朝、4時頃に目を覚ます。11時頃に寝るとたいていこのくらいの時間に起きる。年よりだなという実感。
ゴミ出しには早いし、二度寝するかどうか。前日、ブックオフで買った『ペット・サウンズ』なる文庫本を読みだす。
これはミステリー作家で音楽ライターでもあるジム・フジーリがビーチ・ボーイズの名盤『ペット・サウンズ』についてのエッセイ。ほぼ全編にわたってこのアルバムとブライアン・ウィルソン賛美が綴られている。これをやはりビーチ・ボーイズのファンでもある村上春樹が訳したもの。ぶっちゃけ村上春樹が訳してなければ日本で本になることはなかったかなと思ったりもする。
この本を実際に『ペット・サウンズ』を聴きながら読み始める。ただしiPodをオーディオにつないでいるので、曲順はシャッフルされてしまう。もちろん設定を変えれば曲順通りに再生されるのだけど、なんとなくそこまでするのもなんだし。でも曲の解説をされているところで、その曲が流れるとなんとなくしっくりくるし、なるほどなと思ったりもする。
結局、このアルバムはブライアン・ウィルソンがウェスト・コーストの腕利きミュージシャンを集めて即席に作られたセッション・グループであるレッキング・クルーとで音作りを行い、後からビーチ・ボーイズのメンバーにコーラスで参加させたものだという、まあ割とよく知られたエピソードが詳細に描かれている。
確かに名盤ではあるのだが、マイク、アル、デニス、カールにとってはあまり面白いことではなかったのだろうな。おまけに発売当時は不評だったし、セールスも今一つだった。なので次回作の『スマイル』がメンバーの反対など様々な理由で頓挫したのもうなずけるかもしれない。ある意味これはビーチ・ボーイズのアルバムではなく、ブライアン・ウィルソンのコンセプト・アルバムだったわけで。
でも朝方にこの本を読みながら、『ペット・サウンズ』を何度も繰り返し聴くというのはなんとなく得難い経験かもしれないなと思った。そしてこれまではなんとなく一風変わったアルバムみたいな印象だったけど、意外といいなと思ったり、それでもロック史に残る超名盤は言い過ぎかなと思ったりもした。そもそも私的にはたとえばビートルズの『サージェント・ペパー~』も好きなアルバムではあるけど、ロック史に燦然と輝く名盤などとは思ったこともなかったりする。個人的には『ア・ハード・デイズ・ナイト』や『リボルバー』の方が好きだったりして。
フジーリの『ペット・サウンズ』には訳者の村上春樹が長文のあとがき「神さまだけが知っていること」を書いている。そこには村上春樹のビーチ・ポーイズ愛、『ペット・サウンズ』愛が彼の独特の表現で書かれている。まあなんていうか、いつもの村上春樹節みたいなものか。ちょっと長いがその一部を引用。
それでは『ペット・サウンズ』というアルバムのいったいどこが、どのように特別なのだろう? それについては、本書の中で著者ジム・フジーリが熱く、あますことなく語っているので、僕があえてここでそれについてつけ加えるべきこはないように思える。しかしただひとつ言わせていただけるなら、僕はかって「世の中には二種類の人間がいる。『カラマーゾフの兄弟』を読破したことのある人と、読破したことのない人だ」と、神をも恐れず断言したことがあるけれど、もう一度神さまに目つぶっていてもらえるなら、その『ペット・サウンズ』版をあえて口にしたいところである。「世の中には二種類の人間がいる。『ペット・サウンズ』を好きな人と、好きじゃない人だ」と。それくらい『ペット・サウンズ』というのは、僕にとって大事な意味を持つ人間なのだ。べつに『ペット・サウンズ』を好きじゃない人とは友だちになれない、というようなことはまったくないのだけど、それでもまあとにかく・・・・・・。
村上春樹流の気の利いた警句っぽいフレーズである。『ペット・サウンズ』と『カラマーゾフの兄弟』ですか。まあことほどさように『カラマーゾフ』は人間にとって、人の人生にとって重要な小説なのかもしれない。まああくまで読書好きな方に限定した、きわめて狭い意味でのテーゼといったところか。
もちろん自分も『カラマーゾフの兄弟』は読んでいる。けっこう面白かったし、退屈にはならなかった。20代の後半か30代の初めくらいに読んだので、かれこれ40年近く前のことだけど、細部とまではいわないが、なんとなく覚えている。先日も初めて読んだという友人と、破戒的なフョードル、破滅的なドミートリィことミーチャ、純真なアレクセイなど、ある種の典型的な人物造形とかについて、まあ適当に語ることができる(たぶんけっこういい加減)。
でも重要な小説だとは思うけど、最重要かつ人生に必要な小説とまでは思えない。まあ読み方が浅いのかもしれないけど。ついでに『カラマーゾフ』の引用という意味でいえば、当然これは村上春樹も影響を受けた作家なので絶対に知っているし、なんなら『カラマーゾフ』を使った気が利いた言葉は、その影響あるいは引用かもしれないけれど、カート・ヴォネガット(当時はジュニアだった)が『スローターハウス5』でこんなことを登場人物に語らせている。
あるときローズウォーターがビリーにおもしろいことをいった。SFではないが、これも本の話である。人生について知るべきことは、すべてフョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中にある、と彼はいうのだった。そしてこうつけ加えた、「だけどもう、それだけじゃ足りないんだ」
なのでこれを適当に借用してみよう。
「ロックあるいはポップスについて知るべきことは、すべてビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』の中にある。だけどもう、それだけじゃ足りないんだ」
『ペット・サウンズ』はいいアルバムだとは再認識した。まあブライアン・ウィルソンが6月11日に亡くなって以来、ずっとビーチ・ボーイズばかり聴いている。もっとも主には車の中という限定だ。あの音楽はやっぱり運転中に聴くのが一番だ。そして今朝方自室で聴いていると、このコンセプト・アルバムはある種の室内音楽のような感じで、読書には最適なBGM、環境音楽みたいな趣があるとも感じた。
音楽によってはリスナーの情動を刺激するようなものもある。とてもBGMのような聴き方を許さない、そういう類のものだ。クラシックやジャズ、ハードロックなどの一部にはそういうものがある。それがけっして優れたものという訳ではないし、聴く側の精神状態とかに影響する場合もある。
でも『ペット・サウンズ』はそうした精神への働きは、こと自分に関してはなかったかもしれない。ただし繰り返し繰り返しで2時間くらい、平穏なひとときを過ごすことができた。それだけでこのアルバムは素晴らしい、やっぱり傑作なんだろうなとは思った。