関西旅行とロングドライブ

 6日(水)から9日(土)まで関西旅行に行って来た。いつものように淡路島で二泊、京都に一泊した。淡路島は健保が契約しているホテル、京都は健保直営の保養施設だ。関西、特に淡路島への旅行をここ15年くらいの間、ほぼ毎年1~2回行っている。なんでと言われれば、ただただ宿代が安いからということか。多分、通常の料金の三分の二か半分くらいで泊まれる。ただそれだけのことだ。

 こういった旅行をするようになったのは、多分妻が病気になってからだと思う。妻が病気を発症したのが2005年で、淡路島に行くようになったのは2007年が最初だ。それから多分今回でもう15回くらいになる。時には淡路島の他に倉敷まで足を伸ばしたこともあるし、大阪や京都の観光をまぜたりもしている。

 移動はいつも車だ。理由はというとやはり車椅子で障害のある妻は電車や飛行機での移動はけっこうストレスが大きいからだ。まず車椅子移動にさらにバッグやスーツケースというのがシンド過ぎる。電車の乗り継ぎとかもそうだし、まずエレベーターを探したりトイレとかもある。そういうことを考えると車での移動ははるかに楽だ。

 とはいえロングドライブはけっこうそれはそれで負担でもある。以前は子どももずっと一緒に行っていたが、友だちに京都や大阪に、淡路島に車で行ったというとたいてい驚ろいていたという。自分も会社に人間に淡路に車で行ったというとたいていビックリしていた。

 障害者にロングドライブはかえって難儀ではと思われるかもしれないが、妻は病気になってから極端にお出かけ好きになった。仕事をしている頃はどちらかといえばインドア系だったのだが。とにかくお出かけしたい、ここに行きたい、あそこに行きたいというというようになった。身体が不自由で行動が制限されるせいもあるので、余計出かけたいという欲求が強まったのかもしれない。

 こっちはこっちで、出来れば。あくまで出来ればということだが、出来るだけ普通の生活をさせたいし、身体が不自由だからといって行動を制限させないようにと心がけてきた。なので多分、普通の家に比べても旅行が多い家庭になったと思う。

 ここ15年の間に北海道旅行もしたし、アメリカにも2回行った。関西、淡路、倉敷、宮津、伊勢などに行った回数は全部で20回以上になる。

 とはいえ年齢的にも65を回って、いつまでこんなロングドライブを続けられるかというとなかなかに微妙なところに来ているのかもしれない。とはいえ今回も行きは朝5時くらいに家を出て、短時間のトイレ休憩2回くらいでずっと運転しっぱなしで12時過ぎに淡路島に入った。帰りは京都から岐阜に移動して観光したのだが、岐阜から完全5時間ノンストップで地元まで走った。

 まだまだやれるかという自信にもなったか。いや、なんかロウソクの最後に焔が明るく輝くみたいな、あれかもしれない。さすがに15回目の淡路・関西旅行となると、特に達成感もない。風呂に入って美味いもの食べて、観光してということだけだ。妻も自分も当然のごとくワクチン二回接種しているし、緊急事態を終わった状況だ。ウィークデイの観光だし、密になるようなところへは行ってもいないから、ことさら感染リスクが高いとも思わない。とりあえず年金生活者の細やかな贅沢ということだ。

 帰宅して確認すると走行距離は1492.9キロとある。4日間で約1500キロ、よく走った。そして車購入して三か月足らずで5732キロ。まあそういうものだ。

f:id:tomzt:20211009233827j:plain

 

 

川越周遊パート2

 昨日もまた妻が午前中から散歩に行こうと行って来た。

 ご近所の散歩にしようかと思ったのだが、火曜日に行った川越小江戸に連れて行くのもいいかと思い、車椅子を押して出かけることにした。

 川後はだいたいいつも車で行く。駐車場のこともあるので小江戸の方にはほとんど行ったことがない。JR川越駅近辺の市営駐車場に止めてクレアモールで買い物したりとかその程度である。一度だけ短時間小江戸の駐車場に止めて、札の辻とか時の鐘のあたりを少しだけ回ったことがある。

 火曜日に一人で小江戸のあたりを歩いてみた感じでは、車椅子を押しても十分回れるのではと思った。まあ疲れたらすぐに帰ればいいだけのことだ。

 最寄り駅から電車に乗って川越市駅で降りる。電車も数駅なのでさほどストレスを感じることはない。最寄り駅で乗り降りのアシストが必要かと聞かれたので、丁重にお断りをする。ホームと電車の間の隙間がさほど離れていなければ、普通に乗り降りは出来る。記憶でいえば飯田橋のホームはけっこうしんどかったなとかいろいろなことを思い出す。

