『ハリエット』を観た

 

ハリエット (字幕版)

ハリエット (字幕版)

  • 発売日: 2020/11/06
  • メディア: Prime Video
 

  昨晩遅くアマゾンプライムで観た。

 アメリカの奴隷解放運動家ハリエット・タブマンの伝記映画。

ハリエット (映画) - Wikipedia

 タブマンは南部の黒人奴隷の北部への逃亡を支援する組織の活動家として働き、南北戦争では黒人兵士を率いて南軍と闘うなど活躍した黒人女性。「女モーセ」、「黒人のモーセ」とレスペクトを込めて呼ばれた。黒人女性として初めて20ドル札紙幣に肖像がデザインされることがオバマ政権下で決まったが、これをトランプがポリティカル・コレクトネスと批判して棚上げにした。バイデンの政権獲得により、タブマンの肖像が20札紙幣に採用される手続きは復活している。

 ちょっとあり得ないほどタフな黒人女性の実話に基づいた話である。ストーリーはトントンと小気味よく進むが、黒人奴隷への迫害といった部分はやや薄められており、ハリエットとその雇い主との遺恨が大きくクローズアップされている。

 またハリエットは、幼い時に暴行を受けて頭蓋骨骨折の大怪我をしており、その怪我の後遺症によりナルコレプシーてんかんの発作に襲われる。ナルコレプシーで夢遊状態になったときに、フラッシュバックのように予知夢をみることで危険を回避する。それを彼女は神との対話と呼ぶのだが、そのへんが少しオカルトっぽい感じがして些か引くような部分もある。

 演出は黒人女流監督のケイシー・ティモンズ。当初は女優として『羊たちの沈黙』などに出演したキャリアがある。

ケイシー・レモンズ - Wikipedia

 主演のシンシア・エリヴォはイギリス出身の女優、歌手。

Cynthia Erivo - Wikipedia

 映画的には割とオーソドックスなストーリー展開で彼女が最初の逃亡以来、自分の家族やその他の奴隷を逃亡させるために何度も故郷に戻るのだが、そのへんが見事に省略されており、逃亡についても森の中や草原を走るシーンや川を渡るシーンなどワンパターン化されていて、そんな簡単に逃亡が可能なのかと思ったりもした。

 そして窮地に陥ると例の発作で意識を失い、その時に受けた啓示により危機を脱するという割とご都合主義的な感じでもある。そのへんをスルー出来るかどうかでこの映画に入り込めるかどうかが決まるかもしれない。

 主役のシンシア・エリヴォは好演している。アカデミー賞にノミネートされたというのもうなずける。脇をかためる俳優陣もみな良い演技をしているのだが、なんとなくキャラクターが確立していないような役柄もあるようにも思った。

 ある種のご都合主義、類型的なキャラクターなどから、映画として今一つと感じる部分もあるにはある。しかしハリエット・タブマンという強烈なインパクトを与える人物にスポット・ライトをあてた映画だけに、たいていの部分は割り引いても問題なしといえる作品かもしれない。

 迫害された黒人が地位、名誉を獲得、回復するサクセス・ストーリーというのは基本的に嫌いではない。黒人奴隷が受けた迫害はある部分筆舌を絶するものがあったと思う。そこに焦点をあてた場合にタブマンの偉業が相殺される部分もあり、迫害の部分を比較的軽く描いたのはある意味で正解かもしれない。

 昨年は現代の黒人への差別や迫害がクローズアップされBLMの運動が喧伝された。その端緒となるのが奴隷制度である。現代の問題は過去と繋がっているということがこの映画からも明確に読み取れる。黒人への差別をなくし、権利を拡大していくとともに、白人社会は永遠に反省、内省を強いていく必要がある。人種問題はアメリカの宿痾でもあり、その克服のためには不断の試みが必要なのだということを、こうしたエンターテイメントを通じても再認識していかざるを得ない。

桜が少しずつ咲き始めた

 庭に植えている桜は4年目で高さだけは3メートルくらいになった。今年はけっこう花びらつけてくれるか、いよいよ小さな猫の額的庭で花見かと思っていたのだが、なんか花芽が出るより先に葉が出てきた。そんでもって調べてみると、いろんな要因で花が咲かないことがあるという。

サクラ 花が咲かない - 花と木の育て方│元気に生長させる栽培のコツ!

