『60年代が僕たちをつくった』(洋泉社刊)

 

 先日、会社の同僚のY君から借りた。彼は光が丘図書館から借りたものらしいのだが、「おいおい、又貸しはいけないことだよ」と具にもつかないつっこみひとつ。
 著者は小野民樹。現役の岩波書店の編集者。父親も作家だったとのことだが、こういうパターン多いのよね、岩波って、もう著者筋の弟妹ばっかり。
 この本は'60年代の高校時代を送った著者とその友人たちのその後を綴ったルポ風、回顧談みたいなもの。'70年安保を前にしたあの躍動感らしきものがあった時代の雰囲気、その中で悪戦苦闘するある種の青春群像が描かれている。
 登場人物たちは’60年代半ばに都立西高校という進学校に身を置いていた5〜6名のしょうしょうエキセントリックな秀才たち。彼らの一人はドロップアウトしてその後はサブ・カルチャーの世界で波乱に満ちた人生を生きていく。一人はまた中国へ留学して文革の動乱の洗礼を受け、帰国後も共産党員として日中友好協会の職員として一貫した人生を送る。ある者は弁護士となり、ある者は医者となり、そしてある者は一流出版社の編集者としてはすに構えた人生を送る。
 後半は、すでに初老を迎えつつある団塊の世代の内省や老いをどう処していくかが綴られてもいる。それは団塊の世代という、僕らのようなその後からきた者にとっては、学園紛争の時代、世の中を好き勝手に荒らしまわって、その落とし前つけることなく社会に蔓延し、'70年代以降のしょうもない無責任、無価値、倫理観の喪失した社会の主役として自己の欲求のなかに埋没し、その後のバブル時代のフロントであり続けたネガティブな世代でしかありえない。さらにいえば、彼らは現代の同じような没価値、生活への埋没、倫理性放棄した20代〜30代の若い親たちの親として、彼らのしょうもない生き方を再生産している。
 そして、とにかくベビー・ブームの人々たちだから、多いのよね数が。で、僕たちにとってとにかく目の上たんこぶ的存在。ひとことで今の駄目になった日本社会を担い、造り続けてきたわけだ。そして僕らの頭をたたき、つぶし続けている存在。数多いだけに、なんか権益確保のための連帯だけは面々とあるのよね。
 この本に出てくる人々はそんな団塊の世代にあっては、それなりの内省をともなったある種良質な部分なのかもしれない。この本の終章で彼らが三十八年ぶりに再会を果たし出雲を旅行する。そのなかで、彼らは語らい、思いをぶつけあう。
「ぼくらの前の世代はどんどんハコつくったよね、一番偉いのが田中角栄でしょ、自民党がつくったハコに入れるもの、ぼくらは作れなかったわけだろう」
「でも、その虚しさが、ぼくたちの世代の特徴でしょう、なにも積極的なものを作れなかったわけだし、ぼくたちの独自の文化もないじゃない、高度成長のおこぼれで、勝手なことやってきたんだから。」
 そんな愚痴ともとれる自己と同世代に対する的確な認識が吐露されてはいる。でも結局彼らはなにも学ばず、なにも反省していやしない。彼らの現在の唯一な関心事は、結局自分たちの今後、老いとどう向き合うかということでしきゃないわけで、彼らの後の世代に対してどうけじめをつけていくか、なにを残すのかという先をゆく世代の責任意識が欠如している。彼らの老いへの意識の底には、'70〜'80年代、バブル崩壊までの年月、快適に生きてこれたことの再現として、なんとか快適な老後を送れないかという身勝手な欲望が見え隠れしているようにすら思えてしまう。
 著者の小野民樹という人、ある意味では'80年代の岩波のカラーのある部分をひっぱてきた人なんだとも思う。同時代ライブラリーを創刊し、その後現代文庫を創刊した。岩波の出版物としては亜流であった、映画やルポルタージュを一翼として確立した人らしい。おそらく編集者としての見識、実力のある人なんだろうと想像する。それはこの本のはしばしに見られる時代、状況に対しての的確なコメントからもうかがえるところだ。
 また彼が差別表現の指摘から絶版の危機にあった『ドリトル先生物語』を生きながらえさせた「差別に対する意見表明」を書いた人であることも知った。
「・・・・・中略
 しかし、あらゆる文学作品は書かれた時代の制約から自由ではありません。私たちは、これまでに、原作および翻訳の書かれた時代のもつ、現在よりすれば不適当と思われる箇所に最小限手をくわえ・・・刊行してきました。その理由は第三者が故人の作品の根幹に手を加えることは、著作人格権の問題こえて、現在の人権や差別問題を考えていく上で決して適切な態度とは思えないこと、古典的な文化遺産をまもっていく債務を負う出版社として、賢明ではないと考えるからであります。