 川越市駅のあたりは、子どもがこの近辺の学校に通っていたので諸々思い出もある。入学式、授業参観、進路指導、学祭などなど、何度も来ている。ほんの5~6年前のことなのにずいぶんと昔のことのような気もする。

 駅からは西武線本川越の駅の方向に歩く。しかし川越というのは本当にやっかいなところだ。JRと東武東上線川越駅西武線本川越駅、そして東武東上線川越市駅の至近に三駅がある。川越駅本川越駅の間が徒歩で10~15分くらい、本川越駅川越市駅の間が徒歩で同じく10~15分くらいである。そして観光地でも小江戸の蔵造りの町並みや市役所までは本川越から徒歩で15分~20分くらい。川越、川越市はもう少しかかる。なんで一緒にしなかったのかとこれは埼玉に越してきてからずっと思っている。

 川越市から本川越を目指してきて右手に本川越の駅ビルペペを見つつ左に逸れる。そこから連雀町の交差点を右にそれるとすぐに観光地化した道路に出る。大正浪漫通りというらしい。入ってすぐのところに熊野神社があるので軽く観光する。

 それから大正浪漫通りをまっすぐ行けば突き当りに山崎美術館があり、蔵造りの町並みにぶちあたる。まあそんな感じだ。

f:id:tomzt:20211005003349j:plain

 蔵造りの町並みをまっすぐ進んで札の辻に出てそこを左にそれて少し行くと菓子屋横丁である。このへんも火曜日に一人で歩いた。まあ結局、火曜日のそれは妻を連れて来るときの予行練習みたいな感じだったということだ。

 人出はさすがに緊急事態明けの土曜日ということもあり、そこそこに多いようだ。ただし以前、車で通った時のこの通りの人出はえらいこと多かったので、それを思うとまだまだというところか。じょじょに人出もこれから増えていくのかもしれない。

 菓子屋横丁もまあ小ぶりな通りである。なんということもない。若い人たちは団子やらソフトやらを買っては写真を撮ったり楽しそうにしている。インスタ映えというやつかもしれない。こちらはまあこれからけっこうハードに歩くということもあるので、ややセーブして特に御菓子を買ったりということもしない。

菓子屋横丁 | (公社)小江戸川越観光協会

 それからまた札の辻に戻って最初に入ったのは川越まつり会館。

川越まつり会館

 ここでは川越まつりの紹介と実際にまつりに出る山車が2台展示してある。館内では川越まつりを紹介する映像とその後でボランティの方から山車の説明とかを受ける。けっこう山車の説明は面白いのと、外がけっこう暑かったこと、館内はエアコンが効いているので、お休みがてらの見学ということでちょうどいいかもしれない。ちなみに外の喧噪に比して、館内は見学者も少なくてのんびりしていられる。これで入場料300円はラッキーかもしれない。

f:id:tomzt:20211002132040j:plain

f:id:tomzt:20211002132054j:plain
f:id:tomzt:20211002132129j:plain

f:id:tomzt:20211002132454j:plain

 山車は昇降式になっているとか、山車の中には人形が載る部分が360度に回るとか、山車自体にはハンドルやブレーキはなく、方向転換はいちいちバールという器具を使うとかけっこう細かい点が面白かった。

 川越まつり自体はコロナで昨年に続き今年も中止なのだという。こういう古典芸能に近いものは様々なノウハウが伝承されていくものなので、まつりが中止になるとけっこうそのへんが断絶しかねないところがある。来年は完全にコロナが終息して3年ぶりに開催されればと素直に思った。

f:id:tomzt:20211002162619j:plain


 その後は和菓子の亀屋で亀の形をしたどら焼きと芋シューなるものを食す。亀屋は創業230年有という老舗中の老舗の菓子屋さん。橋本雅邦の作品を多数展示している山崎美術館も亀屋が運営している。

会社案内|埼玉県川越市の株式会社龜屋

 まあ亀ドラよりは山崎美術館ででてきた最中のほうが数段美味しかったが、それは妻には黙っていることにした。

 それからお約束的に火曜日にも行った時の鐘に。

f:id:tomzt:20211002134612j:plain
f:id:tomzt:20211002134748j:plain

時の鐘 | (公社)小江戸川越観光協会

時の鐘 (川越市) - Wikipedia

 もともと17世紀に建設され、度重なる火災消失により現在のものは1893年に再建されたもの。さらに2015年から2017年にかけて大規模な耐震工事が行われているという。たかが鐘楼、されど鐘楼というか、なかなかに歴史があるモニュメントという訳だ。

 