 隣は駐車場なので日当たりは悪くないので、やっぱり肥料をまめに与えなかったからかとも思ったりもする。まあ基本、なんちゃってがーデニングなので、このへんはいたしかたないかと思ったりもする。

 この桜(ソメイヨシノ)は、3年前にホームセンターで買ってきたもの。毎年、ほんの少しだけ花が咲いてくれて、なんとなく小さな幸せ的に心を和ませてくれる。

ソメイヨシノ満開 - トムジィの日常雑記

 そして今年なんだが、どうにもいきなり葉桜な訳である。

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 それでも上の方に少しずつ花芽がついてきた。

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 そしててっぺん部分で一部花が開いた。

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 しかし近所の神社の桜などはすでに満開状況にあるのに、うちのは遅咲きというかとにかく遅い感じがする。やっぱり肥料なんだろうか。

 桜は実は「サクラ切るバカ」とか言われるほど、剪定時期を間違えたり切り過ぎると枯らすことが多いのだとか。

サクラの木を枯らさない剪定方法と剪定時期 | 庭木の剪定専門サイト

 まあこれまではあまり考えたり調べたりしたことがないので、これまでは基本放置してきたのだが、せっかく3メートル近くになったのに花があまり咲かないというのもちょっと淋しい。多分、このままだと細長い枝のままで高さだけはさらにもう1メートルくらい伸びてしまうかもしれない。

 今年はきちんと秋口に肥料を上げ、葉が落ちた時期に剪定とかしてみようかとも思うのだが、花がついた枝を落とすと元の木阿弥になってしまうかもしれない。草木は管理というか、手間暇をかけてやらなくてはいけないので難しい。

 毎年、思うのは来年こそ満開の桜の下でお花見、お銚子の一本くらいやりたいとそういうことだ。そしてさらにいえば、この先後何度、こうやって桜の花を見ることができるのかどうかということ。そう、竹内まりやの『人生の扉』である。


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子どもの引っ越しのお付き合い③

 昨晩、子どもが持っていく荷物を整理するために帰宅。夕食をとるというのですき焼きを作った。まあしばらくはもう帰ってこないだろうし、家で家族三人でする食というのも当分ないだろうということで少しだけ奮発した感じだ。

 そして今朝はダンボールでだいたい5~6箱の荷物を作った。これまでにも何度かに分けて持って行っているということもあるし、かなりの私物はそのまま家に置いていくことになる。引っ越し先の団地もさほど広いわけでもないし、家具類はじょじょに買い揃えていくようだ。

 それから車にダンボールをつめる。妻も行きたいというのでいつも載せている車椅子をそのままにしているので、ダンボール6箱だとぎりぎりというところだ。それから今ずっと組み立てているディズニーのドールハウスを後部座席に載せてとりあえず荷物の運び込みは終了。

 千葉の団地に着いてまず荷物類をすべて部屋に運び込む。それから少し片づけてから必要なものをまた買いに行く。ガスコンロや用意したホースをつけていざガスの差し込み口に接続しようとするとどうもうまくいかない。自分が知っているのはホースを差し込んでバンドで止めるタイプなのだが、今回の部屋のものはコンセント型というものらしい。そしてこのタイプの場合ホースを差し込むソケットが必要になるらしい。

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 そこで購入したホームセンターまで買いに行くことにする。こういうのって事前に調べておかないいけないのだろうが、いかんせん自分が住む訳でもなく、子どももそういうのは判らないだろうから何度も足を運ぶことになる。

