介護ベッド入荷

 今日は朝からカミさんの介護ベッドの搬入がある。購入したのは8月の1日で、もともとの入荷は8月29日の土曜日だったのだが、設置場所が二階のため今置いてあるベッドのマットレスの搬出が出来ないということで順延になっていたもの。当初から場所は二階ということは言っておいたのだが、その時にやってきた作業員は二名。マットレスは二階のベランダから吊って降ろすため倍の四名が必要ということで今日になった。

 まず最初に二階のセミダブルのベッドを解体する。このベッドは結婚してふじみ野のマンションを購入した後に買ったものだから、もう25年くらいになるのだろうか。ベッドの下は引き出しと長物の収納が出来るのだが、そこからスキー板が出てきたのにびっくり。そんなことすっかり忘れていた。

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 右のプラスチックのパンダスキーは多分、子どもが3~4歳の頃に使っていたものだ。スキー場に連れていってもこの板を外してゲレンデから逃走してばかりいた。懐かしい。左の板は多分カミさんと子どもが使っていたカービングスキーだ。当時、新型の短い板として流行りだした頃だったと思う。ロシニョールとサロモンというメーカーも懐かしい名前だ。

 カミさんが志賀高原の麓の出身でスキーが大好きだったこともあり、誘われるがままに自分もスキーを始めた。つき合っていた頃には一シーズで10回くらいは行っていたと思う。もちろん技術的にはカミさんの方が圧倒的に上手だったし、自分はというと毎年最初はボーゲン、シーズンの終わり頃にはようやく少しパラレルになるかならないかくらいで終了するということを繰り返していた。

 子どもが小さい頃にも何度もスキーには連れて行った。最初は当然上手く滑れるわけもなく、どちらかといえば雪遊びやゲレンデを走り回る方が好きだった。それでもじょじょにボーゲンにも慣れ、小学校に上がるか上がらないくらいには多少斜度がきつくてもたいていのゲレンデは降りてこれるようにはなっていた。あのまま続けていればかなり上手になったのではないかと思っている。

 でも、子どもが二年生の時、カミさんは病気になり片麻痺になった。それ以来、我が家ではスキーは封印された。ベッド下に収納されたままのスキーには懐かしさと同時に我が家的にはもの悲しい記憶がまとわりついている。このスキーも近い時期に粗大ごみとして捨ててしまうことになると思う。

 カミさんはよく機会があればゲレンデに行きたいということがある。一本足でもなんとかなるのではないかとか、ソリだったらとか言う。身体状況からすればそれは困難なことだし、そのへんはなんとなくスルーというか聞き流すようにしている。そして自分も多分年齢的にもこれからスキーをすることはないと思う。子どもがこれからそういう機会があれば、まあ新しい板やウェアを一揃えすることになると思う。思いがけなく出現したスキー板はそうやって物理的に消去されることになる。

 セミダブルのマットレスを子どもの部屋のベランダが吊り下ろし、ベッドの解体もすぐに終わり、新しいベッドの組み立て取り付けもあっという間に終了。さすがにプロの技というところだ。作業工程はだいたい1時間くらいだったか。その後、他の部屋に移しておいた収納家具とかを戻し、ベッドの位置を少しだけ一人でずらしてから、ベッドパットをつけシーツでマットレスをくるみ簡単に、簡単にベッドメイクを終了。

 自分で実際に寝てみて、リクライニングとかを試してみる。思えば介護ベッドはカミさんが退院してきた当初、介護保険のレンタルで使っていた。でもカミさんは普通のベッドで寝たいと言い続けていた。今の家に越してきた時に、カミさんの部屋には従来かたあったセミダブルを置きそのまま使っていた。一人で寝るには広すぎるがゆったりしているのと、もともとカミさんが気に入って買ったベッドだったので愛着もあるようだった。

 でも、病気発症から15年、病気の進行とかは特にないけれど、少しずつ身体能力も落ちてきているのだろう、起居動作に時間がかかることも多くなってきた。いろいろなことで、今まで出来ていたことも出来なくなってきている。そいうことで今回、介護ベッドを新たに買うことに決めた。もちろん介護保険のレンタルも考えない訳でもなかった。レンタルの方が定期的なメンテナンスもあるし便利といえば便利だ。でも、品質面とかそのへんを考えると購入の方がありかなということになった。