 それから道をそれて松江町方面に行く。蔵造りの町並みや氷川神社、市立美術館、博物館とは逆方向になるが、市内で最も大きな寺社である喜多院に向かうことにする。このあたりでも歩行距離としてはけっこう来ている感じだ。

 喜多院には松江町の交差点を左折すれば喜多院入り口に行くのだが曲がり損ねて通町の交差点まで行ってしまう。まつり会館で入手した観光ガイドを見てこっちかなとかやっていると、妻は妻でGoogleマップを見ながら「こっちじゃない」みたいに言う。余裕があるときはスルーするのだが、暑いのとちょっと押していて疲れても来たので無視する。

 通町の交差点を左に曲がると、遠目に林というか木が生い茂った一角が見えてくるので、多分そのへんかと思いながら歩く。行き過ぎたこともあり、喜多院よりも先にその一角にある東照宮を先に発見する。

f:id:tomzt:20211002141917j:plain
f:id:tomzt:20211002142102j:plain

川越八幡宮|日本三大東照宮・仙波東照宮

仙波東照宮 - Wikipedia

 東照宮徳川家康を神格化させるために徳川幕府が建てた神社で全国に700あまり建立されたのだとか。その中でも家康が葬られた久能山にある久能山東照宮日光東照宮が有名であり、それにもう一つを加えて三大東照宮と称するのだとか。川越の仙波東照宮も三大東照宮と自称しているが、他にも岡崎市にある滝山東照宮も三大東照宮を称している。その他にも規模等から上野東照宮を加える説もあるのだとか。

 まあこのへんはかってに三大厄除け大師を自称して成功した佐野厄除け大師の例もあるので、自称、他称所説あるとはいえ、とりあえずスルーしたほうがいいかもしれない。仙波東照宮の拝殿には岩佐又兵衛の『三十六歌仙絵額』があるのだとか。どういう時期に観ることができるのかわからないけれど、機会があれば観てみたいと思う。

 

 そして東照宮と境内が繋がっているのが喜多院である。

f:id:tomzt:20211002143651j:plain

f:id:tomzt:20211002143753j:plain

f:id:tomzt:20211002143408j:plain
f:id:tomzt:20211002142333j:plain

川越大師 喜多院

喜多院 - Wikipedia

 もともとは天台宗の寺として830年に建立されたという。平安時代のことだ。とはいえ喜多院といえば、やはり徳川家との絡みであり、徳川家との関係が深かった天海僧正が住職となってからは徳川家の厚い支援を受けて大きくなったという。特に三代将軍家光やその乳母であった春日局などとの関係も深いという。ひょっとして喜多院には家光の例のヘタウマな絵が残されているのではないかと、最近仕入れた知識的にはちょっと興味がわくがそういう話はなさそうだ。

 なんとなく川越の小江戸情緒というか、観光名所は割と規模的には小ぶりなものが多いのだが、喜多院についてはけっこうデカいというか規模感がある。今回は五百羅漢とかを見なかったけれど、機会があったら見に来たいと思う。紅葉の時期とかも良さそうらしいし。

 

 喜多院から今度は本丸へと向かうことにする。このへんはけっこう歩くのだが、住宅街を歩いているのでいっこうに距離感がつかめない。途中で浮嶋神社の前を通るも、まあ普通の神社という感じ、しかも民家に囲まれているのであまり興味を覚えない。それからこの沿線では一番賢い男の子たちが通うという川越高校の前を通る。ふ~ん、こんなところにあるんだというくらいに渋滞地の中にある。

 そして県道39号線まで出れば道路向こうには市立美術館、博物館、そして手前側には本丸御殿と城址跡、さらに初雁球場がある。まあ本丸御殿はというとさほど規模感もなく、中に入って見学も出来るのだが車椅子で入るためにはスロープを出してもらう必要がある。さらに館内では室内用の車椅子に乗り換えるとか、けっこう面倒っぽかったので今回はパスする。こういうのって、けっこうバリアフリーとかに考慮している寺社では割と多くて、京都の三十三間堂とかも車椅子乗り換えるようになっていたのを思い出した。

f:id:tomzt:20211002150432j:plain

 

 本丸のすぐ後ろには三芳野神社がある。どこということもない普通の神社なのだが、なんでも童謡「とおりゃんせ」の発祥の地なのだとか。

三芳野神社/川越市

三芳野神社 - Wikipedia

 とはいえこれも所説あって、小田原の山角天神社、国府津の菅原神社もそれぞれ発祥の地としている。まあいわゆる一つの本家とか元祖とかそのての類みたいなものだろうか。

f:id:tomzt:20211002150743j:plain
f:id:tomzt:20211002150829j:plain

 

