レポート提出終了

 ここんとこHatenaもなかなか更新できていない。

 というのも冬季のレポートがけっこうたまっていて収拾とれなくなっていた。日常的に学習を進めていけばこういうことにはならないのだろうけど、昔からギリギリにならないと手をつけない子でしたから。

 1月はWebのビデオ授業の視聴もほとんどやらずで、自分でも何やってたのか判らない。まあプータローなりにやることがけっこうあったのだろう。一応、江戸時代から明治に至る文学や上演芸術のテキスト読んだりはしていた。

 2月になってから1科目手につけたけど、ぶっちゃけ朝鮮や西アジア中央アジア、インドの芸術動向など、まったく興味がないので、なかなか身につかない。中国の芸術については、ずっとサボり続けていて来季に回してしまった。

 テキストを読んでいくと、中国や朝鮮といった隣国の歴史にあまりにも無知であることがわかる。まだ中国は三国志とかそのへんの知識も多少あり、隋、唐、元、明、清などは日本史との関連で多少知識はある。三国志についてはもっぱら横山光輝先生のおかげかもしれない。

 それに対して朝鮮はというと、古代は新羅高句麗百済といった三国時代のことはやっぱり日本史との関連で多少の知識があるけど、それ以後の統一新羅や高麗、李氏朝鮮とかについては皆無。あわてて中公版の『世界の歴史』をひもとく始末。

 中央公論の『世界の歴史』は単行本で持っている。出版社に務めていたときに、取次の集品の人に頼んで毎回持ってきてもらっていたのだったか。まあ律儀に持ってきてくれるのでなんとなく断りきれず定期にしていたような。なので途中からはほとんど読んでいないまま本棚のこやしになっていた。ほぼ30年くらい前なんだけど、けっこう美本の状態のまま。

 その『世界の歴史』全30巻が、通信教育受けるようになってから、えらいこと役に立つ。結局、美術史とはいえ背景の歴史的知識が必要になる。そうなるとこういう通史的な本に目を通す必要がある。ぶっちゃけレポートのネタ本としては最適で、まいどお世話になっているって感じだ。

 大昔の受験は日本史だったので、世界史はあまり知識がない。でもまとまって人文系の学習をするとなると日本史と世界史の通史をひもとく必要、けっこうある。学生だとだいたい図書館で閲覧ということになるのだろうが、幸いなことに自分の場合は日本史、世界史ともに中公版を一揃いもっている。

 日本史の方は文庫版で多分今出ているやつよりかなり前の版。奥付をみる1970年代のもののようだ。この『日本の歴史』全26巻は父が愛読していたものだ。ときどきひも解くと、四葉のクローバーが栞代わりに入っていたりする。父は晩年、けっこうこの通史を何度も読み返していたみたいだ。

 話をレポートに戻す。朝鮮の美術について読んでいると、古代において朝鮮は日本よりはるかに先進国だったことがわかる。東アジアの文明の伝播という点でいえば、先進国中国からの影響が日本も朝鮮も強いことは当然として、地理的な距離もあって朝鮮は日本よりかなり先に様々な文明が渡来している。

 日本史の年号語呂合わせでいまだに覚えているのは「百済のごみやが仏教伝える」というやつ。所説あるが一般的には仏教伝来は538年(ご・み・や)である。それに対して朝鮮はというと、高句麗には372年に、百済に伝播には384年に伝来している。日本より150年より早い。新羅にも5世紀に伝わっている。仏像についても朝鮮では当初は石像が中心だったとも。

 そういうことも含め、もっと隣国の歴史についても知らなくてはいけないなとも思ったりもした。結局、他国への無理解は歴史の知識の欠如があるのかもしれないと思ったり。世界史といってもけっこう西洋史に偏っていたりもするようだし。

 

 そういうことを思ったりもしたが、レポートに選んだのは朝鮮美術ではなく、西アジアイスラーム美術。理由はというと、まあ単純に朝鮮についてはテキストで5章分の読み込みが必要だけど、西アジアイスラーム美術は2章しかないという適当な理由。でもかなり範囲は広いので『世界の歴史』では数冊分の読み込みが必要。

 あとは去年、府中市美術館で観たインド細密画、あのルーツがイスラームのミニアチュール画にあるということで、なんとなく取っ掛かりがあったことなのなど。

 

 しかし造形美術において、人物画が描かれるようになったのはけっこう歴史的にはあとのことだ。キリスト教でも偶像崇拝は禁止されていて、9世紀に偶像禁止令が廃止されてから、じょじょに布教のためにイコンとしてのキリスト像が描かれ、そこからじょじょに世俗化した人物画が描かれるようになっていった。

 仏教においても当初はやはりブッダを描くことは忌避され、造形的には釈尊不存在という表現がとられていた。おそらく仏像が描かれるのはガンダーラ仏教美術が興隆をみせた頃からで、それから中国を経て朝鮮、日本にも伝わってきた。

 キリスト教にしろ仏教にしろ、当初は偶像崇拝は忌避されていた。それがじょじょに描かれ、世俗的な美術にも波及して人物画が描かれるようになった。そういう意味での世俗化は10世紀前後のあたりから進んだのではないか。

 それに対してイスラームはというと、もともとムハンマドイスラームを組織したのは7世紀前半である。それ以降も偶像崇拝の禁止は厳密に守られていた。そのためイスラームで花開いた美術はというと、一つはコーランを美しく飾る装飾文字であり、あとは幾何学文様、植物文様などの装飾文様だ。イスラーム寺院を飾る美しいタイルはそうした装飾文様にあふれている。そして神の言葉を記したコーランを飾るのは文字文様だ。

 人物や動物の具象を忌避したことにより、装飾文様が花開いたイスラーム圏で世俗的な人物画が描かれるようになるのは13世紀以降のことで、キリスト文化圏、仏教文化圏よりもはるかにあとのことだ。そこから生まれたのがミニアチュールといわれる細密画だ。

 まあこういうネタで1200字程度でまとめてみた。内容的にはもっと字数が必要なのだけど、かなり端折ってみた。

 

 他にはというと、江戸から明治の文学については、井原西鶴作品の受容を当時の江戸、大阪の人口増加との関係で論じるとか、あとは空間デザインについてとか。

 

 正直にいってこの歳になっての学習はけっこうしんどい部分もある。文献にあたっても、頭にまったく入ってこない。ノートに書きだしてもすぐに忘れる。もっと早くに始めれば良かったのになあと思うことが圧倒的に多い。そしてそれとは別に、自分が様々なことをなにも知らないまま年月を過ごしてきたことへの残念な気分、さらにいえば新しく得られる知識への喜び。もっと深く知りたいという希望などなど。

 とはいえ年齢的にいえば、残された時間はかなり少ない。それを思うと残念な気分にもなるが、まあそれもまた人生だという諦観。とりあえずダラダラと本を読み、WEB授業を視聴して、慣れぬレポートを書いてと、そんな日々をもうしばらく続けようかと思う。

 そういえば当初は学士入学で2年間で卒業の予定だったけれど、とてもとても。頑張ってもあと1年は最低必要。年金生活者には学費がけっこう負担だけど、最後の贅沢と思ってもう1年は続けるつもり。

 友人に言わせると、「金払ってヒーヒー言っているの、訳わからない」ということらしい。まあ自分でもそう思う部分もある。

 高齢者の自虐的学習生活。