ついにというか、いよいよというか、69歳になってしまった。そしてポール・マッカートニーは83歳である。
誕生日が同じというと、やはりポール一択になってしまうが、けっこういるみたいだ。最近は古賀春江がそうだと知った。
Wikipediaの「6月18日」には誕生日がその日の人物の一覧もある。けっこう意外な人が同じ誕生日だと知り、なんとなく嬉しくなったり、微妙な面持ちになったり。
そうか、エドワード・モース、ドナルド・キーン、そしてユルゲン・ハーバーマスも同じか。ハーバーマスが急に近しく感じられるので、著作を読み返してみるか、公共性がうんちゃらとか、とはならないな。
音楽系ではクレランス・クレモンズの命日だとは今日知った。Xは最近見ないのだけれど、今日なんとなくのぞいたらニルス・ロフグレンのポストにクレモンズのメモリーみたいなことが投稿されていた。2011年だからもう14年も前のことになる。そういえばホレス・シルバーは2013年のこの日に亡くなっている。みんないつか死ぬんだけど。
69歳という年齢についていえば、もうこれは戸惑うことばかりである。もともとそんな年まで生きるなんて、若い頃には想像もできないことだった。老いとか老後とかについて漠然と意識していたのは、63歳あたりで死ぬのだろうかということくらいだった。我が家の男性は父も祖父も63歳で亡くなっている。なので自分もそのあたりだろうかと思っていた。とはいえそれからすでに6年が経過している。そういえば兄も63歳更新したが、70歳になる直前で亡くなった。そうか父や祖父よりは長生きしているけれど、兄の年を超えるかどうか。
なんどもなんども書いているし、口にすることだけど、人の人生は確率とか偶然性というより、正しくは蓋然性の範疇にある。人の寿命は、長生きするかもしれないし、短命かもしれない。明日死ぬかもしれないし、あと10年生きるかもしれない。あるかもしれないし、ないかもしれない。そんなものだ。
もしも来年も誕生日を迎えることになれば、そして70代に突入することになれば、今年は60代最後の1年ということになる。これってなんかヤバくないかと、一人で焦るのである。60代にやるべきこと、やっておくべきこと、たぶんいろいろあるはずだし、あったはずだ。それを思うとラストイヤーの今年、なんというかつのる焦燥感という感じだろうか。月並みな表現だけど、いやほんとヤバいって。
とはいえ、ここまで来たらもうしばらく生きていたいとは、少しだけ思ったりもする。障害者の妻と二人暮らしということでいえば、出来るだけ健康でいなければいけない。老々介護は続いていくのだから。
同い年の友人と話していても、相手はなんでも90だか100まで生きるつもりらしいが、自分はけっこう弱気な風で、せいぜいあと4~5年生きれば御の字みたいなことを話す。でも友人曰く、健康年齢は男性の場合72歳くらいなのだとか、そして健康を維持できれば後期高齢者の道が続くということらしい。そうか元気でいられるのはあと2~3年なのか。
糖尿病、高血圧、高脂血症など成人病のデパートみたいな部分もあるけど、ここ5年くらいずっと数値は安定している。みな数値的にはビギナークラスを維持している。山ほどの薬を常用しているとはいえ、あまり自覚もないといえばない。同い年の人がどのくらい歩けるのか、これは個人差あるだろうけど、まあ普通に日々5~8キロくらいは歩ける。さすがに10キロ越すと少し疲れたかなと思うけれど。
でも70前後で、人は急速に老け込むのかもしれない。今のように社交性もなく、半分引きこもりみたいなのはちょっと問題かもしれないな。でもこれも何度もいうけど、人と接する機会が減ったおかげであまりストレスを感じることなく生きている。
友人から誕生日を祝うLINEが届いたので、明け方から『ペット・サウンズ』を聴いていると返信したら、「こっちは早朝から出勤なので、時計代わりに『暴れん坊将軍』つけているのに、優雅なことで」と皮肉がられた。お疲れ様ですね。
69になってもたぶんなにも変わりはない。特に目的意識もない。漠然とした焦燥感はあるけど、だからどうしたみたいな風でもある。今年の唯一の目的はというと、とりあえず4年目に突入した通信教育の大学を卒業すること。これだけです。もともと3年次編入なので2年で卒業するはずが、ダラダラと2年も超過している。余すところ卒業研究の1科目2単位なので、よっぽどのことがない限りは大丈夫だとは思うが、この1科目がとれなければ、もう諦めますよ。さすがに70代まで持ち越す気はないので中退でいいと。まあそうなると、けっこう自分の人生そのものみたいな感じもする。何事も最後までやれない、中途半端な子でした。