 やっぱり、毎日使うものであるし、消毒とかしてあっても誰かが使ったものはちょっとという部分もある。まあホテルとかのベッドは普通に使っているだろうという意見もあるけど、日常使いとなるとちょっと別かもしれない。

 全部の終了したのは11時少し回ったくらい。だいたいこんな感じになった。

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兄のケアマネが変わる

 少し前に兄のケアマネをしている方から急に電話があり、居宅介護支援事業所を閉めることになったのでケアマネを続けることが出来なくなったという。なんでも事業所の所長さんが高齢で事業の継承者を探していたのだが見つからず、事業所を閉じることになったというのだ。そのうえで兄の新しいケアマネは責任をもって探すという話をしてくれた。う~む、そういうこともあるんだなというのがその時の素直な感想。まあ新しいケアマネさんを見つけてくれるならそれでいいとは思った。

 昔、ケアマネ探しというと、カミさんの最初のケアマネを探すのでけっこう苦労したという記憶がある。もうかれこれ15年近く前になるが、あの頃は役所に行っても事業所のリストを渡されるだけで、自分で当たってみて下さいと言われるだけだった。カミさんはまだ当時45歳くらい、特定疾病により若くして介護保険サービスを受けるということになったのは、まったくもって国の制度上の問題なのに、なぜ介護なんだと憤る部分もあった。

 それでも仕方なく、リストから片っ端から電話をかけてみるのだけど、どこもいっぱいですみたいに断られることが多くて難儀した記憶がある。それからすると、今回ケアマネさん同士のネットワークで次の人を探してくれるというのは、利用者側からするとたいへん楽ということになる。

 しかし今のケアマネさんに決まったのは多分2月か3月のことだ。1月に再認定をしてもらい、それまで要支援だったのが、介護度1がついた。それにより地域包括支援センターでケアマネさんがついてくれたのが、支援事業所で頼まなくてはならなくなった。このへんの仕組みは今一つわからない。まあ、介護保険を巡る諸々も随分と変わったし、超高齢化社会の中で介護度認定のハードルも上がっているというところもあるとは思う。

 思えば15年前にサービスを受けたというのはある意味草創期だったのかなと思う部分もあるにはある。

 それで新しいケアマネさんとの契約を今日するというので、自分も一応立ち会うことにした。なんだかんだいってもそういう節目では関わらざるを得ない。少し前に一応今日のことを兄と確認するため電話をすると、兄は相当経済的にピンチのようで、預金残高ゼロ、手持ち現金1000円くらいという状態だった。本人曰く、あと二日で年金降りるからというが、そういう問題じゃないと、電話口で少しだけ怒ってしまった。

 今の古い分譲団地だけど、そこに住まわせることになったのも、兄が仕事を定年で辞めた後にほとんど困窮状態で、おまけに緑内障の手術もしなければいけないという状態、さらに住んでいたアパートはゴミ屋敷というとんでもない状況にあったから。住んでいたのは横浜で、ほとんど音沙汰なしという状態だったので、自分の近くに住まわせた方がいい、無収入で年金だけが頼りという状態なので、賃貸より分譲で家賃なしのほうがいいということで自分が購入したんだった。

 そこに住む時に兄とは健康管理、金銭管理、住居の管理を仕事だと思ってやってくれと頼んだ。でもどれもまったく守られることはなく、健康面では透析を受けるはめになってしまったし、住居も荒れ放題、金銭感覚は預金残高が底をつくという状態だ。

 兄は16から60までは途切れることなく仕事をしていたから、年金はほぼ満額でている。月に均せば16万以上だ。それで家賃なし、1人暮らしの老人ということでいえば、普通に生活できるはずだと思うのだが、金銭感覚ゼロで浪費癖があるのでこれも致し方ない。

 ケアマネがくる少し前に兄の家に行き、掃除機をかけて部屋をきれいにする。兄は透析が終わって帰ってきたばかりで簡単な食事をしていた。そこでちょっとだけ経済面の話をして、当座必要な現金を渡す。

 ケアマネがやってきて、契約自体は30分かそこらで終わった。今度のケアマネさんは、やや太めの元気ある女性で、年齢は40~50くらいというところか。最後に、何かあったらいつでも電話してくださいとだけ話した。先方はよろしくお願いしますと言って帰っていった。

