど、高次脳機能障害の改善には時間がかかること、少しづつ少しづつ好転していくものだという言葉をもう一度再確認していくべきなんだろう。でも、一緒に生活していくとなかなかそういう長い目でという意識にならなれない部分も多々ありなのだ。