 ホームセンターで予め取って置いたコンセントの写真を見せて確認すると、すぐに使うソケットを教えてくれた。そこで絶対大丈夫かと念押ししたのだけど、店員さんは多分これ以外にはないという。

 その他ではカラーボックスを2つ、あと新しく買ったテレビが事前に用意した安いテレビ台よりも大きくて足の部分がはみ出してしまうので、テレビ台の上に載せる板を購入。この手の板は91センチ✕40センチと決まっているみたいなのだが、必要なのは80センチ✕40センチなので11センチカットしてもらう。こういうところはホームセンターの便利なところだ。11センチのカット代は50円。

 それからまた部屋に戻りガスのコードに買ってきたソケットをつけてコンセントに接続すると無事にガスコンロが使えるようになった。その後、少し買ってきたものを整理したりしてから部屋を出て、近くの回転寿司屋で夕食をとる。それから子どもを今住んでいるところまで送ってから帰宅。帰ったのは一昨日よりはだいぶ早かったけど、家の近所で少し買物をしてたら結局11時を少し回るくらいになった。

 2月の後半からこれまでで子どもの引っ越す千葉に行ったのは今日を含めて6回。1回でだいたい200キロくらい走ることになる。自分の年齢からするとちょっとしんどいかなとも思うけど、多分千葉行はこの後1回か2回くらいになると思う。親バカの極みみたいな感じだがもう少しだけ頑張って子どもの一人立ちをサポートしたいと思う。その後はまあ勝手にしなさいと、そういう心境だ。

子どもの引っ越しのお付き合い②

 子どもが休みをとって家賃の銀行引き落としの手続きと免許の住所変更を行うというので、千葉まで車で付き合う。ようはドライバー。しかし千葉の海岸沿い、幕張から検見川、稲毛海岸あたりの開け方は半端ないなと思う。幕張周辺は例の幕張メッセイオンモールなどの新都心やゾゾタウンなどで巨大な建物が林立している。道路もやたらと広い。そして検見川浜から稲毛海岸あたりは古くからの団地がこちらも林立、駅前も必ずイオンがあり開けている。大昔、会社の上司が稲毛海岸の団地に住んでいて、そこに遊びに行った時には、駅前周辺もそれほど開けた印象はなかった。まあ25年以上前の話ではある。

 その後、一度家から持って行った荷物類を部屋に運び、それからホームセンターに買い物に。最初にニトリでカーテンを買い、その後はナビを頼りにカインズホームまで。カインズはイオンモールを抜けてさらにラウンドワンやホームズを抜けた先の東京インテリアに隣接している。なんだか日本中のホームセンターが集まってるエリアみたいな雰囲気だ。

 店内はまあ地元のカインズと一緒なんだが、なんとなく都会的な雰囲気が感じられる。埼玉も千葉も一緒だという思いもあるが、子どもにいわせるとやっぱり海が近いとこは違うということらしい。

 そこでは六畳間もカーペット1枚、タイルカーペットを40枚、ガスコンロ、シーリングライト3部屋分などを購入。安いものばかりでまとめたつもりだったが、ニトリのカーテンと合わせるとなんだかんだで6万円強くらいになった。

 その後、子どもの部屋に戻って暗い中で懐中電灯を頼りにシーリングライトを取り付けた。その後、ガスコンロを開封してみるとホースが入っていない。昔は同胞されていたのだが、今は別売のようだ。なのでコンロの設置は後日ということになり、なんだかんだで部屋を出たのは10時近く。子どもは今住んでいる家に送っていき帰宅したのは12時を少し回った頃だった。

東京国立近代美術館~「あやしい絵展」

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 カミさんは木曜日がデイケアの休みの日。どこかへ連れていけというので、国立近代美術館へ行くことにする。自分は連荘になるけど、この美術館なら毎日訪れてもなにかしら発見がある。

