買切制度について

 つい先日、Twitterのタイムラインに岩波の買切についてのツィートが流れてきた。

  書店をやっていれば必ず遭遇する所謂岩波の買切問題だ。ある時は呪詛のごとく言われるものだ。そう岩波の本は買切で返品が出来ない。そのため昔は地方の書店などには汚い、日に焼けてくすんだパラフィン紙に包まれた岩波文庫が棚の上の方に数冊から数十冊並んでいるという光景に溢れていた。

 初めて勤めた書店でも、岩波の本を仕入れる時は注意するようにとは上司からもよく言われたものだった。とはいえ時代はまだ80年代初頭、しかも大学内の書店だったから、専門書は良く売れたし岩波の本も間違いなくよく動いていた。新学期には売れ筋の岩波新書、文庫はストック分を含めて20~30点は結束部数(ワンプという)で注文した。授業開始の一週間くらい前に文庫や新書のストックにはびっちりと売れ筋の本が詰まっていた。それらが5月の連休前くらいには空になるくらい売れた。

 今はどうかわからないが、当時の発注単位は1、3、5でその次は10冊となっていた。その次は15冊、いやそうではなく10冊の次は20冊かあるいは25冊だった。なぜかそれは岩波文庫の結束単位がだいたい20冊で、岩波新書は25冊だったからだ。

 岩波は当然返品が出来ないので、一部の売れ残り品がストックやバックヤードにもあったし、棚にも残っていた。それでも新刊はきちんと仕入ていたし、棚の品揃えのためには積極的に自主常備のカードを書いて注文もした。ただし買切ではあるのだが、当時取引していた専門取次が岩波に強いところだったので、年に1~2回売れ残り品を引き取ってくれたりもした。後で知ったのだが、岩波の常備は金額での返品枠みたいになっていて、よその大書店の常備の入れ替え時に他店の売れ残りを混ぜて返すことが常態化しているとのことだった。

 そんな岩波の買切制度はいつ頃から始まったのか、出版史の本とかにもあまり詳しくは書いてない。何で読んだのかはわからないが戦争中のことらしいとか、そういう話を聞いたことがあった。

 先日、調べものがあって『岩波書店七十年史』のページをめくっていた。この大型の本、岩波の社史はその後も80年史、90年史、100年史と続いているという話だ。この70年史は確か岩波の人から進呈していただいたと記憶しているのだが、左ページに年代ごとの刊行リスト、右側に岩波の社史、出版界の流れ、内外事情がまとめられている。岩波の評判になった『近代日本総合年表』と同じようなレイアウト、編集になっていて、出版業界のことを調べるときに割と重宝している。

 その『七十年史』の1939年の項にこんな記述がある。

9.15 買切り制実施を声明-岡崎義恵≪日本文芸の様式≫の発売(20日)に当たり、以後岩波書店の単行本・全書・辞典等は書店買切り制を実施すると発表した。文庫・新書等は買切り制にしなかったが、事実上はこのころから書籍が一般に品不足となったので、返品はほとんどなくなっていた。その機会をとらえて従来主張してきた買切り制にふみ切ったのである。したがって、このことによって小売り書店に損失を与えることはなかった。 

  すでに日中戦争は泥沼と化しており、日本は戦時体制にあり統制経済により、出版のための紙は配給されるようになっていた。さらに思想統制による検閲が横行し出版の自由はほとんどないに等しい状況にあった。しかし奇妙なことにこの時代、資材の欠乏のゆえにかストック、在庫品が飛ぶように売れていて、一種の出版好況が数年にわたり続いていた。

 特に岩波の場合、1934年4月から岩波文庫の帯に「慰問袋に岩波文庫」の標語が刷り込まれたほどに軍からの需要があった。戦線将兵向け慰問品として岩波文庫数十万部もが軍から一括買い上げされていた。

 そういう時代に、書籍が全般的に品不足となっている状況化に、岩波の持論でもあった買切制度が実施されたのである。記憶違いがあるかもしれないが、岩波に対して辛辣な意見を吐いた山本夏彦が戦時下のどさくさに強行した買切制度みたいなことを書いていたような記憶がある。

 そうなのである。買切制度は責任販売制でもなんでもなく、戦時下、書籍の品不足が顕著になった状況で実施された制度であり、戦後「買切制度」を擁護するためにいわれる責任販売制とはまったく異なるものだった。

 とはいえ買切制度が書店を苦しめるだけのもの、書店に不良在庫を強いるだけの制度だとは実は思っていない。実際、返品率が平均で40%を超すような今の状況にあっては、買切制度は案外長所となるものを持っているのではないか。そう思うべきところも実はある。委託制度によって成り立ってきた出版業界は、売れ行きが最盛期の半分以下となるにいたって、さらに雑誌売上が書籍を下回る状況にいたって、もうビジネスモデルとして成立しなくなってきている。