 その後、兄とは少しだけ話をして何か必要なものがあるかと聞くと、この間部屋にダニが湧いて困っているので殺虫剤の類が欲しいという。今回金がなくなったのも、そうした殺虫剤やダニシートとかを買うのに金がかかったとも弁解していた。ついでに特別定額給付金の手続きをしていないというので、通帳と障碍者手帳を借りていったん自分の家に帰りコピーをとった。その後でホームセンターにより、ダニアースとかダニシート、新しいタオルケットなどを買った。それからスーパーで米や食料品を少しだけ買って兄の元に戻り、それらを置いてから帰ることにした。

 帰りがけに、とにかく無駄遣いをしないこと、なにか必要なものが出来たらまず連絡して欲しいとだけ話して帰ることにした。

 とにかく、とにかく疲れた、ただ疲れた一日だった。

ケアマネが決まる

 1月に兄の介護保険の再認定のため介護調査をした。

兄の介護認定調査 - トムジィの日常雑記

 その結果、これまで要支援1だったのが要介護1になった。

 要支援の時は地域包括支援センターにケアマネを行ってもらっていたが、介護度がつくと個別の事業所と契約を結んでケアマネを頼まなくてはならない。その事業所を包括支援センターに探してもらい、今日その打ち合わせと契約を行うことになった。

 4時に兄の家でアポをとってもらったので、会社を早退して出かけた。家に着くとすでに包括支援センターの担当者と新しいケアマネが家に来ていた。最初に自己紹介をしてから、ケアマネがどんなサービスを受けたいかの聞き取り調査を行う。聞き取りは手慣れたもので、それに対して兄はというと、どうでもいいような風であまり希望とかも言わない。そこでしょうがなく、自分がいろいろと話をすることにする。

 兄は火、木、土と週3回透析を受けている。その後、けっこう疲れるというので、その後で4時過ぎから週2回ヘルパーさんに入ってもらうことにする。それまで週1回だったのでこれを増やし、掃除を中心にやってもらことにする。買い物や料理は兄にとってはある種生きがいみたいなところもあるので、そのへんはあまりやってもらうことはないだろうという判断だ。

 サービス的には週4回各1時間程度は受けられるというので、まだ余裕がある。そこで週1回デイサービスは受けられるかと聞いてみると可能だという。そこで週1回、デイサービスで風呂に入れてもらい、食事を提供してもらうのを受けることを兄に勧める。勝手気ままに生きてきた兄にとってはあんまり有難いサービスではないようだが、嫌ならやめればいいのだからとサービスを受けることにさせる。

 今は自宅で過ごしているが、これまでにも家で倒れたことが何回かあり、その都度透析に来ないという病院からの連絡で自分が家に行き、そこで救急を呼んだことが何度かあった。年齢的にはまだ70になったばかりだが、透析、糖尿、高血圧とある意味成人病のオンパレードである。いずれは独居では生活を維持できなくなる。実際、少しずつだが老人ホームやサービス付き高齢者住宅なんかを探し始めている。そういう意味では、少しずつそういう施設に慣れていく必要もあるのではないかと思っている。

 さらにいえば、独居で人と触れ合うのは病院への通院時だけという日常だ。施設で他の人と話をしたりするのもいいのではと思う部分もある。

 なので、週1回のデイサービスもいれることにした。ケアマネは「温泉入浴ができる施設もありますよ。温泉とかお好きですか」と兄に話した。暮に兄が入院したときに診察券とかを探すため兄の財布の中を見てみると、だいぶ前に期限の切れたスーパー銭湯の会員券が何枚か出てきた。いっときはけっこう楽しみにしていたようだ。

 うまいこと、デイケアとかの利用を好きになってくれればみたいに思ったりもする。いずれは老人介護施設に入ってもらうことはまちがいないのだから。

 一通り、受けるべきサービスの概要をまとめたうえで、最後に契約書や重要事項説明書とかに自分がサインをした。住所と名前を何箇所も記入する。そのうえで、ヘルパーの事業所とかが決まったら、改めて面通しをして簡単な担当者会議をすることになる。

 ケアマネが帰ってからは兄になにか必要なものはないかを聞き、特にないということなので自分も早々に帰ることにした。帰りがけに昨年の台風で壊れた風呂の窓の修理が決まったこと兄に説明した。そう工事には18万もかかるのだが、これはもう致し方ないものと思っている。工事の日程が決まったらまた連絡するとして部屋を後にした。

