カミさんは木曜日がデイケアの休みの日。どこかへ連れていけというので、国立近代美術館へ行くことにする。自分は連荘になるけど、この美術館なら毎日訪れてもなにかしら発見がある。
昨日と同様に企画展「あやしい絵展」から観て、それから常設展にという流れ。
明治期日本では、西洋美術の影響で「単なる美しいもの」を描くことから脱して、退廃的、妖艶、グロテスク、エロティックといった異なる表現を獲得していった。そうした潮流での作品群を以下のような切り口から紹介する企画展で、「あやしい」は「妖しい」「怪しい」「妖艶」「狂おしい」といった様々なバリエーションによって表出されている。
1章プロローグ 激動の時代を生き抜くためのぱわーをもとめて(幕末~明治)
2章 花開く個性とうずまく欲望のあらわれ(明治~大正)
2章-1 愛そして苦悩-心の内をうたう
2章-2 神話への憧れ
2章-3 異界への境(はざま)で
2章-4 表面的な「美」への抵抗2章-5 一途と狂気
3章エピローグ 社会は変われども、人の心は変わらず(大正末~昭和)
まず驚いたのが鏑木清方である。抒情性や儚さを感じさせる美人画という印象のあるこの人がこういう妖艶というかまさに<怪しい>絵を描いている。
さながら「鏑木清方と妖しい絵展」みたいな雰囲気である。ちょっと驚いたのがこれらの絵はかってキャバレー王として名を馳せた福富太郎のコレクションだということ。ウィキペディアとかであたると絵画蒐集家として有名だったことがわかる。自分などからするとようテレビに出ていたキャバレーハリウッドの社長というイメージしかなかったのだけど。
https://www.yurindo.co.jp/yurin/24067/2
今回の美術館で異彩を放っていたこの2点も福富太郎コレクション資料室所蔵。
島成園は20歳で画壇にデビューした女流画家。先にリンクをはった有隣堂のPR誌の対談で福富太郎はこう語っている。
福富あと僕が好きな美人画家としては島成園ですね。成園は誰も知らなかったのを僕が掘り出したんだ。彼女は銀行マンの奥さんで、北野恒富の弟子なんですよ。
猿渡絵はすごくいいですよね。
福富絵は清方に勝るとも劣らない。
成園の作品ではこの「あやしい絵展」には、女性の顔にアザを描き内面描写を感じさせる『無題』という作品も展示されている。
福富太郎コレクションでは、島成園の師匠でもある北野常冨の『道行』も展示されている。
この企画展では、鏑木清方的な妖艶に対して、2章-4表面的な「美」への抵抗が異彩を放っている。その中でも主役級の取り上げられ方をしているのが企画展のポスターにもなっている甲斐荘楠音だ。
この女性に対してほとんど悪趣味な感覚、あるいは女性への悪意さへ感じさせる画風は、ウィキペディアの記述によれば土田麦僊により「きたない絵」と酷評される。美人画というよりも大らかな女性を描いた土田に「きたない」と評されるというのも相当なものだと思う。
甲斐荘はその後、絵画から離れて映画界に入り時代風俗考証家となる。特に溝口健二の協力者として活躍し、溝口の『雨月物語』ではアカデミー賞衣装デザイン賞にノミネートされたとある。その後、溝口の死と共に映画界を離れ画家としてのキャリアを再出発させる。
しかしこの露悪ともいうべき表現はどう考えるべきか。甲斐荘は女性の内面を描いたということなんだろが、この絵にはモデルを通しての甲斐荘の女性観、女性に対する悪意みたいなものが投影しているような気がしてならない。ウィキペディアには彼がゲイであったという記述がある。甲斐荘は自ら女装することもあったというナルティストの一面もあるようで、あの女性像は実は自らを投影したものなのかもしれない。
女性を露悪的に描く画家ということでいうと、西洋画ではヴァロットンを思い出す。彼の描く女性もまたどこか底意地の悪さを表現している。あれを確か不仲だった妻への思いが表出したみたいなことを何かで読んだことがある。
いずれにしろ甲斐荘の描く女性には、ある種の彼自身の女性像が投影化されている。それは女性を理想像として描くような美人画の対極にあり表面的な「美」への抵抗というよりも、もっとプライベートな美とは異なるベクトルのように思えてならない。