娘のお弁当

 今日は朝の時間帯に全精力を注いだ感ありだ。5時半にセットした目覚ましで起床。前夜、タイマーしておいた炊飯器で飯は炊けている。遠足の弁当作り。おかずは基本的に冷凍物中心だが、手作りものも少しはと思ってはいた。まず冷凍モノのハンバーグ、海老フライ、鳥のから揚げをそれぞれ一つづつチンしては、弁当箱にベーキング・カップをしいて入れる。次にほうれん草のバターソティを作り、同じくカップに。さらに溶けるチーズをこまかくしてまぜたオムレツ作ってその三分の一をカップに。最後にデザートにモモ缶のモモを二切れ汁気をよくきって、またカップにいれる。もともと子ども用の小さな弁当箱に少しづつ入れるのだから非効率だよな、これなどと思いながらも彩りとかも一応考える。
 最後にご飯は当初おにぎりも考えたが疲れそうなので、ご飯をボールに入れてふりかけを混ぜ合わせる。おとなのふりかけの鮭わかめとゆかり梅の二色。これを弁当箱につめて完了。とにかく7時には全工程を終了した。こんなに手の込んだ弁当を作ったのは生まれて初めてのことだったが、我ながらよく出来たとは思ったぞ。
 だいたいこれまでの人生で弁当なんて自分で作ったのは多分これが二度目くらいか。一度目は娘が三歳くらいの時、年末の最後の週は保育園の厨房が大掃除で給食がでないとかで一回だけ作らされた時。その時はおかずは冷凍のハンバーグとウィンナーだけだったような覚えがある。それ以来、娘のお弁当は妻の聖域だったし、私は金輪際やらないと決めていたのだけど。
 とにかくこと料理に関しては機能重視(ようは食べれればいい)だから、見た目とか考えて手を加えたり、チマチマ手間隙かけるのは苦手なのに。やっぱり子どもの立場にたつと、他の子どもといろいろ見比べたりとかもあるだろうからとか思うわけだよな。
 私自身、母親がいない家庭で育ったのと、育ててくれた祖母があまりそういうことに興味がないタイプだったから、弁当というと普通の金物の弁当箱で海苔弁とかせいぜい卵焼きが入っている程度みたいなことが多かった。時代が時代だからそれでもけっこう普通だったけど、やっぱり当時でも手の込んだキレイな弁当もってくる子もちらほらいて、貧乏な自分たちからすると羨望みたいな部分もあった。
 娘の生きる現在では、子どもの弁当といえば手の込んだものが主流。遠足とかになると多分お母さん方もはりきって手をかけるのだろう。そうなるとやっぱり子どもに肩身の狭い思いはさせたくないなと思ったりもするわけだ。しかし、こういうのが続くとなるとちょっと考えものだな。今から小学校の遠足だのなんだのが憂鬱なってくる。
 弁当作りを終えてからは娘に食事をさせて、その間こっちは昨日学童から持ち帰った書類の記入。やれ緊急連絡先とか時間外保育の申し込みだのなんだの。とにかく夜渡されて明日までにお願いしますだもの。書き終わってから洗濯物を干したりしてたら、久々自分も朝飯食べようかと用意しておいたパンに溶けるチーズをのせてチンしたやつをレンジに残したまま出かけるはめになった。
 救いといえば救いなのは、娘が私の作ってくれた弁当をけっこう感動して「美味しそう、すごいねパパ」と言ってくれたこと。夜迎えにいった時「お弁当、美味しかったよ」と言ってくれたことか。家に帰って娘が持ってきた弁当箱は本当見事なほどキレイに空になっていた。