また中古車椅子を購入した

 妻の車椅子は介護保険でレンタルしてるのもので常時車に積んでいる。しかし近所をちょっと散歩したり買い物したりというときにその都度車から出し入れするのが面倒なので、これとは別に1台用意していてこれは玄関に畳んでおいてある。これはリサイクルショップで中古で購入している。これまで3代くらい買い替えている。障害者となってから15年くらい経つことを考えれば、まあそういうものだろうと思う。

 前回購入したのは2019年の12月で、松永製作所NEXT CORE-11Bという比較的軽量のものだ。たしか翌年2月にアメリカ旅行に行くのに軽くて取り回しがしやすいものということで物色して購入した。

中古車椅子を購入する - トムジィの日常雑記

 これがけっこうあたりで、妻はこの車椅子になってからは一人でも近所を散歩するようになった。私が仕事を辞めたこともあり、ご近所の散歩の頻度も増してきていて、場合によっては10キロくらいの距離を散歩することもある。

 そうなるとタイヤもけっこう減ってきている。先日も散歩の途中にASAHIで空気を入れさせてもらった時に、店員さんからだいぶタイヤ減ってきていると言われた。タイヤは取り寄せでチューブや工賃を入れると2本で8000円くらいかかるという。気に入っている車椅子なので、そのうちこれは考えないといけないかと思いつつも、中古で購入して2年近く経つのでそろそろ次を用意することも考えないといけないかとも思った。

 そこでここのところ2台続けて買った福祉用具の中古販売をしているところのサイトを久々見てみると、NEXT CORE 11Bの出物がちょうど売れたばかりだったりする。中古品は次いつ入るかの見通しもたたないんのでちょっと残念だと思った。

 それから次にヤフオクをのぞいてみるとちょうど中古品が2台出ているのを見つけた。程度はまあまあで、ランクでいえばAとBの間くらいで価格は8500円からとなっている。ただし送料が大型品のため4000円くらいかかるという。よく見てみると直接引き取りも可能で、場所を調べると同じ県内の割と大きなリサイクルショップで、家からは30〜40分くらいの距離だ。

 それでとりあえず現物を見てモノが良ければ買うかと早速出かけてみた。現物はというと、まあまあという感じ。いつも買っているのは整備品なのだが、こちらは消毒清掃はされているけれど整備はされていないみたい。割と大きなフロアで10台くらい車椅子がある中の一つだったので、早速妻に試乗させてみるとけっこういいという。そこで今使っているのと併用で使用するということで購入することにした。直接出向いたおかげで送料分がまるまる浮いたということだ。

 色は緑で今使っているのが青なのでまあちょうどいいかなとも思った。しかし車椅子はやっぱり消耗品だなとあらためて実感。介護保険レンタルのものは定期的に点検整備を業者がしてくれているが、それでも2年に一度くらいは交換している。同じようにこうして中古で買った普段使いのものもほぼ2年に一度買い替えている。価格はだいたい15000円から20000円くらいだ。それからすると今回はかなり安く購入できたが、その分おそらく劣化は早いと思う。

 松永製作所のこのシリーズNEXT CORE-11Bは割と気に入っているので、しばらくは2台を併用していこうかと思っている。

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老健施設を訪問する

 兄の退院後の受け入れ施設を探さなくてはならない。兄がどのくらい入院していられるかわからないが、退院後もあのエレベーターなしの5階の住居に住むことは難しいだろうと思う。足の壊疽は確実に進行しているので、いずれ近い時期に右足は膝下かへたするともう少し上の方からの切断が必要になる。左足の親指にも一部壊疽がある。

 もし今回の入院で、また以前と同様に歩行が可能になったとしても、いずれ手術をすれば多分それからはずっと車椅子の生活となる。なので兄の受け入れが可能な施設を見つけるか、低層の住宅を探すということを出来るだけ早くにやらなければならない。

