日々、テレビをつけていると、中国人観光客の悪行やムスリムの自分勝手な行動が半分面白おかしく報道される。
「中国人観光客のマナーが酷すぎる。」
「ゴミを捨てまくる中国人」
「並ばない、すぐに文句を言う中国人」
「ムスリムを雇うと、やれハラルの時間だといってサボる」
などなど。
これはテレビだけでなくネットでも流れまくっている。そして外国人、主に中国人や韓国人、ムスリム、クルドなどをdisると「いいね」がつく。承認欲求が満たされる。いつのまにか自分のポストが排外的なものになっていく。選挙で排外主義を煽る政党に一定の支持が集まるのもなんとなくうなずける。
外国人のマナー違反については、中国人だけの問題ではないのだろう。多分、彼らが一番日本にやって来ているから悪目立ちしているのかもしれない。彼らからすれば一番身近で、利便性と観光名所が揃った、そしてなによりも安い国が日本なんだから、そりゃ大勢訪れるだろうとは思ったりもする。
円安でとにかくなんでも安い日本が定着しているから、中流以下の質の悪い観光客もきっと来ているのかもしれない。円高にすれば、金持ちしか来れなくなるだろうか。ただし金持ちが興味を示すような魅力を提供できるかどうかはわからないけれど。
あとは観光客相手の接客業には、高い金払って外国人を雇って対応させればいいのかもしれない。彼らなら異文化同士で上手いことやってくれるのでは。
SNSを見ていると、排外主義者曰く「移民や外国人を批判しているのではなく、不法移民、不良外国人を排斥したいだけだ」という言説がある。でも安い労働力を求めれば、悪貨が混ざるのはしかたがない。良質な労働力を期待しているのであれば、それに見合う賃金を用意しないと多分いけないのだろうとは思う。
安くて良質な労働力など世界のどこにもないはずだ。いやひょっとしたら、20世紀のどこかで、日本にはそういう労働力が存在していたかもしれない。
中国人のマナー問題でゴミ捨ての話が出てくるが、日本の観光地にはゴミ箱が圧倒的に足りない。ゴミは持ち帰りましょうって、どこに? 本国に? 実際、観光で訪れたときに自分なども困ることがけっこうあったりする。ゴミ箱なければどうするか、路上の隅っこに放置するとか考える人がいてもおかしくないだろう。
日本中からゴミ箱がなくなったのは、たぶんオームのサリン事件の頃からだろうか。あるいはサミットとかそのへんのどこかか。たぶんにテロ対策としてゴミ箱が撤去されたのがそのままになってしまったのだろう。今でも駅構内とかにはゴミ箱が置かれていないことが多い。あれってテロ対策を理由にしたコストカットではないのかと勘繰りたくなってしまう。ゴミ箱置かなければ、管理も収集コストも浮く。ゴミが放置されれば利用者のマナー問題にできる。
あっ、みなさんゴミはご家庭に持ち帰りましょうね。
最近、急に賃貸マンションの家賃が倍以上となり、住民追い出しのためにエレベーター止めたりとかいう嫌がらせが報道された。マンションのオーナーは中国人で、住民を撤去させて民泊として利用したかったという。もってのほかの話ではある。中国に住むオーナーに批判が集中し、その結果家賃の値上げも撤回され、エレベータも動き出したそうな。めでたし、めでたし。
この報道で中国人オーナーが非難されたが、この中国人は直接前のオーナーからマンションを購入したのだろうか。たぶんそこに仲介する不動産屋がいたのではないか。それは中国系不動産屋か、日本人の不動産屋か。もし日本の不動産屋が介在しているのであれば、それも当然批判されるべきかもしれない。「今の居住者を追い出して、民泊利用にすれば、高利回りで運用できますぞ」みたいな話があったのかどうか。
以前、兄弟を住まわせていた分譲公団住宅を売りに出したとき、買い手は中国人で、買い手側の不動産屋も中国人が経営していた。売買契約のために訪れたのは西川口の不動産屋で、責任者は流暢な日本語を話した。買い手のほうは片言程度だったが、聞けば子どもを大学に留学させるので、アパートに住まわせるよりも買ってしまおうというような話だった。
これまでマンションや一戸建ての売買した経験があるが、日本人だと最後に50万とか100万とか値引きをすることがよくあったが、この時は値引き交渉などまったくなく即金で売買は決まった。まあかなり古い中古物件でけっこう安いものだったけれど、それでも子どものために物件買ってしまうというあたりが、なかなか笑えたというか。もっとも中国もその後景気が後退側面にあるから、今はああいう太っ腹なことがあるのかどうか。
とりあえず不動産売買にあたって、中国人に特に反感をもつこともなく、金払いの良い夫婦が子どものために金を惜しまないみたいな風でしかなかった。子どもは男の子でなにか飄々とした感じで、苦労知らずみたいな印象を受けた。
超大昔の話ではあるが、自分はもともと小学校に行く前は、横浜の元町近辺に住んでいた。なので、家の真向かいにはドイツ人のパン屋さんがいたし、お隣は中国人の商売人が住んでいた。そして家はクリーニング屋をしていて、本牧の米軍キャンプが主たる顧客だった。なので子どもだったとはいえ、外国人に対する抵抗感はほとんどなかった。身近にいる異国の人々という感覚か。