 それから川沿いを少し歩いて左手に逸れると氷川神社に出る。一応、今回の川越周遊の観光地巡りの終着点みたいな風に思っていた。本当は川沿いをもう少し行くとヤオコー美術館があるので、そこで久々に三栖右嗣の絵を観たいという気持ちもなきにしもだったのだが、時間ももう4時を少し回るくらい。足腰にもだいぶきている感じだったので今回は断念する。

 

 そして氷川神社だ。

f:id:tomzt:20211002160905j:plain

f:id:tomzt:20211002161040j:plain
f:id:tomzt:20211002161350j:plain

https://www.kawagoehikawa.jp/#/

氷川神社 (川越市) - Wikipedia

 思ったよりも規模感が狭い、小さい感じである。ただしここには若い人たちがたくさん、たくさんいた。多分感覚的には蔵造りの町並みよりも人が多い。おおむねカップルで参拝したり、くじを引いたりしている。ここが縁結び神さまとして有名だからということもあるのかもしれない。まあそれとは別に蔵造りの町並みをブラブラして、食事をしたりして最後に来るのがここみたいなこともあるのかも。

 自分も妻もとりあえず氷川神社、こういうところねとあたりをつけてとりあえず終了。そのあとは裁判所前から市役所の脇に出てもときた川越市駅を目指した。

 

 駅に着いて一応iPhoneで歩行距離とかを見てみると11.5キロとある。まあならすと週に1~2回妻との散歩で10キロ前後歩いているのでさほど歩いたという気はしない。ただこの日はけっこう暑かったので少々バテた。

f:id:tomzt:20211004140250p:plain

 

 最寄り駅に着いてからは、駅に近い割と行きつけにしている小料理屋が営業再開していたので、二人で軽く飲んでから帰った。とりあえず車椅子で川越周遊は特に問題なしというところだ。妻も割と喜んでいたので、ときどきはこうやってブラブラするのもいいかもしれない。

埼玉、コスモス事情

 昨日は夕方までは天気はもつということで、デイサービスが休みの妻は早々にお出かけモード。ここのところ近場の美術館に行ったりしてたので、ご近所の散歩とも思ったのだが、車椅子で出かけて雨降られるのもイヤなので車で出かけることにした。

 ネットでどこかないかと調べ、そういえばコスモス畑はどうかと見てみる。昔行ったことのある吹上の荒川河川敷はというと三分咲きだという。

 他にはないかなと「埼玉 コスモス畑 2021」で検索をかけてみると一番に出てくるのがこんなまとめサイト

 その二番目に「羽生市のコスモス畑2021」とある。その中にある「羽生市のコスモス祭り2021の開花状況は?見頃や駐車場など調査!」というリンクに入ってみる。

羽生市のコスモス祭り2021の開花状況は?見頃や駐車場など調査!

 場所は羽生市清掃センターの近くらしい。駐車場も近接した水郷公園に400台と大きなものもある。水郷公園内にはさいたま水族館もある。ここには子どもが小学生くらいの時に行っているのでなんとなく土地勘があるということで行ってみることにする。

 羽生や加須近辺はサトエ記念美術館にここのところよく行っている。圏央道から東北道に出るとけっこう早くに行けるのだが、今回は下道を通ってみる。407号から東松山行田線で鴻巣を抜けてみたいに走る。

 鶴ヶ島からは1時間くらいの行程で目的地附近に行く。まずはキャッセ羽生なる施設に。ここはいわゆる物産館でコスモス館と名うっているのだが、ウィークデイでしかも緊急事態もあるので閑散としている。しかし周囲にコスモスがない。

 そのため車に戻りナビでサイト内にあった「羽生市三田ヶ谷1863」の住所を入れると、近くの清掃工場の脇のあたりなので車で行ってみる。キャッセ羽生からは1~2分の距離。でも、コスモス畑はまったくない。

 しかたなく水郷公園の駐車場に移動して公園内を散策することにした。この公園はかなり広い。おまけにウィークデイということもあり人もまばら。ちょっとだけマスクを外してウォーキングコースを回ってみた。

羽生水郷公園 | 羽生水郷公園(さいたま水族館) | 公益財団法人埼玉県公園緑地協会

 それから時間もあったので水族館の方にも行ってみた。ここに来るのは多分3回目くらいか。子どもが小学校に上がる前妻がまだ元気だった頃に一度、妻が病気になってから一度来ているか。自分はいずれの記憶もほとんどないのだが、妻はなまずを見たのを覚えているという。小さな水族館なので30分もあれば回れる。館内には小さな子どもを連れた家族が3~4組くらいで閑散としている。