兄の介護認定調査

 兄のケアマネをしている方が、兄の状況から介護度について区分変更の請求をした方がいいと判断されたみたいで、介護認定の再調査の手続きを進めてくれていた。それで今日11時というアポをとってくれた。ケアマネと調査の介護福祉士ー多分、市から委託されているーが兄の家に来る。

 前回、兄が介護認定調査を受けたのは2016年のことだったか。

介護保険面談 - トムジィの日常雑記

 あの時は低血糖で倒れて入院したすぐ後だったと思う。市役所や包括支援センターに相談に行き、とにかく介護保険サービスを少しでも受けられるようにということだった。その結果は一番軽い要支援1というやつだ。

 兄の場合、一応は歩くことができるし、両手とも何も問題がない。起居動作も支障なく、会話とかも普通にできる。糖尿や透析、さらに心臓に病気があるということはあっても、介護保険的には一番軽くなってしまう。

 しかし、もともと金銭感覚がルーズ、日常生活でも整理整頓がまったくできないで、放っておくとすぐにゴミ屋敷になってしまうこと。さらに心臓の影響もあってか、5階の自室まで上がるのに10分近くかかる状態、認知とまではいかないが軽い注意障害もある。人工透析や糖尿を抱え、自分で健康管理ができない状態からすると、とても要支援という段階ではないとは思う。

 聞き取り調査の合間に、自分も兄の状況について説明するときに、別に盛る訳でもなく、最近の入退院を繰り返す状況や、これまでの音信普通だったことや、ここのところ生活を支えるためにかなりの労力を使っていることなどを説明した。

 調査員はそのへんのことは特記欄にきちんと書いておきますと答えてくれたが、どうなることか。妻のことで介護保険認定調査はもう何度も経験しているが、10年前に比べて今はどんどんと介護度を下げる方向になっている。以前、介護度3だったとすれば、今の基準では簡単に2とかに下げられる。妻も何度か介護度を下げられたが、その度に区分変更を申し出て戻してもらっている。

 そういうことを考えると、兄は多分要支援が1から2に変われば良い方かもしれない。とはいえ、少しでもサービスが受けられれば、そうした社会資源を利用できれば、少しは兄の生活も改善されるかもしれない。

 前日、ニトリで安い折りたたみの椅子を3脚買って車に積んでおいた。団地の駐車場に止めてから椅子を持って5階の兄の部屋まで運んだ。ふいにこれと同じことを前回もやっていたことを思い出した。あの時も椅子を三脚同じように運んだ。時期は12月で今日と同じように肌寒い日だった。なんかまったく同じことをしていることに、ちょっと苦笑いしてしまった。

中古車椅子を購入する

カミさんの車椅子は介護保険レンタルで利用しているものがあるのだが、これは作りがしっかりしてるのだけど重量が15キロ近くある。車にいつも載せていて外出の際に利用しているのだが、いかんせん重い。

車椅子を利用しているとけっこうな頻度で大きな段差や階段にぶつかることが多い。そのたびにカミさんは車椅子を降りて、手すりを使いながら登ったりということがある。まあ発症して数ヶ月でリハビリを開始したこともあり−急性期リハビリっていうんだったか−、短い距離の歩行や数段の階段ならなんとか自力でどうにかなる。

 そのたびに自分が車椅子をかついで登り下りとかする。これが短時間で頻度が少ない場合には、なんとかなるのだが、それでもやはり15キロ超えはけっこう堪える。

 最初に借りた車椅子は程度もよくて重量も13キロ弱だった。その後、この車椅子が製造中止で部品の問題もあり、今使っているものと代わったのだがこれがとにかく丈夫だが重い。なのでこれとは別にもう一台の車椅子を使うようになった。とはいえ介護レンタルも上限があるのでこっちは自腹で購入しているのだが、使用頻度のこともあるので中古を使っている。だいたいが家に常備していて、近所のおでかけの際に利用する。

 家の玄関の上り口に畳んでおいているので、基本軽いものがいいということで最初に近所のリサイクル屋でナショナル製のものを購入した。2万円台だったと記憶している。中古の車椅子はだいたいが福祉の事業所が利用していたレンタル流れのもので、個人利用のものは少ない。場合によってはかなり長い期間使われていたものも多いとは思うが、きちんと整備されているので状態が悪いものは少ない。さらにいえば中古販売に際して、シートなどを交換しており基本整備渡しなので、状態の悪い現状渡し品ではなく、ある意味安心して使用できる。