前述するような中国人観光客のマナーの悪さとか、そのへんも実はあまり目にしていないし、個人的には観光地で中国人観光客への悪い印象よりも、どちらかといえば良い印象があったりする。
以前、箱根の大涌谷で妻の車いすを押しているときに、中国人の大家族の一団と遭遇した。すると一番偉そうな高齢のおじいさんが、家族に脇にどくように命じて、自分たちがスムーズに通れるようにしてくれた。そして何か手伝うかと聞いてきた。とりあえず片言で「It doesn't matter」みたいなこと言うと、笑ってうなずいてくれた。
京都の龍安寺で、門の通る際に大きな段差があり、妻を立たせて車いすを自分が持ち上げて通ろうか思っていたとき、すっと二人組の男性が来て、車いすごと妻を担いで門を通してくれた。日本語は話さない、中国か韓国、多分中国系のようだった。お礼は普通に「thank you」と言うと、「you're welcome」と返してすぐに行ってしまった。その所作がえらくスマートな感じだった。
京都では何度か外国人に親切にしてもらったことがある。欧米人も多かったが、みんな親切だった。もちろん日本の若者にも親切にしてもらったこともあるが、観光客では外国人から受けた親切の方が多かった。
逆にたった一つ空いていた車いすマークの駐車場にでかいクラウンを止めた、金持ちそうな老日本人夫婦は、「君たちはどっかへ行きなさい」的に悠然と手を振って、そのまま観光されていたりとか、まあいい思い出がなかったりもする。
もう一つ中国人の若者の思い出だが、90年代のどこかでシステム手帳を落としたことがあった。当時は分厚い手帳にいろんなものをぶち込むのが流行っていた。あれがないとけっこう仕事に影響するなと途方に暮れていると、夜に電話があった。片言の日本語で、「システム手帳を電話ボックスで拾ったので預かっている」という話だった。そこで指定の場所に行くと、高田馬場近辺の外国人留学生が住む寮で、出てきたのは気弱そうな中国人の青年だった。
こちらはとにかく礼を言って、もし金銭を要求されたら、それなりに支払うつもりもあったが、持って行った菓子折り一つ渡してそれで終わった。ただその青年は、とにかく話がしたいと言って、こちらの仕事のこととかいろいろ聞いてきた。そこで出版社の営業のこととか、日本の出版事情のこととか小1時間話をした。
あの留学生は今頃どうしているだろう。30年くらい前のことなので、本国でも立派に仕事をされているのかどうか。彼のなかでは日本でちょっといいことをした、日本のビジネスマンはぎしぎしに情報詰めたシステム手帳を持って仕事をしているみたいだと、そんな認識をもっただろうか。
ことほどさように、自分は外国人に対して悪印象を持つような経験がない。なので排外主義的な言説にはどうしても抵抗感がある。もちろん外国人もいろいろだ。そして特に隣国ということでいえば、中国人が沢山日本にいるので、そりゃ悪いやつも多いだろうとは思う。できればこれから先もそういう人とは触れ合うことなくいけばいいのだが、どうだろうか。
でも思うのは、やはり安い労働力として期待した場合、外国からくる人たちは、当然教育もあまり受けていない人たちが多いだろうなということになる。今は、日本に労働力として来る外国人はどのへんだろう、ネパール、ミャンマー、インドネシア、ベトナムとかがメインになるのだろうか。クルドは多分政治的な部分もあり、まさに難民的な人が多いかもしれない。
中国人は労働力というより、逆に日本の安さに魅力を感じているのでは。たぶん今、中国、韓国、インドなどの高学歴の若者は、安い日本よりもアメリカやヨーロッパ、オーストラリアを目指しているかもしれない。そっちのほうが間違いなく稼げるはずだからだ。
最初にも書いたが高学歴(教育をきちんと受けた)の良質な労働力には、それなりに高い対価が必要なんだと思う。安くて、勤勉で、仕事憶えがいい外国人などあまりいないのではないか。それは日本人の労働者だって同じだとは思う。
以前、コンビニのバイトの仕事はかなりハイレベルにあるのではないかと思ったことがある。レジ対応、様々な決済のオペ、キッチンのオペ、さらに品出し、補充などなど。顔なじみのパートのオバさんに、「よくこなせるね、感心します」と話しかけたら、満更でもない様子だった。あれを片言で覚えた日本語で、日本人の客相手に行う外国人労働者はかなり良質な労働力ではないかと常々思ったりもする。
移民とか安い労働力についていえば、日本はもっとその導入に金をかけるべきではないかと思ったりもする。きちんとした日本語教育を行い、職業訓練にも金をかけて、良質な労働力として育てる。それが少子高齢化社会で足りなくなる労働力を補う道ではないかと、そんなことを思う。今のようなほとんど奴隷のような外国人技能実習ではだめなのではないか。それを思うと、今の日本に必要なのはもっと教育に金をかけることではないかと、そんな結論に達する。それは外国人だけでなく、もちろん日本の若者に対してもということなのだが。