 老人施設ということでいえば、老健施設やサービス付き高齢者住宅、あるいは老人ホームということになる。いずれも利用料はピンキリなのだが、年金以外に収入のない兄にとってはキリの方で施設を探さなければならない。そのうえでもっともやっかなのが兄が透析患者だということだ。週に3回人工透析を行わなければならない。透析患者を受け入れる施設は少なく、たいていが高額な利用料だし、そしてほとんどが満室である。

 預貯金もほとんどなく、年金だけで暮らしている兄の場合、理想的には特養が一番いいのだが、特養に入る必須要件は介護度が3なのである。現在介護度が1であり、先日更新のため調査を受けたとはいえ、おそらく介護度はそのままか2になるかというところだ。親指を切除する以前の兄であれば、いちおう歩行には問題はないので介護度1は妥当かもしれない。けれど現在の状態はというと、自分からみれば介護度3の妻よりも明らかに悪い状態だ。なのでケアマネには介護認定されて介護度が現状、もしくは2だった場合は区分変更を申し立てる旨を伝えた。とにかく介護度が3にならない限りは、兄にとってはなんの改善にもならないのではと思わざるを得ない。

 ネットでもいくつかの施設を見つけ問い合わせたが、何十人も待機しているというところが多かった。病院のケースワーカーにも相談して、いくつか施設のパンフレットなどをいただいた。その中で一件、病院の施設内にある老健施設で、透析患者を積極的に受け入れているところがあった。電話をすると現在のところは空きがあるという。そこでアポをとり話を聞きに行った。

 施設は本当に病院の隣にあり、利用者は透析に行くときは車椅子に乗り病院に行くことができる。兄のような人間には理想的なところだった。ただし利用料についていえば、かなり割高でひと月に25万から26万程度かかるという。身障者や低所得者で住民税が非課税の場合は一定の減免が受けられるのだが、それでも19万強はかかるという。

 年金収入がひと月にすると15万程度の兄の経済状況ではかなり無理がある。ただしここ以外に受け入れ施設がない場合は、自分が相当程度負担をしなければならなくなる。施設の担当者はけっこう親身になって説明をしてくれた。小1時間の面談の後、いろいろと検討してみますとして施設を後にした。

川越市役所へ行く

 川越市役所に兄のことを相談に行く。

 兄の窮状、人工透析を受けているが、足の動脈硬化と右足親指の切断、その後のねんざや火傷で歩行が困難になっていること、現在エレベーターなしの5階に住んでいることなどから、なにか公的なサポートはないかといったことについてダメ元的に相談を求めた。

 最初、介護保険課で若い男性の担当者が対応してくれたので、兄の窮状を説明したが、先方は介護度を聞き、介護保険での対応となること、相談についてはケアマネにしてほしいの一点張りだった。その後、高齢者いきがい課ののほうに案内された。出てきたのはやはり若い女性で、こちらの話を聞いた後は「高齢者サービスのしおり」を見せながら、やれ緊急通報システムだの配食サービスなど、どうでもいいようなことについて説明を受けた。5階建て住居で上り下りや人工透析にも通えないという点についても、市内のサービス付き高齢者向け住宅の一覧を渡されて、個別に問い合わせてほしいとのこと。結局、こちらが必要な情報なりサービスについては何も得られなかった。

 まあ最初から役所での対応は難しいだろうなとは思ってはいたけれど、ここまで木で鼻を括るような対応かと正直ため息の一つも出るような思いだった。結局、高齢者への福祉サービス、社会資源の適応については、介護保険で行うということになって以来、行政の福祉への関与は減じているのではないかという思いが強くなった。しかもその福祉サービスはすべて民間業者によるものであり、個々のサービスについてはこれも民間介護業者によるケアマネを通じてということになる。

 30年近く前、父が亡くなり寝たきりの祖母の面倒をみているときには、区役所での相談窓口は福祉事務所が行っていた。担当者はけっこう親身になって対応してくれ、祖母が入院している病院にも来た。こちらがこのままでは自分たちが仕事をやめて祖母の面倒をみなくてはならなくなり、共倒れになってしまうと訴えると、特養への手配を進めてくれ、最初は半年待ちということだったが、祖母の退院後はすぐに入所ができるようにしてくれた。