 もとより、私たちはあらゆる差別に反対し、地球上から差別が根絶されるために努めることが、出版に携わるものの債務であると考えています。読者のみなさまにも、このドリトル先生物語を読まれたことをきっかけに、現代の世界にさまざまな差別が存在している事実を認識し、差別問題についての理解を深めていただきたいのです。私たちはそのような態度こそが、現代において古典的作品を読むことの意義であると信じています」
 長い引用になったが、この一文が現在の『ドリトル先生物語』の各巻に投げ込みで挿入されているらしい。本屋で手にとった時に見た覚えがある。当たり前といえば当たり前の一文だが、けだし名文だと思う。この一文によって、『ちびくろサンボ』絶版以来の差別表現の指摘への後手、後手に回ってきた対応に岩波は決別できたのではないかと思っている。もっともこんなことは『ちびくろサンボ』の時に毅然としてやるべきことだったんではないかとも思うのだが*1
 そういう意味では小野民樹は、岩波の編集者の一人として、その良質な部分を担ってきた一人だったんだと推測する。しかし、商業的にはほとんど成功らしい成功を収めているわけでもなく、それに対する恨みつらみみたいなコメントも綴られている。
「『最近社内で同時代ライブラリーの失敗が論じられることが多い。自分で二.二六の下っ端の青年将校程度の責任はあると思っていたが、インパール作戦の牟田口中将ほどにも非難され、たまたま新企画を思いつくと、全社員をまきぞえにする、大東亜戦争A級戦犯のごとくに陰口をたたかれることすらあるようだ。ひとこといっておくが、失敗といっても、編集二人で八年間、少なくとも人件費には十分な売り上げをあげてきているのだ。重版を食いつぶして申しわけ程度に新刊をつくりながら、出版の落日を高みの見物よろしく批評しているようなヒマ人に失敗などといわれるスジはない』と、ぼくは組合機関誌で啖呵をきった。こういういい方は深刻生真面目を建前とする会社で反発を買う。老舗の出版社の保守的な陰湿さが、慢性的な不況の下で、自信の喪失と僻みに転じて社内に蔓延していた。こういう状況では、新しい企画などやらないほうが利口なのだが、反対されるといつもやってみたくなるのだる。」
「この仕事*2に、ぼくはバカ手間をかけた。『日本映画史』『鎌田慧の記録』『新藤兼人の足跡』、文庫本と新書、編集した本は、四百冊を超えるだろう。世紀末からの構造的な出版不況に加えて無責任な経営判断の失敗が続き、岩波の屋台骨をゆるがせた。最大の売りだった丁寧な本つくりが弛緩する一方で、朝鮮、教科書、ナショナリズム・・・・・・真綿で首を絞めるように社内の思想統制が強まる。ぼくは政党や宗教団体の出版部にはいったわけじゃないと反発、局地戦では小さな勝をいくつか拾ったが、KOまでに至らず、無念の判定負けを続ける。ゲームの相手が審判を兼ね、検事と判事が同一人物、会社はカフカの世界なのだ」
 なんとも堂々とした会社批判の一文だ。これによって何らかのおとがめがあったのかどうか心配になるくらいだ。この作者が会社のメインストリームからはずれた存在になってしまうのではないかとさえ思ってします。聞くところのよると今の社長もまた団塊の世代らしいけど。
 でも、こうした自分の属する企業を批判する文章を上梓することを許容すること自体が、ある意味出版社の出版社たる部分でもあるのかもしれないとは思う。まあ普通の企業ではあんまり考えれられないことだし、たぶんリストラの対象にされたり、そうならなくても閑職に追いやられるのではないかと思う。
 で、この『60年代が僕たちをつくった』という本。著者の的確な時代認識に裏打ちされた団塊の世代の自己批評の書としてそれなりの価値を持っているとは思う。単なるノスタルチック、センチメンタルな回顧ものではない。同じ頃に出版されたらしい都立高校ものの出版物とは性格を異にするものだとは思う。しかし、誰かがどこかのサイトでこの本を評して最後に言ったこと「で、だからどうなの」という一言。結局そんな一言で括られてしまうような類の本だと僕も同感してしまう。「で、どうなんですか。それでなにがしたかったんですが、なにをしたいんですか」みたいな感想。
       

*1:個人的には『ちびくろサンボ』の再刊を望んでいるんだけど。最近では図書館ですら手にすることができなくなってきつつあるようだし、僕自身幼少期の記憶しかないんだが

*2:『講座日本映画史』