 昨日と同様に企画展「あやしい絵展」から観て、それから常設展にという流れ。

あやしい絵展 - 東京国立近代美術館

 明治期日本では、西洋美術の影響で「単なる美しいもの」を描くことから脱して、退廃的、妖艶、グロテスク、エロティックといった異なる表現を獲得していった。そうした潮流での作品群を以下のような切り口から紹介する企画展で、「あやしい」は「妖しい」「怪しい」「妖艶」「狂おしい」といった様々なバリエーションによって表出されている。

1章プロローグ 激動の時代を生き抜くためのぱわーをもとめて(幕末~明治) 

2章 花開く個性とうずまく欲望のあらわれ(明治~大正)

2章-1 愛そして苦悩-心の内をうたう

2章-2 神話への憧れ

2章-3 異界への境(はざま)で
2章-4 表面的な「美」への抵抗

2章-5 一途と狂気

3章エピローグ 社会は変われども、人の心は変わらず(大正末~昭和)

  まず驚いたのが鏑木清方である。抒情性や儚さを感じさせる美人画という印象のあるこの人がこういう妖艶というかまさに<怪しい>絵を描いている。

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『妖魚』(鏑木清方

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『刺青の女』(鏑木清方

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『薄雪』(鏑木清方

 さながら「鏑木清方と妖しい絵展」みたいな雰囲気である。ちょっと驚いたのがこれらの絵はかってキャバレー王として名を馳せた福富太郎のコレクションだということ。ウィキペディアとかであたると絵画蒐集家として有名だったことがわかる。自分などからするとようテレビに出ていたキャバレーハリウッドの社長というイメージしかなかったのだけど。

福富太郎 - Wikipedia

https://www.yurindo.co.jp/yurin/24067/2

 今回の美術館で異彩を放っていたこの2点も福富太郎コレクション資料室所蔵。

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『おんな』(島成園)

 島成園は20歳で画壇にデビューした女流画家。先にリンクをはった有隣堂のPR誌の対談で福富太郎はこう語っている。

福富あと僕が好きな美人画家としては島成園ですね。成園は誰も知らなかったのを僕が掘り出したんだ。彼女は銀行マンの奥さんで、北野恒富の弟子なんですよ。

猿渡絵はすごくいいですよね。

福富絵は清方に勝るとも劣らない。

  成園の作品ではこの「あやしい絵展」には、女性の顔にアザを描き内面描写を感じさせる『無題』という作品も展示されている。

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『無題』(島成園)

島成園 - Wikipedia

 福富太郎コレクションでは、島成園の師匠でもある北野常冨の『道行』も展示されている。

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『道行』(北野恒冨)

 この企画展では、鏑木清方的な妖艶に対して、2章-4表面的な「美」への抵抗が異彩を放っている。その中でも主役級の取り上げられ方をしているのが企画展のポスターにもなっている甲斐荘楠音だ。

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『横櫛』甲斐荘楠音)

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『幻覚(踊る女)』(甲斐荘楠音)

甲斐庄楠音 - Wikipedia

 この女性に対してほとんど悪趣味な感覚、あるいは女性への悪意さへ感じさせる画風は、ウィキペディアの記述によれば土田麦僊により「きたない絵」と酷評される。美人画というよりも大らかな女性を描いた土田に「きたない」と評されるというのも相当なものだと思う。

 甲斐荘はその後、絵画から離れて映画界に入り時代風俗考証家となる。特に溝口健二の協力者として活躍し、溝口の『雨月物語』ではアカデミー賞衣装デザイン賞にノミネートされたとある。その後、溝口の死と共に映画界を離れ画家としてのキャリアを再出発させる。

 しかしこの露悪ともいうべき表現はどう考えるべきか。甲斐荘は女性の内面を描いたということなんだろが、この絵にはモデルを通しての甲斐荘の女性観、女性に対する悪意みたいなものが投影しているような気がしてならない。ウィキペディアには彼がゲイであったという記述がある。甲斐荘は自ら女装することもあったというナルティストの一面もあるようで、あの女性像は実は自らを投影したものなのかもしれない。