 淡水魚専門の水族館としては割と規模が大きい方かもしれない。たしか神奈川県相模原の相模川沿い田名にもそこそこ規模の大きな水族館があった。あのへんは墓地が近いのでやはり子どもが小さい頃に何度か行った記憶がある。

 水郷公園、水族館と巡ったけど、しかしコスモス畑はどうなってしまったんだろう。

結論的にいうと羽生にはコスモス畑はないようなのだ。後で羽生の観光協会に聞いてみると昨年(2020年)にコロナの影響でコスモス祭を中止した後、今年もコスモス畑はやっていないということでした。

 そうなると例の「埼玉県コスモス畑の名所」というサイトの問題である。よくよく見てみると2021とうたっているけれど、記載情報や引用されるTwitterの情報はみんな2~3年前の古いものばかりである。検索件数によってアフェリエイトを稼いでいるんだろうけれど、古いネット情報を適当に引用するのではなく、正確な情報をあげて欲しいものだと思う。市や観光協会にちょっと問い合わせれば、すぐに情報とれるのにそういう手間も省いてただネットで検索した情報を裏取りもせずに掲載する。

 本当にネット情報は玉石混合というか、いろいろあるなと思った次第。まあスマホでささっと検索して出かけた自分が悪いというか、こういうのも自己責任ではあるのだけど。

 仕方なくというか、帰り道ということもあり吹上の荒川河川敷のコスモス畑に寄ってみた。ここに来るのも多分10年ぶりくらい。前回も妻と二人で来て、車椅子押してみて回ったような記憶がある。

 コスモスの様子はというと鴻巣市のサイトにあるとおりで全体的には三分咲き、黄色い花を咲かせる黄花コスモスは満開に近づきつつある。

 サイトにもあるとおりで、満開時期は10月中旬からだ。緊急事態宣言も解除されるので、土日はそこそこの人出があると思うけど、開放的なところなのでおすすめな場所でもある。出来ればもう一度満開のコスモスを見てみたいけど、どうだろうか。

f:id:tomzt:20210930164051j:plain
f:id:tomzt:20210930163952j:plain
f:id:tomzt:20210930165606j:plain
f:id:tomzt:20210930165558j:plain

f:id:tomzt:20210930164437j:plain

 
f:id:tomzt:20210930170944j:plain
f:id:tomzt:20210930164836j:plain
f:id:tomzt:20210930165252j:plain
f:id:tomzt:20210930164412j:plain
f:id:tomzt:20210930165126j:plain
f:id:tomzt:20210930165303j:plain

 

 とりあえず今回の結論。ネット情報はよく見てうのみにしない。

 残念ながら羽生には大きなコスモス畑はないようです。とはいえ特に羽生をディスる気はありません。水郷公園は気持ちの良いところだし、近隣の加須や行田にはさきたま古墳や古代蓮公園、たんぼアート、サトエ美術館なんかもあるしね。

山崎美術館~橋本雅邦

 蔵造の町並みというと、まずはこの美術館を訪れる。

f:id:tomzt:20210928115402j:plain

 ここには去年の暮、兄のことを役所に相談に行った時に、昼休みの時間帯で少しだけ時間があったので訪れている。

山崎美術館と橋本雅邦 - トムジィの日常雑記

 病気で歩行が困難になった兄の今後の生活について、ダメ元で役所に相談に行った。こちらが期待したようなものは何も得られず、幾つか資料を渡されただけで途方に暮れるような状況だった。しかもそれから一週間足らずで兄は急逝してしまったのだけれど。

 山崎美術館は亀屋という老舗の和菓子屋さんが運営している。もともと橋本雅邦の父親が狩野派の絵師で川越藩主松平周防守のお抱えだった。その縁もあり川越の人士が橋本雅邦を郷土の誇りとして、画宝会という会を組織して雅邦を支援することになった。多分、ファンクラブのようなもので雅邦に絵を描いてもらい、それを会のメンバーが買い上げて雅邦を支援していたのだろう。

 画法会の中心メンバーが亀屋の四代目当主の山崎豊で、彼は雅邦から譲り受けた(買い上げた)作品を大切に保管し、その一切を子々孫々に伝えることを遺言とされた。これを六代目当主山崎嘉七が1972年に美術館として公開展示することとした。

しかし、我々子孫としてはこれを収蔵するよりも、社会公益のため、広く鑑賞を仰ぎ、もって多少とも美学向上の資料に供するに如かずと考え、本年丁度蒐集に努力した豊翁誕生百五十年に該当するのを機会に、これに菊池容斎、勝田焦琴、川合玉堂、野口小蘋等の作品及び古くから伝わる器物を加えて、記念としてここに「山崎美術館」を発足し、その公開展示を行う次第であります。