 もっとも沢山の利用者が使ったもので、だいたいが高齢者でもある。亡くなった方も多いだろうし、そういうことを考えるとけっこう気持ちが悪い部分もあるかもしれない。が、そんなことを考えていてはリサイクル品の利用など成立しなくなる。割り切りも必要だとは思う。

 ということでご近所用車椅子として、これまでに2台くらい利用している。今、使っているのは2年くらい前に福祉事業所から購入した。重量も13キロ弱と軽量でよく整備されていた。メーカーは松永製作所だったが、ここは介護用品ではけっこう評判がいいところで、そういう意味では安心して使えた。ただしおそらく施設内で使う用途のものらしく、タイヤが細いのと、思い切り低床になっていて、車椅子の後ろから押す際のハンドルも少し低くてちょっと押しにくい。

 この車椅子が最近すこし軋みやガタゴト音がする。きちんとした整備をしていないのでガタがきている感じだ。そうなると基本消耗品という感覚で次のものを用意しようかと思い、ネットで調べると割と簡単に程度の良さそうな中古車椅子が見つかった。そのサイトにある電話で直接引き取りが可能かと聞くと、大丈夫とのこと。ちょっと調べてもらったところ、なんと前回購入した福祉事業所だった。「2年前に○○さんが購入された記録があります」という。これにはびっくり、ちゃんと記録が残っているんだね。で、思い起こすと確かに草加にある事業所でした。

中古介護用品販売リサイクルのアットホーム

 今回購入したのがこれです。

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 松永製作所のNEXT-11Bの現行型。実際に見てみるとまあまあ良い感じでとにかく軽い。カタログ値では12キロを若干きるくらいで押しやすい感じ。これで2年程度使えれば御の字というところかもしれない。

NEXT-11B(自走)|製品紹介|株式会社 松永製作所

介護調査~装具引き取り

 朝からカミさんの介護調査。2年に1回のことだから、もう何度目のことだろう。でも家に人がくるということで、一応リビングとか掃除しなくてはいけないということで、昨日は夜遅くに掃除とかしてそこそこ大変。

 もともと45で脳梗塞になって片麻痺だから介護サービスが疑問なのだが、特定疾病ということで介護保険を受けている。制度上のことで介護認定、介護サービスという流れなのだが、本来はきちんと障害者としてのサービスがあっていいのではないかと思ったりもする。

 さらにいうと、やっぱり高齢化社会の影響、介護サービスの利用増ということで、介護度は下げられる、介護サービスを軽減化させる方向にいっているみたい。とはいえ、こちら的には発症当時から医者に匙投げられているというか、障害は固定化され、悪くはなっても良くはならないと宣告されている。なので国の都合で介護度が下がるのは絶対に認めたくない。

 障害が少しでも良くなるのなら、いくらでも介護度が下がってもいいと思う。うんと良くなって、機能全廃の左上肢、左下肢が少しでも動くようになるのなら、短い距離でも装具や杖なしで歩けるようになるなら、介護保険なんて利用しないと思う。でも、それはもう夢の夢のことなのだから。

 という訳で、今回も調査員にそういうことをきちんと伝えて、もしも介護度が下がるようなら区分変更をすると話した。過去にも確か2~3回そういうことがあったということも説明する。とはいえ依然みたいにちょっと喧嘩ごし対応みたいなことはない。きちんと調査員に対応するし、それこそ涙ながらに切々とみたいな感じ。芝居じみたとかじゃなく、カミさんの障害のことや日々の生活、入浴介護とかそんな話を人にしていると、ちょっとだけウルウルしてくるんだよ、何年たってもね。

 昼前には調査も終わり、軽く昼食とってからお出かけ。カミさんの装具が出来たという連絡が装具屋さんからはいっていたので、引き取りにいく。装具屋さんは練馬にあるので、当然車で。装具代は58000円くらい。トホホだけど、まあ必需品だから仕方がない。国の基準だとだいたい1年半くらいで替えなくていけないらしいのだが、大事に使えばもっともつ。1年と少し前に作った装具は来年あたりにベルトの交換を考えている。まあ二つの装具を交互に使っていけば5年やそこらは十分に使える。