 女性を露悪的に描く画家ということでいうと、西洋画ではヴァロットンを思い出す。彼の描く女性もまたどこか底意地の悪さを表現している。あれを確か不仲だった妻への思いが表出したみたいなことを何かで読んだことがある。

 いずれにしろ甲斐荘の描く女性には、ある種の彼自身の女性像が投影化されている。それは女性を理想像として描くような美人画の対極にあり表面的な「美」への抵抗というよりも、もっとプライベートな美とは異なるベクトルのように思えてならない。

東京国立近代美術館~美術館の春まつり

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 昨日から始まったMOMAT(東京国立近代美術館)恒例の「美術館の春まつり」に出かける。この時期は周辺の桜も咲く時期でそれに合わせた企画でもある。そしてこの春まつりの時期にしか展示されない絵も多く、毎年楽しみに行っている。

 もちろん最初に観たのは企画展「あやしい絵展」なのだが、それについては別の機会で。とりあえず常設展示について。

 4階1室ハイライトで最初に迎えてくれるのは菊池芳文。

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『小雨ふる吉野』(菊池芳文)

 さらに菱田春草があってそのお隣には横山大観

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『観音』(横山大観

 1912年頃の作品で明るい色調。茨城県近代美術館の『流燈』(1909年)と同系統の作品。

 つきあたりにはいつもの原田直次郎『騎龍観音』とその隣にはアンリ・ルソーの『第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神>』。さらにはこの4F1室での展示は初めての和田三造『南風』など。いつものように佐伯祐三の前で小休止する。

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『ガス灯と広告』(佐伯祐三

 詳しくはわからないけれど、この絵からはヴラマンクの影響を脱しユトリロを経て佐伯祐三がオリジナリティを獲得しているようにも感じる。ポスターの活字を図象化したグラフィック表現。この絵の前で10分ちょっと目を閉じてちょっと休んだ。この絵の中に入り込むような夢を期待したけれど、一瞬落ちただけだったみたい。

 春まつりの主役というか、だいたいいつもハイライトには川合玉堂の『行く春』があるのだが、あるべき場所にない。多分3Fの10室日本画の間だと思ったが、念のため監視員の女性に聞くと、予想通りの答えが返ってくる。そこで4Fの2室から5室をすっ飛ばして3Fに向かう。

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『行く春』(川合玉堂

 やっぱりこの絵を観ないと春を迎えられないみたいな気がする。観る者の感性をくすぐるような、日本人が追体験としての記憶として持っている原風景みたいな部分を表象化している。のどかな、そして季節の移ろいを感じさせる絵だ。

 3月は5日に山種美術館川合玉堂-山﨑種二が愛した日本画の巨匠-」、7日に青梅の玉堂美術館に行っていて、なんとなく玉堂の月みたいな感じになっていた。なんとなくその締めみたいな感じで『行く春』をMOMATで観ようとなんとなく決めていた。

 よく見てみると岩肌の表現などは単なる写実とは違うのっぺりとした表現。遠景の向かい義姉の岩肌、急流の中で岸に係留された水車のついた小舟が三隻。それらを背景にした散った花びらが舞っている。その花びらの大きさは単なる遠近法とは異なり、より強調されているような気がする。それは左隻に描かれる前景の桜との比較からしても、もっと小さく点描のようになっていてもおかしくない。画家の視点には写実を超えた表現主義があるような気がした。まあ門外漢の適当な思いつきの類ではある。

 時間軸としての春の移ろいが右隻から左隻へ川の流れと同軸に流れていく。そうした時間軸とは異なるように桜の花びらは浮遊している。そんな印象をもった。

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 同じ10室にはこれもお馴染みの跡見玉枝の『桜花図屏風』がある。