 その時と今では介護をとりまく状況が大幅に変わっているとは思う。しかし、以前は役所に相談にいけばなんらかの対応をしてくれた。さらにいえば、当時だと公明党共産党の市議とかに相談すると、それなりの配慮と、役所への働きかけとかもしてくれたように思う。

 現在はというと、とにかく介護保険、そしてケアマネとのやりとり、それがすべてのような気がする。15年前に妻が身障者となりサービスを受けるときにも、脳血管疾病という特定疾病のため45歳という若さだったけれど介護保険サービスの適用となった。そのときも自分で事業所とケアマネを探して、妻の状況から様々なリクエストを出してサービスを受けた。なのでこと社会資源を利用するにあたっては、あまり役所とやり取りをした記憶がない。しいていえば身障者手帳の交付申請やそれにまつわる諸々についてだったか。

 しかし、兄がどのくらい入院していられるか、その間に兄を受け入れてくれる施設を探すため、ケアマネとも相談して早急にアクションを起こしていく必要がある。これもまた「分け入っても分け入っても青い山」ということで、先が見えてこない。

兄の通院と入院

 今日は兄の人工透析の日。朝一番で皮膚科の外来受診があるため送迎バスに乗れないということで、兄を送ることになっている。それ以前に起居動作が難しいため、朝からつめて着替え等を手伝うことになっている。

 朝、6時起き。7時過ぎに兄宅に向かうと、兄は思ったよりは状態は良く、なんでも痛み止めが利いているという。着替えを手伝い、持ち込んだ車椅子で部屋の中を移動させ玄関で靴をはかせる。階段はなんとか自力で長い時間をかけて降りる。階段下から車までは車に常時積んである妻の車椅子で移動。

 最初に皮膚科を受診。処置室で火傷の状態を恐る恐る確認すると、かなりひどい状態。皮膚科医は家での処置が良くない、これでは悪化するという。自宅では隔日で訪問看護師が処置しているようだが、それだけでは難しいようだ。さらに右足の切除した親指の傷跡をみて、状態が悪化しているとのこと。日々の消毒とかがきちんとできないとドンドン症状は悪化し、場合によっては足首からの切断になるという。

 さらに左足親指の壊死については軽度であるとの診断。大学病院で切断を勧められたことを話すと、血管外科だとそういう診断になるかもしれないが、今のところは必要はない。ただし症状が悪化すれば切断は必須だという。

 その後、透析室に兄を連れて行く。その後、1時間近く待ってから透析の担当医と面談。大学病院での入院は左足親指切断を前提としたものだが、皮膚科医の話では時期尚早ということを説明。そのうえで足の状態が悪く起居動作が難しく人工透析にも通えない状態であることを話して入院をお願いした。

 医師からは入院は早くて翌週の水曜日なら可能といわれる。火曜日に透析があるので一日早まらないかとお願いしたが、難しいとのこと。これで火曜日も透析に連れてきて、さらに水曜に入院に連れてくることで、こちらの負担は大きいが、それでも受けいれていただけたので正直有難かった。ただし、医師からは入院治療は長期にはできないので早急に退院後の施設を探すようにといわれた。

 透析の後、午前中休診だった整形外科に受診する。ここでも1時間近く待ったうえで診察を受ける。整形外科の医師はわりと気さくな感じで、右足のねんざよりもまず切断した右足親指のつけねの状態をみて、これはひどいとし、さらに左足親指の壊死、火傷などをみて、これってもう自宅では対応できないだろうと率直にお話してくれた。そこで透析の担当医からは来週入院と言われていると説明すると、それまで自宅で生活できないでしょうと言っていただき、そのまま即入院となった。

 整形外科医の話では、身体の状態と起居等生活できるかどうかの判断は内科の先生にはできない、これは外科の判断ですとのことだった。当初から出来れば今日から入院させていただければと考えていたので、正直有難かった。