 昔から書籍は儲からない、無理無駄が多いビジネスだった。それを儲かる雑誌やコミックの売上、利益が帳消しにするというのが出版業界の常だった。それがここ数年にいたって、ついに雑誌売上が書籍売上を下回るようになった。もう無理無駄、儲からない書籍を補填するものがなくなってしまった。つまりはもう出版業界はビジネスモデルとして成立しえなくなっている。

 そういう状況にあって返品を抑制する手段として責任販売制の導入、買切への移行は先駆性があったといえないでもない。ただし、ただしだ、岩波の買切には致命的な問題がある。それは買切かつ高正味ということだ。今の事情はよくわからないが、70~80年の頃までは岩波の取次への出し正味は75前後だったと記憶している。取次が7分のせるとすれば書店への正味は83前後となる。1~2冊売れ残りが出てデッド化すれば書店の利益は全部吹っ飛ぶことになる。おまけに岩波の価格は読者の便宜を図るということから低価格に抑えられている。

 岩波の流通政策は創業時に武士の商法と揶揄されたような高飛車なところから始まっている。出版社は良い本を出し、それがきちんと読者に伝わるように広告宣伝を随時行っている。だから書店は努力しなくても読者が買いに来る。だから利益率が低くくても当たり前である。そういうような理屈だったのではないか。

 岩波は読者に対して買切制度についての説明を適宜行っている。しかしそれはどこかキレイごとで、良書を作り読者に届けるためには出版社の経営を安定させる必要がある。そのためには買切制度は必要だというのだ。岩波文庫の創刊に携わり、戦後岩波書店の会長を長く務めた小林勇の著書『一本の道』にはこんな記述がある。長いが引用する。

 そのころ私は、ほとんど毎月一週間くらい講演会のため地方に出ていた。忙しい私が自分で行かなくてもよかったのだが、私は読者に訴えたいことがあったのだ。それは主として岩波書店の営業方針についてであった。出版物を見て貰えばその社の方針性格はわかる。しかし読者は、説明しなければ、営業のことはわからない。

 岩波書店が、戦後一切買切制にしたことは本屋仲間でずいぶんトラブルを起こした。全出版社は、委託制を行っている。出版社は、新刊が出来ると取次店を通じて小売店に送りつけて貰う。売れなかったものは返品される。返品の率は三五%に及ぶといわれている。日本の出版業が不安定なのは、この返品問題に根ざしているといっても過言ではない。

 岩波書店の買切制は小売書店の反撥をうけた。また読者からも店頭で本を見ることが出来ないという不満を訴えられた。しかし私たちの方針は正しい、守り通さなければならぬと確信していた。私は講演のはじまる前わずかの時間を貰って、聴衆にこのことを訴えた。

一本の道 新装版

一本の道 新装版

  • 作者:小林 勇
  • 発売日: 2012/12/20
  • メディア: 単行本
 

  これは出版社の側からすれば一理ある理屈である。しかしそこに小売書店への気配りはない。繰り返すが、高正味での買切制でかつ定価販売の再販制度の元では、書店は売れ残り品を出したら、利益が飛ぶのである。もちろん在庫を抱えても他に売れるものがあれば、その利益で不良在庫をもつことも、それを処分することも可能だ。かっては大量販売が常であり、ベストセラー書籍が年に何点も輩出され、雑誌が飛ぶように売れた。だから少々の買切品でも、それが良書であれば余裕のある書店はそれを棚に並べることができた。それによりその書店は品揃えが良いというブランドイメージを読者に与えることができた。

 しかしもはや出版不況は極限まできている。売れ残りを出すことは、不良在庫をもつことは、いや商品力がそれなりにあったとしても返せない商品を持つことは書店にとっては死を意味するといっても過言ではないのだ。

 買切制度は悪ではない。問題は書店に十分な利益が与えられていないということだ。1000円の本を8掛で10冊仕入れる。全部売れれば書店の利益は2000円だ。でも3冊売れ残れば2400円の在庫を抱える。もし掛け率が6割だったら3冊の売れ残り品は1800円、利益は4200円あるのでそれで他の経費を賄える。単純にいえばそういうことだ。もちろん実際はそんなに単純ではない。

 買切制度を維持していくのであれば、再販制度の廃止と書店への出し正味を下げる。それ以外にないと思う。そのためには本の定価を上げる。結局のところはそうなる。しかしそれでは読者の利益はどうなるのか、良書を安価で読むことができなくなるということになる。しかし良書が出なくなるよりはマシではないかとも思う。