OB会に出る

 都内某所でOB会に出る。大学を卒業して初めて勤めた場所である。

 集まったのは今年還暦を迎える人、まだ嘱託で働いている60以上の方、そして65歳以上のリタイア組、一番年長は後期高齢者となった75歳くらいの人など。

 懐かしい場所、人たちばかりだ。自分も含め、みな老いているが30分もすると昔のイメージとダブリだす。確かに懐かしい先輩や同僚たちだ。2時間と少し少々のアルコールとともに歓談して過ごす。

 実はこの職場には3年半くらいしかいなかった。その後は5度の転職を繰り返す漂流を続けた。その3年半の期間なのにいまだに交流がある友人、知人が数名いる。自分が勤めたのは24の時。そして辞めたのが28になる時だった。指折って数えるとすでに40年の月日が経っている。これはまいったなというのが正直なところだ。

 3年半在籍の職場の人々と会う、その場所にいってみる。なんでそんな気になったか。まあリタイアした暇な老人だから(実はそれほど暇でもない)。いや違うな。多分、こんな機会でもなければもう会うことがない人たち、そして行くことのない場所、多分最後になるかもしれない、そんなちょっとした感傷的な気分が動機かもしれない。

 もっともその場所はほとんどの建物が立て直され、縦方向に延びていく未来的なビル群に様変わりしていて、自分がかってそこであくせく働いていたときの記憶を喚起するものはほとんどないに等しい場所になっていた。

 関東近県に住む数年後輩の方とも久々に会った。まさに40年ぶりだ。その方も稼業を継ぐために早くに辞められたという(在籍は8年だったとか)。すでに稼業もたたみ、今は地元の回転寿司店でアルバイトをしているという。興味深かったのは、従業員の7割が外国人、そして店長も外国人だという。入りたての人はほとんど日本語も話せないとか。いろんな国の人かと聞くと、ほとんどの人がネパール人だとか。

 その人の住む県でも最低賃金は1000円を超えるが、若い日本人はほとんど集まらなず、外国人と高齢者に依拠しているのだとか。職場でコミュニケーションをとるのも大変だと嘆いていた。日本語が判らない新人バイトも、ほかのベテランバイトにサポートを受けているので、仕事的にはさほど支障もないのだとか。

 もっともそうした職場で店舗の管理職を担うような外国人は、語学力も高く日本人と同様にコミュニケーションがとれる。たぶん本国でもそれなりに教育を受けた人たちなのかもしれないなと推測する。

 少子高齢化と人口減の日本社会の縮図のような話だ。時給2000円以下の低賃金の職場では、外国人への依存度が高まっていくのだろう。いずれは外国人の管理職のもとで、貧窮化した日本人高齢者が働くみたいな図式も一般化していくのかもしれない。そういう職場での鬱屈した部分が匿名の排外主義的な主張に収斂されるなんてこともあるのだろうか。

 そんなことを考えていたところでピンポンとドアフォンの音がする。モニターで確認すると新聞の集金だという。出てみるとやはり外国人の若い女性の方である。そういえばここ半年くらい、新聞の集金にくる人も外国人が普通になった。

「いつも来る方と変わったんですね」と聞くと、「その人も一緒に仕事してます」と少しカタコトだけどきちんとした日本語で答えが返ってくる。

「どちらからきたの?」

「ネパールです。同僚も同じです」との答え。

 そういえば回転寿司で働く外国人もネパール人だと言っていたような。今、日本に労働で来る外国人のうちネパール人て増えているのかもしれない。日本に来て働くのはまちがになく日本よりも貧しい国かもしれない。でも円安が続く日本は、次第に外国人労働者にとって魅力のない、稼げない安い国となるかもしれない。ネパール人、ベトナム人クルド人など日本に来ている労働者も、いずれは別の国を目指すかもしれない。台湾、中国、オーストラリア、多分日本よりははるかに稼げるかもしれない。

 そうなると日本は人口減少、労働力不足という状況が拡大する。いずれは高齢者が働き、高齢者が需要者となるそういう貧しい国になるのかもしれない。

 

 かって汗水垂らして働いた懐かしい場所。もはやその残滓すらない。