 その後は入院の諸手続きと看護師からの簡単な説明を受け、処方されている薬がすべて必要とのことで、急遽兄の家に戻って机に上に分類保管されている薬をすべて袋に入れてまた病院に戻った。その内容をみた看護師から「インスリンは」と問われて、形状も含めよくわからなかったので、また探してみますということにした。

 朝7時過ぎに兄を迎えに行き、病院を出たのが午後7時半頃。もうぐったりとした感じなのだが、多分これからは退院後の受け入れ施設(そんなものがあるのかどうか)を探さなければいけない。徒労感と逼迫感、しばらく眠れない夜が続くような気がする。

車椅子の交換

 カミさんが利用している車椅子は介護保険を利用してレンタルものと自費で購入したものの2台。レンタルのものは車に常時乗せていて、お出かけの際に使っている。自費で買ったのはご近所に出かける時に使うもので玄関の入り口に置いている。中古のもので確か最初に買ったのは2014年だったか。ここ2台買ったのは同じ業者で介護レンタルも行っているところで、要は整備された中古品だ。

 2台もちにしたのは、自宅内に置いておくと車で出かけるときにいちいち積まなくていけない。かといって車に置いておくと、近所の買い物とかのときは降ろさなくてならない。そんなことで自費購入を考え、出来ればチープな中古品ということになった。レンタルと違ってメンテナンスとかはないので、壊れたり不具合があれば買い替える。使い捨てということを前提にしている。

 昨年暮れに3代目の中古品を購入したのだが、これが割と当たりだったみたいでえらく使い勝手がいい。メーカーは松永製作所でネクストコア11-Bというもの。12キロ弱と軽量で使い回しもいい。

 この前に買ったのも松永製作所でこのメーカーは割と気に入っている。それに対してレンタルで使っているのはミキのもので15キロちょっとある。がっしりしてけっして悪いものではないのだが、カミさんに言わせると自走する時に微妙に低すぎて腰が痛くなるというのだ。

 レンタル業者に軽量のもの、出来れば松永製作所のものをというリクエストを出したところ、超軽量で10キロ以下のものを2台、松永製作所のコアネクストシリーズのものを1台試しに持ってきた。家の前でカミさんを乗せていろいろと試してみる。まず超軽量のものは持ち運びにはいいが、やや作りがチープな感じできゃしゃな感じがするので候補から落ちる。コアネクストのものは自前で使っているものよりもグレードが高いNEXT-51Bというもの。重さも15キロ弱とけっこうある。ただしクッションが折り畳み式でついているものだったの今使っているミキのものよりは使い勝手が良さそう。

 ということで30分くらい試行錯誤のうえでNEXT-51Bをレンタルすることに決定。まあもし不具合とか気に入らなければまた違うものにすればいいということもあり、取り合えずということで決めた。とはいえこういうのって、一度使い始めると意外とそのままになることが多い。取り合えず我が家で使う車椅子は二台ともに松永製作所のものになった。

兄の入院

 午後、兄の入院の付き添い。埼玉医大総合医療センターへ。

 兄の病気は閉塞性動脈疾患で、すでに右足親指が壊死状態になる。今回は検査入院で血管造影検査等を行い、後日再入院してカテーテル等を行うのだとか。

 兄は糖尿、高血圧のうえ人工透析を受けている。そのうえで今回は血行障害で足の指先が壊死とか、もうとんでもない状況だ。ずっと単身で暮らしてきていて、自分ともほとんど連絡をとってなかった。10年ちょっと前に、定年と同時に緑内障の手術を受けるということで急に連絡してきた。聞けば借金もあり生活も破綻している状態だった。

 当時住んでいた横浜のアパートを訪ねるとゴミ屋敷状態。定年で無収入となりいきなり生活が覚束ない状況になっていた。そこで生活を立て直させるべく、また自分がすぐに行けるようにと住む家を探してやり引っ越させた。それ以後も何度か入退院を繰り返していてその都度面倒をみている。