図録『雅邦』 2P

 前回も書いたように観光地によくある小さな美術館である。規模と展示作品からすると入場料500円は若干微妙ではある。雅邦の作品以外には和菓子の木枠や型、あとはなぜかノリタケやデミタスカップなども陳列している。そうしたものよりも、当初の志のように橋本雅邦作品をもっと展示して欲しいとか、出来れば新たな収蔵品というか蒐集もされてはとか思わないでもないが、まあ本業が第一。多分、美術館の運営自体はかなり厳しいだろうから、あまり多くを望んでも致し方ないかと思ったりもする。

 亀屋の蔵を改造した美術館内には休息するスペースがあり、そこではちょっとした和菓子(最中)とお茶が提供されている。観光地でちょっと絵を観て和菓子とお茶で休息、それで500円はけっこうコストパフォーマンス高いかと、まあそんなところか。美術館は古民家を改造したような感じで、絵を観るには靴を脱いで上がるようになっている。まあけっこう雰囲気もあるしと、そういう所だ。

 橋本雅邦の絵は掛け軸が中心。前回観たときにはメインの場所に四曲一双の屏風絵があったが、今回はすべて掛け軸ものだった。目玉的なのは以下の二点だろうか。

f:id:tomzt:20210929133114j:plain

『昇竜図』(橋本雅邦)

f:id:tomzt:20210929133111j:plain

『蓬莱山図』(橋本雅邦)

 いずれも近代日本画の父ともいうべき雅邦の画力の見事さを感じ入る作品だ。しかし、もともと狩野派絵師の流れにあるとはいえ、日本院に参加し、指導的立場となる以前は海軍兵学寮で製図掛りを務めて生活をしていた人でもある。この絵はどういう流れに属するものなのか。

 最近、美術史の本などをかじっているためか、自分の中で絵の見方が混乱しつつもある。流れからすれば狩野派、絵の雰囲気はどことなく写生派的な雰囲気もある。とはいえ『蓬莱山図』は一種の理想郷を描いた趣もあるので、これで詩文の一つもあれば南画的な系譜も。まあ一言でいえば、良い絵だとそういうことですね。

 山崎美術館の今後の展示替えスケジュールは以下のようになっている。

「秋季名品展」 前期9月3日(金)~11月17日(水)

  橋本雅邦『昇竜図』『蓬莱山図』他

「秋季名品展」 後期11月20日(土)~12月26日(日)

  橋本雅邦作品をはじめ川越ゆかりの画家の作品を展示

「新春展」 1月3日(月)~2月1日(火)

  橋本雅邦『松に鶴に波図』金屏風を中心に新春にちなんだ作品

『早春展』 2月4日(金)~3月29日(火)

  橋本雅邦の作品をはじめ、野口小蘋の軸装『雛の図』、山崎家に伝わる雛人形

 

川越周遊

 健康診断の後、少し川越の街を歩いてみようかと思った。

 埼玉に越して来て東上線沿線に住んでから、かれこれ25年くらいになるのだけど、川焦げのいわゆる蔵造り町並みとかって数えるくらいしか来たことがない。車ではけっこうな頻度で通っているけれど、歩いてとなると片手あるかないかくらいだ。たいてい何かの用事があって来たとかでゆっくり歩いていない。一度だけ車で来て駐車場に止めて、時の鐘のあたりを家族で歩いたことがあったか。

f:id:tomzt:20210930025731j:plain

 病院から10分も歩かないくらいでいわゆる蔵造りの街並みのあたりに出る。ウィークデイの昼過ぎくらいなのだが、そこそこ人は出ている。コロナの緊急事態もまもなく解除する頃だし、やっぱり若い人と自分のような暇な高齢者が多いみたい。

f:id:tomzt:20210928123317j:plain

 川越は城下町なので寺社も多く、ちょっと路地に入るといきなり古くてちょっと良さげなお寺とかも多い。若いカップルがインスタ映えなのか記念撮影とかしていたりもする。

f:id:tomzt:20210928123742j:plain

 といってもお寺廻りも特に、今日に限っていえば興味も惹かないのですぐにメインストリートに戻る。とりあえず札の辻まで行ってみる。まあただの十字路なんだけど。

f:id:tomzt:20210928125000j:plain

 それにしても札の辻ってなんなんだろう。調べると「街道や宿場町など往来の多い場所に高札を立てた道・辻」ということらしい。高札というのは「法令を板に記して往来などに掲示して民衆に周知させる方法」なのだとか。