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『桜花図屏風』(跡見玉枝)

跡見玉枝 :: 東文研アーカイブデータベース

 跡見玉枝は跡見学園創設者で画家でもあった跡見花渓の従妹で皇室とのつながりのある日本画家だとか。花渓の作品は跡見学園新座キャンパスにある花渓記念資料館で観ることができるとか。

 その後、3Fの9室から6室を観てから再び4階に向かう。2室には中沢弘光の作品が4点展示されていてさながら中沢の間みたいな感じがした。

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 中沢弘光は黒田清輝に師事した画家とのことで、画風も黒田の影響は大きい。外光派、日本の印象派の一人みたいな人のようだ。代表作は『おもいで』とのこと。

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『おもいで』(中沢弘光)
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      『かきつばた』      『野路』  (中沢弘光)

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『花下月影』(中沢弘光)

 そしてこの『花下月影』である。この絵を観るのは多分三度目。最初は2015年の山梨県立美術館の「夜の画家」という企画展。

山梨県立美術館へ行く - トムジィの日常雑記

 二回目はMOMATで観た。

国立近代美術館へ - トムジィの日常雑記

 いずれもこの絵のもつ独特のあぶさな、妖しさに魅了された。横たわる少女の視線が糸をひくようにいつまでも残る作品だ。1Fの企画展「あやしい絵展」に展示すべき絵なんじゃないかとちょっと思ったりもした。構図、モチーフにも破綻がない。よく見ると遠景の島(?)、山が妙にデフォルメされていることに気がついた。

 閉館の5時少し前に館を後にした。それから北の丸公園から千鳥ヶ淵を遠目にして、武道館を抜け田安門に出て飯田橋まで歩いた。桜は五分咲きくらいだったが美しい景色だった。竹内まりやの歌ではないが、この先後なんどこんな風に桜を見ることができるのだろう。

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襲われた幌馬車

襲われた幌馬車 [DVD]

襲われた幌馬車 [DVD]

  • 発売日: 2010/05/21
  • メディア: DVD
 

 これもBSで録画したものを観た。リチャード・ウィドマーク主演の異色西部劇だ。

襲われた幌馬車 - Wikipedia

 まず独特な風貌から脇役、悪役で異彩を放つリチャード・ウィドマークが主演というのが異色。さらに1956年という時代にあって、先住民(インディアン)に対して同情的な扱いがなされている。

 主人公コマンチ・トッドはコマンチ族に育てられた若者。妻と子どもを殺したハーパー兄弟を復讐のために襲撃するが保安官につかまってしまう。護送される途中で幌馬車隊と遭遇し、アパッチ襲撃に備えるために同行することになる。途中アパッチ族に襲われ、幌馬車隊のほとんどが殺されるが、残された数名はトッドに従って窮地を脱する。

 先住民と結婚した白人が主人公、妻や家族が無法者の白人にレイプされ殺されたために復讐に立ち上がるという筋立ては、ほぼ同時期作られた『ガンヒルの決斗』と似通っている。『ガンヒルの決斗』は1959年作品、『荒野の七人』『大脱走』などで知られるジョン・スタージェス監督作品でカーク・ダグラス、アンソニー・クィンが主演。

ガンヒルの決斗(字幕版)

ガンヒルの決斗(字幕版)

  • メディア: Prime Video
 

  主人公のカーク・ダグラス演じる連邦保安官は、先住民の妻を無法者にレイプされ殺される。その犯人がガンヒルで大牧場主となっている友人(アンソニー・クィン)の息子であることが判り、単身ガンヒルに乗り込むが息子を溺愛するクインと対立。ガンヒルでの対決は1日で朝汽車で着いてから、帰りの汽車に乗るまでという時間軸で進行する。さらに町の有力者であるクインと対立するためダグラスは町で誰の協力も得られず、孤立した戦いを強いられる。そういう構成はなんとなく『真昼の決闘』を連想させる。