それにしてもポール・マッカートニーの83歳は凄い。去年は南米やヨーロッパをツアーしているという。彼のライブは2013年に2回、2015年に1回行っている。2014年は今はない国立競技場に着いてから、急病で公演中止の報せを受けた。友人と缶ビール飲みながら、こういうこともあるんだねと話し合った。途中から北海道から上京したという見知らぬ40代の男性も加わった。「チケット払い戻しされても、交通費、ホテル代はパーです」と彼は淡々と語っていた。来年、ライブがあればまた会いましょうと言って別れたが、彼は翌年のライブに来たのだろうか。
2013年、2015年のライブを見たとき友人と話したこと。ポールは21世紀に入ってすぐに改造され、今は間違いなくサイボーグになっているとか。そうでなければ70代だというのに、3時間近いライブをこなせる訳がないと。おまけにバンドはポールをいれて5名。それであの長丁場を行うのだから。
同じ頃にやはりドームで見たタイガースのライブなどは、途中で30分以上の休憩があった。あれが70代では普通ではないかとポールサイボーグ説を強く思ったりもした。
あれからもう10年である。さすがに最近のポールのライブ映像を見ると、けっこう老いたなと思うこともある。声にも張りがないし。まああれは部品の経年劣化なのかもしれない。
69歳になって、ポールが83歳になったので、なんとなく適当にポール・マッカートニーの年表を作ってみた。そして改めて思うのはポールの、ビートルズの早熟な天才性についてだ。彼らが頂点にたったのは20代の前半のことだ。さらにいえば、その後もポールはずっとロック・ミュージックのフロントで活躍し続けているのだ。ジョンもジョージも死んでしまった。共演したマイケル・ジャクソンもとっくにいない。
1960年代に出現した早熟な天才たちで、80代になってもバリバリ現役でいるのは、ポール、ボブ・ディラン、ストーンズのミックとキースくらいだろうか。20世紀の天才児たちは後期高齢者の星としていまだに頂点に君臨し続けている。
2025年の6月18日に思ったことはたぶんそんなこと。
年 | 事項 | ポール 年齢 |
ジョン 年齢 |
ジョージ 年齢 |
リンゴ 年齢 |
1940 | 7月7日リンゴ・スター誕生、10月9日ジョン・レノン誕生 | 0 | 0 | ||
1942 | 6月18日ポール・マッカートニー誕生 | 0 | 2 | 2 | |
1943 | 2月25日ジョージ・ハリソン誕生 | 1 | 3 | 0 | 3 |
1956 | 処女作「アイ・ロスト・マイ・リトル・ガール」作曲 | 14 | 16 | 13 | 16 |
1957 | ジョン・レノンと出合い、ザ・クオリーメンに加入 | 15 | 17 | 14 | 17 |
1960 | 最初のハンブルク巡業 | 18 | 20 | 17 | 20 |
1961 | キャヴァーン・クラブに定期出演 | 19 | 21 | 18 | 21 |
1962 | 2度目のハンブルク巡業、ビートルズ4人組となる。帰国後、ブライアン・エプスタインがマネージャーとなる。10月に『ラブ・ミー・ドゥ』でデビュー | 20 | 22 | 19 | 22 |
1963 | 4月アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』発売、11月アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』発売 | 21 | 23 | 20 | 23 |
1964 | 6月アルバム『ハード・デイズ・ナイト』発売、12月アルバム『ビートルズ・フォー・セール』発売、初渡米「エド・サリヴァン・ショー」出演、アメリカのヒットチャートの上位5位独占 | 22 | 24 | 21 | 24 |
1965 | 8月アルバム『ヘルプ!』発売、12月アルバム『ラバー・ソウル』発売 | 23 | 25 | 22 | 25 |
1966 | 6月アルバム『リボルバー』発売 | 24 | 26 | 23 | 26 |
1967 | 6月アルバム『サージェント・ペパーズ~』発売、11月アルバム『マジカル・ミステリー・ツアー』発売 | 25 | 27 | 24 | 27 |
1968 | 11月アルバム『ホワイト・アルバム』発売 | 26 | 28 | 25 | 28 |
1969 | アルバム『イエロー・サブマリン』発売、9月アルバム『アビイ・ロード』発売 | 27 | 29 | 26 | 29 |