 ようは人出が多い辻(十字路)にお上がお触れを高札に記したということなんですね。江戸時代にはこの四辻の真ん中に高札があって、そこでお触れやら掟書が掲げられていたということのようです。

 それからまた蔵造の街並みを戻りしたが、これも観光名所っぽく写真にとられるらしい歴史建築物のりそな銀行なんかもある。

f:id:tomzt:20210928123945j:plain

 そして少しそれると有名な時の鐘とかもある。ここで写真を撮ろうとしてたら、多分自分と同年代の高齢者4人組から写真を撮ってとスマホ渡されて撮りました。2組の男女なんだけど、なんか若々しい。顔はもう立派なオジサン、オバサンだけど。写真撮ったら、女性(オバサン?)が「あなたも撮りましょうか」と言ってきたので丁重にご辞退させていただきました。

f:id:tomzt:20210928124412j:plain

 それから菓子屋横丁をぐるりとしてから熊野神社をちょっと見てから本川越の駅の方に戻った。

f:id:tomzt:20210928130826j:plain

 駅ビルのペペの本屋で時間をつぶして、クレアモールを歩いて川越の駅へ行き帰宅の途に着いた。スマホで確認するとなんだかんだで10キロ弱歩いていることになる。そんな気もなかったけれど、けっこう意味なく行ったり来たりしたせいだろうか。

 まあこれまでも車では何度も行き来しているし、歩いてもだいたいの検討もついたので、次は電車で妻を連れて車椅子でこの町並みを歩いてみようかと思う。電車では味わえないような散策もできるだろう。出来ればその時は気合で喜多院や本丸御殿の方にも行ってみようかと思ったりもする。ふだんご近所周遊で車椅子を押して10~12キロくらい歩くこともあるので、多分大丈夫だろうと思う。これから緊急事態も解除されると人出も増すだろうから、出来ればウィークデイがいいと思うけど。

健康診断

 昨日は久々の健康診断でした。

 勤めていた頃は毎年7月に会社で健診受けられたけれど、会社辞めるとなると自分で健診の予約をとらなくてはならない。そのことを失念していたら、三か月に1度通院している健保の診療所で一応主治医から「そろそろ健康診断受けられた方がいいですね」と言われて、あわてて健保の事務所で聞いてみた。すると都内ではなく埼玉でも健保が契約している病院があるので、そこで個別に予約を取って下さいとのこと。

 健診内容は成人病検診で勤めていたときと同じ。費用は基本保険適用で無料とのことだったので、わりと近場の病院見つけて電話してみた。最初、超音波の検査も入っているので2~3ヶ月先になるということだったのだが、キャンセルがあるので2週間後で1枠あるというのですかさず予約をとった。

 持病的には高血圧、糖尿病、脂質異常、高コルステロール、前立腺肥大とけっこうな病気持ちである。いずれも深刻な数値ではないので、定期的な通院でもその都度血液検査、尿検査とかしている。医師からか「数値はまあまあで、コントロールできてます。出来ればもう少し運動されたほうがいいです」みたいな通り一辺倒なお話いただいて、山のような薬もらってみたいなことが続いている。

 なので健診を受けてもさほど問題になることもないのではと思っている。まあ肺とか大腸に何か問題があれば即再検査になるだろう。健診ではバリウムを飲むことになっているけど、4月に胃カメラ呑んで異常はなかったし。前立腺のPSA数値は高いけど、これも5月に生検術受けてガンの疑いは晴れているし。そういえば6月に眼底検査も受けているか。まあ通常の通院でもいろいろ診てもらっているから、あまり心配はしていない。

 以前、心電図で心筋梗塞の後があるとか、異常Q波があるとかで、再検査して心臓のCTをとったこともある。2年前だっただろうか。あの時も特に異常はないということで、「心臓はしばらく大丈夫でしょう」とお墨付きもらった。

 健診の検査項目は14もある。

f:id:tomzt:20210929161015j:plain

 朝9時15分に入って、順に行っていく。まずロッカー室で衣類を脱いで検査服に着替える。最初に身体計測や血圧測定、採血など。血圧は朝薬飲んでもいないのに、上が118で下65くらい。なんだ、この生娘みたいな数値はと驚く。いつも家で計ると、上は140~150台、下は80前後~90くらいまでいくのにね。

 順に検査を行っていき最後の方に超音波、心電図、そしてトリが医のバリウムX線検査ということになる。9時過ぎに健診センターに入ったときにいた顔ぶれもじょじょに少なくなり、最後バリウムやるころには自分一人みたいな感じになってしまった。特に心電図からバリウムまでは30分以上待たされただろうか。