 兄は自分にとって唯一の身内である。母とは幼い頃に生き別れ、父が亡くなってから35年になろうとしている。兄は中卒で仕事だけはずっと続けてきたが、金銭感覚が身に着かず、まあ一言でいえばだらしない生活を続けてきた。その結果が経済的な破綻と健康障害だ。

 身障者のカミさんと暮らす自分にとって、兄を全面的に面倒をみるということはまず不可能だとは思うが、なにかあればどうしても自分がある程度の世話をしなくてはならない。これまでにも事故や病気での入院のときにはほとんど自分が世話をしてきたし、もちろん医療費の面倒もみた。まあ唯一の肉親だから仕方がないといえばそのとおり。

 今回は検査入院なので多分5日から一週間で退院になる。おそらく日取りが決まったら迎えに行くだけでいいのだろうが、場合によっては医師の説明とかを一緒に聞かなくてはならないかもしれない。

 病院で必要なものは兄は自分で準備していたのだが、実際病室に入るとやれタオルがない、入浴用のシャンプーや石鹸がないと。さらに携帯の充電器も忘れてきたという。仕方なくいったん自分の家に帰ってタオル類をそろえ、それからホームセンターでシャンプー類を購入、最後に兄の家によって充電器を探し、再び病院に戻る。すでに7時を少し過ぎていたのでナースステーションに荷物を渡して帰る。こういうことが続いていく。

 埼玉医大総合センターには思い出がある。子どもが3歳くらいの時、当時住んでいたマンションの廊下で子どもが足を滑らせて鉄柵に顔面を強打。生えていた乳歯が歯茎にめり込んで大出血した。子どもは痛みで泣き止まない状態で、とにかく救急車を呼んだ。生まれて初めて救急車に乗った。そこで着いた先がこの病院だった。

 そのときは確かフロントに何か用事があって子どもと二人で出かけた。妻はまだ仕事から帰っていなかった。雨が強く降った後で外廊下はけっこう濡れていて、それで子どもは滑ったのだと思う。

 病院で応急処置をしてもらい、めり込んだ歯はまた生えてくるから大丈夫と医師から説明を受けた。ただし万が一めり込んだ歯が永久歯の元の部分を損傷させていたら、今後、永久歯は生えてこない。これは最悪の場合といわれた。女の子だし、いろいろと将来のことを考えて憂鬱にもなった。

 幸いなことに子どもの歯はすぐに生えてきたし、永久歯にも影響はなかった。歯並びもさほど問題になるようなこともなかった。子育てについていうと、いろいろと小さな失敗をしてきたし、いまだに思い出すことも多く、そのたびに子どもに悪いことをしたと思うことも多い。

 この事故のことも時々思い出すと切ない悲しい気分になる。もっと子どものことに注意してあげれば良かったという悔いのような気持ちだ。あのとき自分は子どもの手を引いて歩いていた。しかし子どもが足を滑らせたとき、子どもの手が自分の手がすり抜けるようにして離れた。スローモーションのようなあの感覚をなぜか鮮明に覚えている。二度と子どもの手を放すまいとそんなことを思った。

 帰るときに広い窓口と待合のロビーのスペースの前を通った。もう暗くて誰もいない。処置が終わり、子どもとベンチに座り妻が迎えに来るのを待っていたあのときのことを思い出した。子どもは自分の隣にチョコンと座っていた。もう痛みは少しひいていたのか、泣き疲れていたのか、そのときは泣きもせず大人しくしていた。妻がようやく来たときには笑顔をみせた。

 病院にまつわる記憶。たいていは不安なことや不幸なことである場合が多いけど、あのときの記憶は、子どもが無事育ったことで幾分か中和されているようにも思う。

カミさんを怒ってしまう

 今週も木曜に健康診断、昨日は糖尿の通院とかでカミさんの通院の送迎が続いている。結局、仕事辞めてもそういうのはずっとついて回るのだし、多分これからもどんどん増えていきそうな気もしないでもない。