1970 | 4月10日ビートルズを脱退、ビートルズ解散へ、5月アルバム『レット・イット・ビー』発売、4月17日ソロアルバム『マッカートニー』発売 | 28 | 30 | 27 | 30 |
1971 | 5月アルバム『Ram』発売、12月ウイングス結成・ファーストアルバム「Wild Life』発売 | 29 | 31 | 28 | 31 |
1973 | 4月アルバム『Red Rose Speedway』発売、12月アルバム『Band on the Run』発売 | 31 | 33 | 30 | 33 |
1975 | 5月アルバム『Venus and Mars』発売 | 33 | 35 | 32 | 35 |
1976 | 3月アルバム『Wings at the Speed of Sound』発売 | 34 | 36 | 33 | 36 |
1978 | 3月アルバム『London Town』発売 | 36 | 38 | 35 | 38 |
1979 | 6月アルバム『Back to the Egg』発売 | 37 | 39 | 36 | 39 |
1980 | 1月訪日大麻不法所持で逮捕され国外退去処分、5月アルバム『McCartney Ⅱ』発売、12月8日ジョン・レノン射殺される | 38 | 40 | 37 | 40 |
1982 | 4月アルバム『Tug of War』発売、スティーヴィー・ワンダーと「エボニー・アンド・アイボリー」で共演、マイケル・ジャクソンと「ガール・イズ・マイン」で共演 | 40 | 39 | 42 | |
1983 | 10月アルバム『Pipes of Peace』発売 | 41 | 40 | 43 | |
1984 | 10月アルバム『Give My Regards to Broad Street』発売 | 42 | 41 | 44 | |
1986 | 8月アルバム『Press to Play』発売、10月カバーアルバム『Choba b CCCP』発売 | 44 | 43 | 46 | |
1990 | 3月訪日、24年ぶりの日本公演 | 48 | 47 | 50 | |
1989 | 6月アルバム『Flowers in the Dirt』発売 | 47 | 46 | 49 | |
1993 | 2月アルバム『Off the Ground』発売 | 51 | 50 | 53 | |
1997 | 5月アルバム『Flaming Pie』発売 | 55 | 54 | 57 | |
1998 | 妻リンダ・マッカートニー死去 | 56 | 55 | 58 | |
1999 | 10月アルバム『Run Devil Run』発売 | 57 | 56 | 59 | |
2001 | 3月ウィングスのベスト盤アルバム『Wingspan: Hits and History』発売、11月アルバム『Driving Rain』発売、11月29日ジョージ・ハリソン死去、この年よりバックバンドがウィックス・ウィッケン、ラスティ・アンダーソン、エイブ・ラボリエル・ジュニア、ブライアン・レイで固定される | 59 | 58 | 61 | |
2002 | 9年ぶりのアメリカ・ツアー、11月ライブ・アルバム『Back in the U.S.Live2002』発売、11月3度目の日本公演、ヘザー・ミルズと結婚 | 60 | 62 | ||
2005 | 9月アルバム『Chaos and Creaton in the Backyard』発売 | 63 | 65 | ||
2007 | 6月アルバム『Memory Almost Full』発売 | 65 | 67 | ||
2008 | ヘザー・ミルズと離婚 | 66 | 68 | ||
2011 | ナンシー・シェヴェルと結婚 | 69 | 71 | ||
2012 | 2月アルバム『kisses on the Bottom』発売 | 70 | 72 | ||
2013 | 10月アルバム『New』発売、11月に11年ぶりの日本公演 | 71 | 73 | ||
2014 | 5月訪日、ウイルス感染により公演中止 | 72 | 74 | ||
2015 | 4月訪日、日本公演 | 73 | 75 | ||
2018 | 9月アルバム『Egypt Station』発売、10月訪日日本公演 | 76 | 78 | ||
2020 | 12月アルバム『McCartney Ⅲ』発売 | 78 | 80 | ||
2022 | 4月から6月に北米ツアー「GotBAck」開催 | 80 | 82 | ||
2024 | 10月より南米ツアー、12月よりヨーロッパツアー | 82 | 84 | ||
2025 | 83 | 85 |