府中市美術館~ただいまやさしき明治 (7月10日)

 昨日、閉幕となった「ただいまやさしき明治」展に行ってきた。すでに始まってすぐに一度行っているのだが、後期展示のものもあるのでもう一度と思っていた。閉幕ぎりぎりの滑り込みだった。

孤高の高野光正コレクションが語る ただいま やさしき明治 東京都府中市ホームページ

府中市美術館「ただいま やさしき明治」 - トムジィの日常雑記

 ただし今回もついたのが3時過ぎ。連日の寝不足もありあまりじっくりとは観ることが出来なかった。途中、ベンチで寝ていたら監視員さんに生存確認されてしまったし。

 この企画展で展示されているほとんどの作品は、明治期に外国人用に描かれたお土産絵であり、購入した外国人によって海外に持ち帰られたものだ。それを一コレクターである高野光正氏が海外のオークションなどでコツコツと入手されたものである。それまでは日本の絵画史の中でもスポットライトが当たることもなく、研究対象ともなっていなかった。おそらく今後、基調な近代日本の初期の洋画の作例として、画家、作品、画風などが研究されていくのではないかと思う。

 展示室に入ってすぐのところにコレクター高野光正氏の言葉が掲示してあった。なかなか泣かせる言葉である。同内容のものが図録にもあったので引用する。高野光正氏は1939年生まれで83歳。その文章はこの展覧会を企画した府中市美術館学芸員の志賀秀孝氏による聞き書きである。

コレクションの公開について

 私の父も美術愛好家でした。大学も画聖浅井忠を敬愛するあまり、浅井忠が晩年を過ごした京都を選ぶほどで、同支社大学在学中の2年間は鹿子木孟郎の塾に通いました。卒業後、実家の傍ら浅井忠のグレー村シリーズを含む名品多数を蒐集し、高野時次コレクションとして東京国立博物館へ全て寄贈いたしました。父の生前は虫干しを二人でするのが楽しい年中行事でした。

 私も同支社大学卒業後、アメリカで留学中、画廊を巡りました。後年、偶然立ち寄ったニューヨークのオークション会場をで、父の学んだ鹿子木孟郎の作品に出会い、初入札、初落札し、これが私のコレクションのはじまりとなりました。今日まで様々な蒐集にまつわる苦労話もつきませんが、画家のご遺族の出会いなど良い思い出もつきることはありません。

 この度の展示をご覧になった方々が、帰り道に一杯傾けながら、また夕食を囲んで、古き良き明治の時代に思いを馳せていただけますならば、これに勝る喜びはありません。まだしもこの展覧会をきっかけに水彩画を楽しむ方や子供さんなどが増すならば、将来のほほえみと潤いにつながるのではないかと期待していおります。

 来日画家や旅人が感激した美しい日本の美を称えた作品ばかりを海外から里帰りさせました。これは国境を越えた人と人との強い絆でもあります。より多くの方に私の蒐集した作品がお楽しみいただけますことを心から願っております。

                                        令和四年五月

高野光正氏略歴

1939年  名古屋生まれ。同志社大学卒業後、アメリカのコルゲート大学大学院に入学

1985年  父高野時次氏の蒐集した浅井忠の作品(油彩画11点、水彩画・デッサン56点、掛軸6点計73点)

     を遺言により東京国立博物館へ寄贈

現在   名古屋市内で実業の傍ら、現在も蒐集を継続。

                               『ただいま やさしき明治図録』P5

 いい話である。父親が習っていた鹿子木孟郎の作品に海外で出会い初入札、初落札する。それから海外に持ち帰られ散逸していた明治初期の日本人画家による風景画、風俗画を少しずつ入手し、日本に里帰りさせたという。こういう篤志家、コレクターによって、我々は文明開化の明治にあって、積極的に洋画の技法を学び、外国人たちに喜ばれるような作品を描いた多くの無名画家、あるいは後年大成した若き画家たちの画業を知ることができたのである。

 そしてもう一つ、当時の風俗、庶民の生活を我々が知るのは、数少ない導入されたばかりのモノクロ写真と、庶民によって需要されていた浮世絵版画などによる。しかしモノクロ写真、あるいは様式化されたりデフォルメされた浮世絵のそれではない、写実として描かれた民衆の生活や原風景的な風景、それらを鮮やかな色彩で目にすることの素晴らしさ、この企画展に展示された作品たちに私が惹かれるのは多分そういう部分だと思う。

 歴史の通史書や小説などに描かれた明治時代の人々その生活、それらがある種の定型的なフォーットのなかで類型化されている。それとは異なる写実、たしかに我々の先祖たちが暮らしていた生活や風土が絵の中には存在している。

 それぞれの絵は細密で美しく巧みなものもあれば、凡庸なものもある。間違いなく西洋画の模倣、土産物として類型化された架空の風景画も多数あるにちがいない。それでもその中には、それまで文字と挿絵のようなものでしか描かれなかったものがある。

 多分、この明治初期の土産物用途に描かれた写実画、風俗・風景画は、これまで日本近代の絵画史の中では忘れられた存在だったのだと思う。あるいはその存在は知られていたとしても、芸術性のない土産物、通俗な商品として雑に扱われ、あるいは無視されていたのかもしれない。ただでさえ洋画は排斥され、精神性や内容を重視した日本画が主流とされていた時代でもある。

 今後、この明治初期における写実洋画は、これまで浅井忠や高橋由一小山正太郎など少ない先駆者だけが注目されていたに過ぎない。今回の企画展で展示される画家たちの中でも少なからずの者が、小山の主宰した不同舎で洋画を学んだ者たちのようだ。おそらくその中には、ある者は生活のため、ある者は腕試しのために、積極的に土産物絵を制作したものがいたのかもしれない。今後の研究などに注目していきたいところだ。

 この企画展でどうしても注目したくなるのはやはり笠木次郎吉かもしれない。この画家の作品を昨年、京都国立近代美術館で観たことで、明治初期写実画に注目するようになった。そういう意味では、自分にとってはやっぱり主役は笠木ということになるかもしれない。