 その健康診断のために体重を少しでも落としたいと、彼女なりにいろいろ考えているみたいで、食事も夕食はサラダだけにしてみたりとか試みている。それとここのところ、一人で車椅子で散歩するようにもなってきている。10年前は杖でけっこうな距離を歩いたりも出来た。前に住んでいた町では家から最寄り駅まで普通に歩いても15分前後かかるのだが、そこを一人で歩いたりしたこともあった。

 さすがに今はそこまでの体力がない。45歳で病気になったから、当時はまだいろんな意味で体力があったんだなとも思う。最近は歩くとなると家の中での伝い歩き、外ではほんの短い距離に限られる。

 その代わりというのでもないのだが、車椅子での散歩をよくするようになっていて、朝、自分が出かける時にも、今日はデイから帰ったら散歩するから車椅子外に出しておいて頼まれることが増えている。

 使っている車椅子は介護保険のレンタルで1台、これはだいたい車に積んでいる。それとは別に中古の車椅子を購入して近所に買い物に行くときとかに利用している。まあだいたいは自分か子どもが押しているのだが、一人でも片足と片手で車椅子を操作して移動することがある。この家用の車椅子は去年、中古で買ったもので軽量で扱いやすい。確か松永製作所のものだったか。

 この車椅子はアメリカ旅行用に軽くて持ち運びしやすいということで買ったのだが、カミさんもこの車椅子は割と気に入っているようで、こぎやすいと言っている。それでご近所の散歩もだんだんと距離が伸びてきているようで、最近は踏切を超えて行ったり、広い国道を渡ったりもしていて、だいたい4キロ前後の距離を行っているみたいだ。

 もちろん一人なので心配は心配である。特に踏切はもし脱輪したりすればとんでもないことになるし、広い国道の横断歩道は信号が緑のうちに渡り切れない可能性もある。くれぐれも注意してと言っている。あとは不意の雨である。片麻痺なので車椅子を操作してる時には傘もさせないし、常時雨具を持っていくこともできない。

 今日も自分が家の掃除をしているときに、ちょっと散歩してくるから車椅子を出してと言うので外に持ち出してあげる。それから1時間以上しても戻ってこない。掃除を終えてしばらくしたので多分2時間近く経っていたのでさすがに心配になって、探しに行くのだが、携帯に電話しても「只今電話に出れません」となってしまう。それで前に一緒に何度か行ったことがある国道の方に歩き始めると、ポツポツと雨が降り始め次第に本降りに近くなってくる。

 車椅子には折り畳み傘を後ろのバッグに入れてあるのを知っていたのと、おちあえば自分が押してカミさんが傘をさせばと思っていたので自分は傘を持ってこなかった。しかし連絡が取れずに自分がそうやって探しに歩いても見つかるのか。

 だいぶ経ってから彼女から電話があり、ほとんど電源がないけどなんとかけられたと言う。聞けば自分が向かったのとはまったく逆の電車の線路の向こう側にいるという。そこでもう動かないで待っているように言い、速足で自宅に戻り車で迎えに行く。その間も雨はずっと降り続いている。

 車に乗ってからは5分くらいで迎えに行く。カミさんは公衆電話の前で傘をさして車椅子に乗っている。傘はどうしたのかと聞くと、知らない人に貸してもらったとかいう。とりあえず自宅に連れ戻してから、カミさんをひどく叱ってしまう。散歩に行くのはいいが、携帯の充電状態とかは出る前に確認しなくてはいけないとか、とにかく周囲が心配するのだから、必ず連絡が取れるようにすべきだとか、そういうことが出来ないのであれば一人で散歩は禁止するなどなど。

 もちろんカミさんにも理由はあるだろうし、いくら身体が不自由だとはいえ、一人で動きたいという気持ちもわかる。とはいえ家族はというと、そのたびに諸々心配しなくてはいけないので、これはけっこう悩ましいところだ。まあ仕事を辞めたのだから、自分がもっといろいろ付き合ってあげなくてはと思うのだけれど。