 バリウム飲んでレントゲン台の上でぐるぐる回ったりとかは久々。あれは何度やっても慣れない。「右の腰をあげて」「左から1回転して」「続けてもう2回、回って下さい」などなど。

 検査終了後は会計もないのですぐに病院を後にした。時間にして2時間半近く。あとは二週間後くらいに再検査のお知らせが来て、多分再検査の嵐になると思うから、主治医と相談しながら必要な検査を受ける、場合によっては治療を受ける。そういうものだ。来年もまたこの病院で健診受けるかどうかはこれから考えましょう。

走行距離

f:id:tomzt:20210927051152j:plain

 昨日、買い物から帰ってきて何気に車のオドメーターを見たら走行距離が4100キロ超えになっていた。

 そういえば一昨日、子どもを千葉まで送って行った時にまもなく4000キロになりますとナビから音声でお知らせもあった。いわゆる記念距離メモリーというやつだ。

 この車が納車されたのは7月18日だから、二ヶ月と少しで4000キロに到達したことになる。そんなに走ったかなといういのが正直な実感だ。そんなにロングで走ったかなと思い巡らしてみる。

 7月には千葉の子どもの家に行ったのと長野県の水野美術館に日帰りでいった。

 8月はというと、秩父周遊、行田たんぼアート、青梅の玉堂美術館と奥多摩湖、相模原に墓参りなど。あと月末に日光へ一泊旅行にいったか。

 9月に入ってからは、京都に上村松園展で一泊旅行したくらいで、あとは近場で府中市美術館、青梅美術館、高崎の群馬県立近代美術館くらいか。

 なんか近場でもちょくちょく乗っているとけっこう距離稼いじゃうものだ。

 車は今の車で8台目になる。結婚してからはずっとマイカーを持っていることになるけれど、最初の頃は年間走行距離はだいたい8千キロくらいだったと思う。まあ仕事しているとふだんは買い物くらいだったし。

 妻が病気になった15年前からは一気に走行距離が伸びた。病院との行き来や子どもの学童の送迎などなど。妻の身体が不自由になったこともあり、どこへ行くにも車を使うようになった。車椅子を使って電車での移動はけっこうストレスになることが多い。世の中は想像以上にバリアーだらけだったこともある。長時間の車での移動は運転する自分はけっこうしんどいが、どこでも行けるしトイレとかでの自由度が高い。

 病気になって身体が不自由になっても、健常者と同じような生活をさせたい。なんなら仕事をやめた妻にはそれまで以上に外出する機会をみたいなことを考えた。妻も病気の影響もあってか、それまでにさほど外出や旅行とかに行く方ではなかったが、とにかくおでかけ大好きになった。

 それからはけっこうあちこちへ旅行に行った。フェリーを使って北海道にも行ったし、淡路島には年に2回は行っていた。健保の契約するホテルがあり通常の半額程度で泊まることができたからだ。京都、伊勢志摩、宮津、本当にいろいろなところへ行った。すべて車だ。

 年間の走行距離はここ15年くらいは、平均15000キロくらい走っているはずだ。子どもが京都や淡路に車で行ったというと、友だちに驚かれたり、呆れられたという。まあ普通は関西に行くのは新幹線だろうと。

 この雑記は個人の備忘録目的で書いている部分が多い。生活綴り方みたいな感じ、いってみればやまびこ学校みたいなものだ。その記録を読み返すと、前の車は中古で9千キロくらいの走行距離だったのを購入、1年7ヶ月で3万キロに達したという風になっている。19ヶ月で21000キロ走行、一ヶ月にならすと1105キロである。それを考えると今のペースは倍近いことになる。

 今度の車に買い替えたのは、年齢的におそらく最後だろうという考えからだった。そしてせっかく仕事を辞めて時間が出来たのだから、もっといろいろなところへ行ってみたいとそんな思いもあった。まあ年齢的には後5年くらいか。さすがに70超えて車で、1日500キロとかのロングドライブは無理だろうと思う。

 とはいえ二ヶ月で2000キロである。もしこのままのペースで一年乗れば24000キロ、多少ペースが落ちたとしても1回目の車検までに5万キロ超えは必須である。なんかそれを考えるとちょっとまずいかと思ったりもする。まあ車を新しくしての最初の二ヶ月である。ちょっと頑張っちゃいましたみたいな感じかもしれない。とはいえ10月には4~5日かけて関西方面に出かけようとか思ってもいる。多分、これまでのことからいえばおそらく1500キロ超えになるはずだ。

 じょじょにペースが落ちてくればいいのだが、なんかブレーキの壊れたダンプではないが、さらに走行距離が増えることはないか。別に暴走はしないけれど、ある種の暴走老人というのもちと困る。