 装具は国リハで一つ、退院する時にもう一つ作って、5年くらい前に一つ。去年一つで今回。もう五つも作っている。発症して10年だから、まあそういうことなんだろう。

義母の見舞に行く

 妻の母親が入院して手術することになるという。3度の火傷を負ったというのだ。二週間くらい前だろうか、車で事故を起こしたという話を聞いていたので、てっきりそっちの影響かというとどうも違うらしい。なんでも薬罐だか鍋をだかをひっくり返したというのだ。

 さらにいろいろと妻を介して断片的に聞いて行くと、火傷を負ったのは11月の始めのことで、交通事故はその後だというのだ。なんとも合点がいきにくいのだが、最初火傷については町医者にかかり、そこで薬をもらっていたのだが、ちっとも治らない。そのうちに町医者はどうも悪化しているようなので、自分のところでは対応できない。紹介状を書くので、総合病院に行って欲しいということになる。

 総合病院に行ってみると、3度の火傷で皮膚だけでなく筋肉組織までかなり損傷しているので、皮膚と筋肉の移植手術が必要だということなり緊急入院することになるというのだ。

 義母は独身の長男と二人暮らしで確か83くらいになるという。長男、義理の兄は自分よりいくつか年下なのだが、そろそろ老老介護になりつつある。いろいろと大変なことになりそうだ、

 今回は、朝8時半から麻酔医による手術の説明があるということだった。長野に住んでいる次男夫婦が説明を受けるのだが、妻も一応説明を聞きたいということで朝6時起きで出発した。

 それでも8時半をだいぶ回った時間に着いたので、説明は後半部分だけ聞いた。その後、次男夫婦といくつか事務的な話をした。次男夫婦はその後所用があるということで、それからはずっと義母の見舞をしていた。

 入院して二日目くらいだったので、着替えやらなんやらを買ってきたりした。妻はまあ車椅子なのでだいたいのところ母親の話し相手になっていた。自分は、汚れ物を洗濯したりとかまあ一応細々としたことに動いた。妻が入院したのはもう10年以上前のことだが、その時の経験があるからか、病院での過ごし方、諸々の作業はある意味手慣れたものだ。

 さらにいえば、ずっと昔、かれこれ30年近く前は、自分の祖母の面倒を一時期みていたこともある。何度か転倒して両足の大腿骨を順繰りに骨折した。寒くなると寝たきりにもなった。それこそ下の世話までけっこうやらされたというか、やったものだ。

 さすがに二度目の骨折入院の時は福祉事務所に泣きついて、なんとか半年後には特養に入れる段取りをしたところ、急に空きができたということで、病院から特養に直行した。家に帰れることを切望していた祖母には随分と恨まれたが、正直いって30前後の独り者としては、介護生活は難しかったと思う。もちろんその時は兄も同居していたが、極楽とんぼの兄はほとんど機能していなかった。

 その兄も5年と少し前に生活が破綻していたところを一応救ってあげた。定年と同時に体を壊し、入院費用もままならない上に、住んでいるアパートはゴミ屋敷と化し、さらにはお約束の借金まで抱えていた。

 兄の生活を立て直すために、横浜から埼玉に引っ越しさせた。古い中古団地の一室を終の住処にするために購入して与えた。その後も自転車事故で片目を失明したりと世話をかけさせてくれる。2年前には低血糖で倒れているの見つけ救急車を呼んだこともあった。人工透析を受けていたのだが、透析日に病院にこないので見に行って欲しいと職場に電話がかかってきて行ってみたところ、台所で倒れているのを見つけた。

 その後、介護保険の申請をさせて要支援だったが、サービスが受けられるようになった。週に1回ヘルパーに来てもらっている。

 話は脱線だが、望んでそうなった訳ではないが、看護だの、介護だのに妙に詳しくなってしまったのには、そういう経験がある。

 義母についていえば、正直にいえば長男との同居生活も次第に難しくなっていくのではないかと考えている。今回は火傷だが、いずれは転倒による骨折といったことも起きるかもしれない。長男は当然日中仕事に出ているから、面倒をみる人がいない。そういうことを考えると、早めに施設なりという選択肢を考える必要にあるのかもしれない。まあ田舎のことで、様々な大人の事情もあるだろう。遠くにいる我々はある意味見守る以外にはないのかもしれない。

 妻のことを考えると、出来るだけ顔を見せに行かせたいとは思うのだが。