へんな夢をみた。
自分はなにかパソコン画面の前にいる。
そこには多分エクセルかなにかの表のようなものがあって、どうもそれは実際の本棚と連動している。カラムヘッダは時系列というか、ある時期の本棚の列を表していて、右にずっと続いている。そしてそれぞれの列が本棚になっているような。
ヘッダは例によってAから始まり、右にスクロールさせていくとAAとか。一番左はたしかDCだったか。そしてその下のカラム=棚はぼんやりとしているがどうも本が並んでいるような。
一番左側はどうか、どうも2014年あたりの棚らしい。そこでそのヘッダにポインタを合わせてクリックしてみる。実際の操作はどうだったか判らない。夢の話だ。すると、すると目の前の画面が切り替わって、自分は本棚の前にいる。いつも眺めている本棚。でも、なにか入っている本が、その並びが違っている。そして何より違うのが、あちこちに数冊から10冊くらいの虫食いというか、空白になっている。
自分の狭い部屋の本棚は、本を前後二段に詰めている。穴が開いた部分の奥の本が見える。いやそれも抜けがいくつもある。本棚全体に虫食いのような穴というか、本が抜け落ちた部分があちこちに生じている。
そうか、自分がクリックしたのは2014年だから10年前。だからそれ以降に買った本は本棚に存在しないのか。これはちょっと困ったな。
そしてなぜだかまた自分はパソコン画面をみている。ええと、本棚を現在に戻すのは。いや、その前にもう少し後の部分、たとえば2018年とかそのへんの本棚を見てみたいなと。そこでカラムヘッダをを見てみる。そしてポインタをあわせようとする。
あれ、さっきはヘッダには年の表記というか数字があったはずなのに、今はただAPとかAZとかBBとかそういうエクセルの表になっている。
おいおい、これは本棚を元に戻せるのか、試しにどこかのヘッダにポインタあててクリックを。でも、元に戻せなかったら。その時点以後に入手した本は永遠に失われてしまうぞ。本棚の空白になった部分にはどんな本がはいっていたのか。そんなの細かく覚えていない。
実際の本棚はというと、ここ何年も以前ほど本を買っていないから、割と定番的に昔からのものが入っている。ここ20年くらいで捨てた本はたぶん数100冊、いや1000冊近いかもしれない。引っ越しのたびにダンボール箱単位で捨ててきたし。だからリアルな本棚に入っているのは、カート・ヴォネガット、村上春樹、和田誠、ベイトソン、黒田三郎の詩集、マルクーゼ、ホルクハイマー・・・・・・、どんな本棚だ。
それに対して夢の中の本棚はどうにも違う。多分、捨てたはずの本も入っているし、欲しくても入手できなかった本もあるかもしれない。虫食い的にあちこちに空白のある本棚、でも実際のタイトルはもやもやっとした中で読み取ることができない。
早く現在の時点にポインタをあわせてクリックしないと・・・・・・。
混乱というか、パソコン画面なのか本棚なのか、しだいによくわからなくなってきたなかで途方に暮れている。そこで目を覚ました。へんな感じだ。
これはどんな意味があるんだろう。昔、読んだ本、買って積読しといたままどこかで手放した本、そういうものへの未練、哀惜みたいな感覚がもたらした夢だろうか。そしてもう今となっては元に戻らないというような。
最近、夢をみることは多い。以前に比べて。いや、夢はずっとみていたはずだ。ただ昔は夢をみてもすぐに忘れてしまった。起きたらすべきことがたくさんあったから。多分そういうことかもしれない。
みる夢はたいてい昔のことが多い。特に多いのは職場の夢、仕事の夢だ。六度も仕事を変えているので、いろんな職場の夢をみる。仕事をやめてしばらくはなんとなく直近の職場の夢が多かったような気もしないでもない。最近はどうか、なんとなく20代、30代の頃のことも。
仕事以外でも、恋愛とか、女性のこととかもときに夢にみる。なぜか女性の顔はぼんやりとしている。多分、あの娘かもしれない、あの人だったかもしれない、でもなにか違うような。
夢をみる、それを起きたあと覚えている。それは多分、時間に余裕があるせいかもしれない。そしてそれらをすべてひっくるめて、夢をよくみるはすべて加齢によることなのかもしれない。ようは歳だと、まあそういうことだ。
いつかずっと夢を見続けてそのまま起きることがないみたいなことになるのだろうか。それもそんなに遠くない時期に。
死ぬというのはすべてが無に帰することなんだろうとは思う。肉体とともに思考や思念も消え失せる、そういうことなんだろう。
ずっと眠り続ける状態、夢を永遠み続ける状態。そういうのも悪くないと思う反面、それが悪夢的なものだったら、それは相当にヤバイというか、まさにあの世は地獄だ。
それにしても夢の中で、きちんと本棚は修復されたのだろうか。ちょっと気になっている。