 この『ガンヒルの決斗』もほぼ同時期にBSプレミアムでやっていてこれも飛ばし飛ばししながら観ているのだが、これの感想はまたどこかで。

 話は『襲われた幌馬車』に戻す。異色の西部劇論という意味では、1950年代中盤にかけてそろそろ西部劇も白人開拓者や奇兵隊と無法な野蛮人である先住民の対立という図式から抜け出そうとし始めている。先住民を白人が侵略したという形で捉えられるのは、ヴェトナム戦争とそれへの抗議といった運動が活発化する70年代前後ということになる。多分アーサー・ペンの『小さな巨人』、ラルフ・ネルソンソルジャー・ブルー』あたりからだろうか。

 この映画の公開1956年にはまだ白人を侵略者とする視点はまったく出ていないし、そういうテーマはまだ受け入れられる土壌がなかった。なのでここでは先住民にも理解を示す良き白人と無法な殺戮者である邪悪な白人との対立という形をとっている。さらにいえば先住民も白人に融和的なコマンチ族に対して、無法で野蛮なアパッチ族を対立させるという形になっている。まあ実際のところはコマンチもアパッチも白人に先祖からの土地を追われた被征服民であることは変わりないのだが。

 この映画の監督はデルマー・デイヴィス。長いキャリアで沢山の西部劇を手掛けている。代表的なところでは若きジャック・レモンが主演した『カウボーイ』、本作と同じように先住民の視点から描いたジェームズ・スチュアート主演『折れた矢』、ゲイリー・クーパー主演『縛り首の木』など、どこか一風変わった作風だ。

 さらにこの監督は青春映画の佳作をけっこう手掛けている。『避暑地の出来事』『二十歳の火遊び』『スーザンの恋』『恋愛専科』などなど。基本的に主演は当時絶大な人気のあった若手アイドル俳優トロイ・ドナヒュー、相手役はサンドラ・ディー、アイドル歌手だったコニー・スティーブンス、若手美人女優スザンヌ・プレシェットなど。

 基本的には低予算、人気アイドル俳優、歌手による青春映画、よくあるプログラム・ピクチャーなのだが職人監督デルマー・デイヴィスにかかるとこれが小粋な恋愛映画に仕上がる。『避暑地の出来事』や『恋愛専科』は多分70年代のどこかでテレビ放映されたものを観た記憶がある。

デルマー・デイヴィス - Wikipedia

 『襲われた幌馬車』ではリチャード・ウィドマークに反発する若者役としてニック・アダムスが出ている。この人の名前をなぜ覚えているかというと、東宝に招かれて怪獣映画フランケンシュタイン対地底怪獣』(1965年)に出演している。あの映画の中で日本語は吹き替えだったが、ハリウッド俳優が主演した怪獣映画ということで強烈に記憶に残っている。

 ニック・アダムスは日本に招致されたすぐ後の1968年に薬物の過剰摂取で36歳の若さで没している。身長170センチと小柄なこともあり、ハリウッドでは今一つ目が出なかったようだ。

ニック・アダムス - Wikipedia

 当時の東宝怪獣映画にはハリウッド俳優がけっこう招致されていてこのフランケンシュタイン対地底怪獣』の続編にあたる『フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ』(1966年)には、ミュージカル俳優で『ウェスト・サイド・ストーリー』や『略奪された七人の花嫁』などでアクロバティックなダンスを得意としたラス・タンブリンが出演している。

 人気のあるミュージカル・スターが日本の怪獣映画に出演という意味ではちょっと意外な感じがするが、ラス・タンブリンもニック・アダムス同様、ハリウッドではあまり活躍の場がなかったのかもしれない。

 もう一つラス・タンブリンというと小柄な印象がある。彼の身長は175センチなのだが、日本人俳優との絡みからすると長身の俳優はNGみたいな部分もあって採用されたのかもしれない。